497.飛翔篇:複文は脳が疲れる

 今回は「複文」についてです。

 できれば「複文」をなくした小説を読みたいものです。

 そのくらい「複文」は脳を酷使します。

 小説投稿サイト『小説家になろう』のハイファンタジー作品はタイトルがたいてい「複文」になっているのです。






複文は脳が疲れる


 小説に限らず、日本語は「省く」文法で出来ています。

 たとえば「我が名はエスカトーレ。三十二にして世を統べる皇帝である。髪の一房だけが赤い。『赤髪皇帝』の異名を馳せている。」という文があったとします。

 これを省かずに書くとこうなります。「我が名はエスカトーレ(だ)。(予は)三十二(歳)にして世を統べる皇帝である。(予の)髪の一房だけが赤い。(だから)『赤髪皇帝』の異名を馳せている。」以上です。

 主語と語尾と単位と接続詞が省かれているのがわかるでしょう。




日本語は省く言語

 他の言語では主語と語尾と単位と接続詞を省いてしまうと、文法が成り立たなくなることが多いのですが、日本語はどこを省略しても文として成立できる特性があります。

 だから世界中の言語は日本語に翻訳できます。

 ですが日本語の小説を英語やフランス語に翻訳しようとすると、省略されている要素があるのでたいへんな困難を要するのです。

 ノーベル文学賞を受賞した川端康成氏の代表作『雪国』の書き出しは、翻訳家によって英文が異なります。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。」

 この一文、主語・主体がありませんよね。「なにが」長いトンネルを抜けたのか。「どこが」雪国だったのか。

 この一文だけを翻訳しようとすると、訳者は「主人公が歩いて」長いトンネルを抜けたような印象を持つかもしれません。主人公の「島村」の名が出てくるのはかなり後ですが、「彼が国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。」とする訳もあるのです。

 ですが実際に長いトンネルを抜けたのは島村を乗せた汽車ですから「汽車が国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった。」となります。これは比喩の一つである擬人法ですね。列車を人物に見立てて意志を持って「トンネルを抜ける」わけです。

 この「書き出し」を覚えようとして、よく「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった。」と「そこは」を誤って付けてしまう人がいます。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。」だと「どこが」の情報がないためです。

 だからこの文を記憶しようとすると「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった。」となりやすいのです。

 英訳でも「そこは雪国だった。」と翻訳しているので、川端康成氏の「省く」美学がこんなレベルにまであふれています。




複文は一長一短

 主語・主体を省くためによく用いられるのが「複文」です。

「○○された俺は、△△する」という、今『小説家になろう』で流行っているタイトルが「複文」の代表例です。

 元は「俺は○○された。俺は△△する」という二つの単文なのですが、「俺は」と主体が二回連続で出てきます。

 そこで「○○された俺は」と「俺」を修飾する形にして、そういう状態の「俺」が「△△する」とすることで「俺は」が頻出しないようにするのです。


 一見スタイリッシュに見える複文ですが、読み手にわかりやすいかといえば「わかりにくい」。

 それは「○○された俺は、」のところで脳内にある短期記憶領域「ワーキング・メモリー」にいったんその情報を記憶する必要があるからです。

「ワーキング・メモリー」は人によって違いがありますが、平均すると三つの領域、七つのチャンクしかないと言われています。

 つまり複文を読んでいるとき、七つしかない「ワーキング・メモリー」のチャンクをひとつ使ってしまうのです。


 小説を読んでいるとき、「ワーキング・メモリー」の領域はすでに二つ使われています。

 今読んでいる文を理解しようと仮置きする領域と、小説のその場面における状況と会話などのやりとりを記憶しておく領域です。


 まず小説のその場面における状況と会話などのやりとりを記憶しておくことについてお話しします。

 これに「ワーキング・メモリー」が割り当てられていないと、読み手は脳内に物語が繰り広げられる舞台を思い描けません。テレビドラマやアニメ・マンガであれば、周囲の情報は視覚で補完できるのでそこに注意しなくて済むのです。つまり会話などのやりとりを中心に短期記憶しておけばよいことになります。だからテレビドラマやアニメ・マンガは「ワーキング・メモリー」に大きな負荷がかからないので、物語を純粋に楽しむことができるのです。


 そして今読んでいる文を理解しようと仮置きすることについて。こちらは日本語が「省く」言語だからこそ用いられます。

 つまり文が句点で確定した段階で、そこまで書かれてあった情報を映像へ変換して脳内イメージにするのです。英語は主語と述語が基本的に隣接しているため、頭から読むにしたがって脳内イメージが逐次膨らんでいきます。日本語はたいていの場合、主語・主体は文の頭に、述語は文の末尾に配置されるのです。よって日本語は「ワーキング・メモリー」をひとつ用いて一文の情報を仮のイメージとして保存し、句点で文が確定するのを待っています。句点の出た時点で、「ワーキング・メモリー」内に記憶されていたあいまいなイメージが日本語の文法に従って解読され、確たる脳内イメージとして膨らんでくるのです。

 そこに「複文」としてさらに「ワーキング・メモリー」の領域をひとつ用いてチャンクの処理をしてしまうと、「ワーキング・メモリー」を三つの領域すべて用いてしまうことになります。

 こうなってしまうと新しいことが憶えられなくなりますから、三つのうちいずれかを忘れる必要が出てくるのです。

「複文」が一段ならチャンクは「複文の主語+述語」と「本文の主語+述語」を合わせた四つで済みますが、二段以上なら「複文Aの主語+述語」と「複文Bの主語+述語」と「本文の主語+述語」とチャンクが六つ必要になります。これは最小限の話なので、通常「複文」がふたつあると七つのチャンクをオーバーフローしてしまうのです。オーバーフローしてしまうと、どれかが記憶から消えてしまいます。

 だから「複文」はわかりやすくないのです。


「複文」が「カッコよく見える」のは、「ワーキング・メモリー」を使っているから。

 短期記憶領域に小説の情報がストックされるため、より高尚に感じられるからなのです。


 小説のタイトルは「カッコよく見える」ことも読み手を惹きつける要素のひとつになっています。

『小説家になろう』において「○○された俺は、△△する」というタイトルだらけになるのは、「カッコよく見える」ように工夫された流れなのです。

 もちろん物語の内容をわかりやすく提示する意味合いもありますが、基本的には「カッコよく見える」からそうしています。


「複文」を解読するには「ワーキング・メモリー」を用いることになります。

 しかし脳の機能を意図的に使ってしまうことになるため、脳が疲れやすくなるのです。

 脳が疲れてしまうと、小説を読み続けることは苦痛に感じられます。

 あなたが憧れている・尊敬している書き手の小説を読み返してみてください。

 たいてい「単文」と「重文」で構成されていることに気づくはずです。

「複文」はあまり出てきません。

「複文」は脳が疲れると、書いているときにも理解しているからです。

 しかしそれを狙ってわざと「複文」を多用するジャンルがあります。

「推理小説」です。


「推理小説」ではトリックを見破る情報を、必ず本文の中に書いておかなければなりません。

 なんの説明もなしに唐突にトリックを見破ってしまうと、ご都合主義に陥ってしまい読み手から非難の声があがります。

 ですが考えもなくトリックを見破る情報を書いてしまうと、結末を読むまでもなく読み手にトリックを見破られてしまい、それはそれで非難の的になってしまうのです。

 ではどうするか。

 情報を「複文」にして記憶に残らないようにしてしまうのです。

 先ほども申しましたが、「ワーキング・メモリー」には三つほどの領域があります。ひとつが場面を思い描くために、もうひとつが文を理解するために用いられます。

 残ったひとつに「複文」となっている構造を仮に記憶しておくのです。しかし先の二つにほとんどの脳力が用いられているため、「複文」となっている情報は文が確定して理解した段階でイメージは状況を記憶している「ワーキング・メモリー」へと追加して変化し、「複文」を解読している「ワーキング・メモリー」から瞬時に消え去ってしまいます。

 この瞬時に消え去ってしまう情報に「トリックを見破る情報」を書いておけば、情報は事前に示しているのに読み手がトリックを見破りにくくできるのです。

 だから「推理小説」では意図的に「複文」を多用しています。


 あなたがお書きになっている作品は「推理小説」でしょうか。

 そうでなければ「複文」はできるだけ避けるようにしてください。

 それが読みやすくわかりやすい文章にするコツです。





最後に

 今回は「複文は脳が疲れる」ことについて述べてみました。

「カッコよく見せる」ために複文を多用する書き手が多いのです。

 そういう小説を読んでいると、知らず知らずのうちに脳が疲れてきます。

 結果、途中で挫折して読むのを諦めてしまうのです。

 閲覧数(PV)が多いのにブックマーク数が少ない場合、「複文」が多いからかもしれません。

「単文」にできるものは「単文」に改めてみてはいかがでしょうか。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る