480.飛翔篇:改めてテーマとはなにか

 今回はたびたび登場する「テーマ」についてです。

 上級者ともなれば、「テーマ」を避けて通れません。

 どんな「テーマ」を設定すればいいのでしょうか。

 文学小説と大衆小説とライトノベルに大別してお答えします。





改めてテーマとはなにか


 小説を書くとき、よく「テーマ」が必要だと言われます。

「プロの書き手」となって編集さんに企画書を提示する際も「その作品の『テーマ』はなにか」を問われることになるでしょう。

 アマチュアとして小説投稿サイトに投稿しているだけであれば、取り立てて「テーマ」は必要ありません。

 ですが「小説賞・新人賞」を狙って投稿するのなら、明確な「テーマ」があったほうがいいのです。

 では「プロの書き手」を目指している段階において「テーマ」とはなんでしょうか。




文学小説のテーマ

 文学小説における「テーマ」とは、「哲学的な命題に対する書き手の答え」です。

 たとえばある人物に肉親が殺されてしまったとします。

 そのとき主人公が犯人に対してどのような感情を持つのか。それが「テーマ」となります。

「犯人を殺して肉親の無念を晴らしたい」と主人公が思っていれば、それが「肉親を殺された者が持つ犯人への感情」の書き手なりの答えです。

 テレビの情報バラエティ番組では、よく被害者家族へインタビューする心無い行為を行なっています。

 被害者家族の多くは「犯人を殺して被害者の無念を晴らしたい」とか「犯人を死刑にして被害者の仇をとりたい」といった処罰感情を抱いています。

 それをことさら取り上げて公共の電波に乗せて日本中に放送するのです。

 こういうことをされると、別の事件で肉親を失った被害者家族はやはり処罰感情を口にすることになります。

 つまり情報バラエティ番組は「肉親が殺されたら犯人をどう思うか」という「哲学的な命題」に対して、「犯人を殺したい」「死刑にしたい」など「処罰感情」を常なる答えとして日本中に撒き散らしているのです。

 文学小説における「テーマ」としても、作中で「肉親を殺された主人公は、犯人をどうしたい」と思うのか。

「犯人を殺したい」「犯人を死刑にしたい」「犯人に罪を償ってほしい」「犯人に改心してもらいたい」「犯人に事実を話してもらいたい」「犯人の本音を聞きたい」「犯人の境遇に同情する」といった答えを提示するのが文学小説なのです。

 以上が「殺人」に対する「テーマ」となりえます。

 文学上なら「犯人の境遇に同情する」類いの被害者家族がよく現れるものです。

 しかし現実的に考えると、やはり少なからず「処罰感情」はあります。

 それでも「綺麗事」を書くのが文学小説なんですね。

「処罰感情」があるとそれは文学小説ではなく、大衆小説になってしまうおそれがあります。

 これは私の偏見が多分に含まれていますが、文学小説は「綺麗事」で出来ているのではないでしょうか。

 人を殺した犯人の背景を書くことで、「犯人の境遇に同情する」人物が犯人に寄り添うというような現実にはありそうにない状況が生まれて物語を展開させる。

 それによって犯人が良心の呵責に耐えきれなくなって自首したり自刎したりする。

 そんな「綺麗事」を臆面もなく書けるのが、文学小説の書き手なのだと思います。

 だから私には「殺人」に対する「綺麗事」で出来ている文学小説は書けません。

 どうしても「処罰感情」を禁じえないからです。




大衆小説のテーマ

 大衆小説における「テーマ」とは、「なんのために行動していくか」だと思います。

「意中の異性と一緒になりたい」のなら恋愛小説。

「犯行に及んだ人物を捕まえたい」のなら推理小説。

「戦乱の世を平定したい」のなら歴史小説や戦記もの。

「入り組んだ人間関係を整理したい」のなら青春小説。

「犯罪はびこる世の中で悪人を成敗したい」のならバトル小説。

「未来の技術がこう発展したら世の中はどうなるだろう」というのなら空想科学(SF)小説。

 現状を提示し、それをどうするべく行動していくかを描く小説こそ大衆小説だというのが私の認識です。

 つまりジャンルの違いがそのまま「テーマ」の違いだということができます。


 その行動に対してワクワク・ハラハラ・ドキドキしてくるように書きます。

 大衆小説は「なんのために行動していくか」についてワクワク・ハラハラ・ドキドキを交えて読み手に提示する、「過程を楽しむ」小説なのです。

 もし「過程」を省いて「意中の異性と一緒になりたい」と思っている主人公が、すんなりとそうなってしまったら。なんらワクワクもハラハラもドキドキもせずに達成してしまったら。

 興醒めもいいところですよね。

 だから大衆小説は「過程を楽しむ」小説だと言えます。

 これからの展開を待ちわびてワクワクしてくる。

 これから降りかかってきそうな出来事にハラハラしてくる。

 これからどんな結果が訪れるのだろうかドキドキしてくる。

 大衆小説を評価するポイントは、読んでいてどれだけ「ワクワク・ハラハラ・ドキドキ」できるかなのだと思います。

「感情を揺さぶる」小説が大衆小説です。




週刊少年ジャンプのテーマ

 ライトノベルにおける「テーマ」とは、「読んでいて楽しめるか」だと思います。

 これは集英社『週刊少年ジャンプ』の掲載作品を読めばわかりやすいですね。

 読んでみて「楽しい」から人気が出ます。

 人気が出るから連載が長期化するのです。

 設定がいかに凝っていようが、読み手から「楽しくない」と思われたら即連載打ち切り。

 ある意味ひじょうにわかりやすい物差しです。

 1980年代の『週刊少年ジャンプ』の合い言葉は「友情・努力・勝利」でした。

 当時の十代に最も響くこの三要素が揃ったマンガは、長期連載となりました。

 武論尊氏&原哲夫氏『北斗の拳』、荒木飛呂彦氏『ジョジョの奇妙な冒険』、ゆでたまご氏『キン肉マン』、高橋陽一氏『キャプテン翼』、車田正美氏『聖闘士星矢』、鳥山明氏『DRAGON BALL』、冨樫義博氏『幽☆遊☆白書』、井上雄彦氏『SLAM DUNK』、堀井雄二氏&三条陸氏&稲田浩司氏『DRAGON QUEST −ダイの大冒険−』、和月伸宏氏『るろうに剣心 〜明治剣客浪漫譚〜』、隆慶一郎氏&原哲夫氏『花の慶次 −雲のかなたに−』、藤崎竜氏『封神演義』あたりが「友情・努力・勝利」で長期連載をかちえた作品といえるでしょう。

 もちろんここに挙げていない名作も数多くあります。

 個人的には北条司氏『キャッツ★アイ』『CITY HUNTER』、桂正和氏『ウイングマン』『電影少女』、今泉伸二氏『空のキャンバス』あたりも含めたいところですが、「友情・努力・勝利」を揃えているのは『ウイングマン』くらいで、しかも13巻とそれほど長期連載ではありませんでした。

 個人的に挙げたものをよく見ると、いずれも「友情」というよりも「恋愛」要素がありますね。

 そう考えるとこれらの作品は「恋愛・努力・勝利」といえるのかもしれません。

 週刊マンガ誌を読む男の子たちに「恋愛」ものを読ませていたことも、『週刊少年ジャンプ』の強みだったのかもしれませんね。




ジャンプとライトノベル

 ライトノベルも成功作を思い描くと「恋愛(友情)・努力・勝利」のパターンが多く、単に「楽しめる」だけの作品も人気がありました。

 ライトノベルの黎明期を支えた田中芳樹氏『銀河英雄伝説』、笹本祐一氏『ARIEL』、水野良氏『ロードス島戦記』、深沢美潮氏『フォーチュン・クエスト』、吉岡平氏『宇宙一の無責任男シリーズ(無責任艦長タイラー)』、神坂一氏『スレイヤーズ』、冴木忍氏『メルヴィ&カシム』、小野不由美氏『十二国記』などは大衆小説とも呼べる類いのもので、「ライトノベル」の存在が広く知れわたる契機となったのです。

 そして2000年前後を機にライトノベルの一大ブームが巻き起こります。

 賀東招二氏『フルメタル・パニック!』、西尾維新氏『戯言シリーズ(クビキリサイクル)』、時雨沢恵一氏『キノの旅 -the Beautiful World-』、高橋弥七郎氏『灼眼のシャナ』、鎌池和馬氏『とある魔術の禁書目録』、谷川流氏『涼宮ハルヒシリーズ(涼宮ハルヒの憂鬱)』、ヤマグチノボル氏『ゼロの使い魔』、雪乃紗衣氏『彩雲国物語』が長期連載を始めたのです。

 2010年前後は伏見つかさ氏『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』、平坂読氏『僕は友達が少ない』、川原礫氏『ソードアート・オンライン』、逢空万太氏『這いよれ!ニャル子さん』など、ライトノベルが2000年前後以来のブレイクを遂げました。

 そして近年渡航氏『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』からブレイクする形でブームの最中にいます。


 それらは「恋愛(友情)・努力・勝利」や「楽しめる」を「テーマ」にしているものがほとんどです。

 つまりライトノベルは『週刊少年ジャンプ』マンガのような世界と言えます。

 最近のライトノベルは「恋愛(友情)・努力・勝利」のうち「努力」を必要としない「俺TUEEE」「チート」「主人公最強」な主人公を据えることが多くなりました。

 しかしこの流れは『週刊少年ジャンプ』も同様です。

 藤巻忠俊氏『黒子のバスケ』の黒子テツヤに火神大我、古舘春一氏『ハイキュー』の日向翔陽に影山飛雄など元から才能のあった人物が「友情」でチームと噛み合うことによって「勝利」を目指す形になっています。

 近年スパルタ教育が「パワハラ」認定されることが多くなり、スポーツ部も尋常ではない量の練習を選手たちに課すことができなくなってきたのです。

 だから「勝利」するためには「元々能力が高かった」選手の物語になるのは自明なのかもしれません。

 その点ではマンガ・堀越耕平氏『僕のヒーローアカデミア』はスパルタ教育を是とする、近年珍しい「スポ根」ものと言えるのではないでしょうか。





最後に

 今回は「改めてテーマとはなにか」について述べてみました。

 文学小説の「哲学的な命題に対する書き手の答え」、大衆小説の「なんのために行動していくか」、ライトノベルの「恋愛(友情)・努力・勝利」や「楽しめる」。

 ざっくりと分ければこのようになります。

 文学小説に「ワクワク・ハラハラ・ドキドキ」は要りません。

 しかし大衆小説・ライトノベルには「ワクワク・ハラハラ・ドキドキ」があったほうがいい。

 高尚さをどこまで追い求めていくかが文学小説の存在意義になります。

 だから「ワクワク・ハラハラ・ドキドキ」を感じさせるのは邪道です。

 芥川龍之介氏『羅生門』『蜘蛛の糸』、川端康成氏『雪国』を読んで「ワクワク・ハラハラ・ドキドキ」しましたか。

 しませんよね。

 それは文学小説だからです。

 以上、私の偏見を含めた「テーマ」の解釈となります。



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