446.発想篇:隠したほうがよいもの

 今日は「隠したほうがよいもの」です。

 昨日「隠すべきところをあえて見せる」と書きましたが、「佳境クライマックス」に入るまで隠しておかなければならないものもあります。

 これが先に見えてしまうと、物語の面白みがなくなるのです。





隠したほうがよいもの


 意図的であればどんどん見せていけばいい、というものでもありません。

 物語を楽しむうえで、明らかに「隠したほうがよいもの」があります。

 これまで「見せて」しまうと、読み手が興醒めしてしまうのです。




対になる存在の胸中

 絶対に読み手に知られてはならないものは「対になる存在の胸中」です。

 たとえば恋愛ものを書いていて、初めから意中の異性は誰のことが好きなのかを読み手が知ってしまうとどうなるでしょうか。

 それ以上読む必要がなくなりますよね。

「対になる存在の胸中」は、物語の「佳境(クライマックス)」で開示すべきです。

 これは鉄則と言ってよいでしょう。


 私は恋愛小説を読まないので、ファンタジー小説から例を引きたいと思います。

 水野良氏『魔法戦士リウイ ファーラムの剣』では主人公リウイと「対になる存在」は魔精霊アトンです。

 しかし人物としては「指し手」の二つ名を有するロマール国軍師ルキアルになります。

 すぐれた頭脳を持ちながらも平民出身であり留学先のオランで魔術の素質が欠如していることを指摘されたため、王族・貴族に激しいコンプレックスを抱いているのです。

 そして魔精霊アトンの復活を知り、数多の策略で民衆を煽動して諸国の王族・貴族を打ち倒して民主化させようと画策するのです。

 とくに魔法戦士として名が知れわたるようになったオーファン国の庶子リウイに対して策動することが多く、あるときはまんまと策に嵌め、あるときは策を打ち砕かれます。

 ですがリウイ自身にルキアルの存在は知られていません。

 つまりルキアルは陰謀を張り巡らせているのですが、「対になる存在」のリウイにはまったく存在を気づかれていないのです。

 ということは当然リウイにとって「対になる存在」のルキアルの胸中はわかりませんよね。

 主人公は知らず、読み手だけが知っている「秘密」の存在です。

 しかし水野良氏がルキアルの「胸中」を明かしたのは、最終巻においてのみになっています。

 物語の「佳境クライマックス」で歴史の陰に隠れていた策士ルキアルの胸中が明かされるのです。

 だからこそ最終巻へたどり着くまで、読み手はルキアルのことを「不気味な存在」だと思い続けます。

「魔術師としての才能がないことへのコンプレックス」があることによって、庶子でも王族であり魔術師でもあり剣士でもあるリウイが憎かったのでしょう。


 物語を読み進める要素のひとつとして、「対になる存在」の「語られていない胸中」をあれこれ想像できる点が挙げられます。

 読み手に知られていないからこそ、「対になる存在」と主人公がどのような結末を迎えるのかワクワク・ハラハラ・ドキドキしてくるのです。


 前回も取り上げたマンガ・桂正和氏『I”sアイズ』を例に引きます。

 主人公・瀬戸一貴は同級生の嘉月伊織のことが好きですが、昔あることがあって気持ちを素直に打ち明けられません。

 伊織が一貴との距離を詰めてくるところで、一貴の幼馴染みである秋葉いつきが現れます。

 そしていつきは一貴に一途な想いをぶつけてくるのです。

 つまり「いつきの気持ち」は主人公も読み手も知っています。

 しかし一貴の意中の異性である「伊織の気持ち」はいっさい明かされません。

 ここを明かしてしまうと、『I”s』はまったく面白くなくなるのです。

 ですから『I”s』は最低でも二周して(二回読んで)ください。

 一周目はわからない「伊織の気持ち」を推測しながら、二周目は「結末」を知ったうえでの「伊織の気持ち」を推測しながら読むのです。

 この二周のためだけでも『I”s』は万人に薦めたい作品のひとつに挙げられます。

 こういった楽しみ方ができるのも「対になる存在の胸中」を「佳境クライマックス」まで「隠してきた」からなのです。


『I”s』からわかるのは、恋愛ものでは「対になる存在の胸中」は「佳境クライマックス」まで書かないほうが俄然物語が面白くなるということです。

「対になる存在の胸中」は「隠したほうがよいもの」ということになります。




ラスボスの正体と実力

 他に「隠したほうがよいもの」として挙げられるのが「ラスボスの正体と実力」です。

 とくにファンタジーもの・バトルもの・アクションものでは、ラスボスがいったい誰なのか、ラスボスの実力がどのくらいすごいものなのかを直接対峙するまで書かないほうがよいでしょう。

 もし物語の途中でラスボスの正体がわかってしまうと、読み手にとって「謎」がなくなってしまいワクワクしてこなくなります。

 水野良氏『ロードス島戦記 灰色の魔女』では主人公であるパーン一行が、ラスボスである「灰色の魔女」カーラの正体を大賢者ウォートから聞く場面があるのです。

 それによって「カーラと戦って物語が終わるんだな」と読み手は見当をつけられます。

 これが許されるのは、『ロードス島戦記 灰色の魔女』が単巻読み切り小説だからです。

 もし全七巻あるのに第一巻でラスボスの正体が読み手にバレてしまうと、読み手はもうあなたの小説を追わなくなります。

 だって、最後まで読まなくても誰がラスボスなのかがわかっているのですから。


 またラスボスの実力も読み手にはわからないようにしたほうがよいでしょう。

 仮に今まで冒険者パーティーの仲間だった人物がラスボスだった場合、ラスボスの実力をラストバトル前までに書いてしまうと興醒めもよいところです。

 このような場合は、必ずラスボスの実力をわからなくしたまま、作品を書き進めていきましょう。

 ラスボスの実力がわからないからこそ、最終バトルで読み手はハラハラ・ドキドキしてくるのです。


 ラスボスの正体と実力はできるかぎり最終バトルまで明かさないようにしましょう。

 読み手がワクワク・ハラハラ・ドキドキしてくるのは、詰まるところ「ラスボスの正体と実力」がわからないからです。





最後に

 今回は「隠したほうがよいもの」について述べてみました。

 恋愛ものなら「対になる存在の胸中」は隠すべきです。

 バトルものなら「ラスボス(対になる存在)の正体と実力」を隠しておきましょう。

 だからこそ物語は先に進むほど面白くなってくるのです。

「対になる存在」は小説において「主人公」とともに重要な人物になります。

 できるだけ早いうちに「対になる存在」を作品内に登場させて、存在感を濃くしましょう。

「対になる存在」の存在感が薄いと、物語は盛り上がりに欠けます。

 ともすれば「対になる存在」とではなく「好敵手ライバル」との関係のほうが盛り上がることがあるのですが、そんな作品は「邪道」なのです。

 「王道」はあくまでも「主人公」と「対になる存在」との最終バトルが最も盛り上がります。



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