412.深化篇:天才なんてめったにいない

 今日はBlu-rayレコーダーが壊れてしまい、修理に出してきました。引越が近いのにこのタイミングで壊れるとは。

(『ピクシブ文芸』『小説家になろう』執筆時)。

 今回は「天才」についてです。

 誰しもが「天才」に憧れますが、本物の「天才」なんて数えるほどです。

 あなたが「彼こそ天才作家だ」と感じる人も、実際に「天才」だったのでしょうか。

 努力次第で「天才」になれるかもしれません。





天才なんてめったにいない


 あなたが見て「この人は天才じゃないか」と思う小説家はいるでしょうか。

 多くの人は過去の「文豪」か、芥川龍之介賞(芥川賞)や直木三十五賞(直木賞)の受賞者をして「天才」と定義しています。

 しかし本当に「文豪」や芥川賞・直木賞受賞者は「天才」なのでしょうか。




人類史で天才と呼べるのは数名

 あらゆる分野を見渡しても「天才」と呼べる人は数えるほどです。

 優れた軍人であり政治家でもあったガイウス・ユリウス・カエサル氏は、軍功によってローマ帝国の三頭政治の一角を担った軍事の「天才」です。

 芸術家であり発明家でもあったレオナルド・ダ・ヴィンチ氏は、人体解剖に何度も立ち合って筋肉や骨の分析を行ない、さまざまなものに興味を持って多くの発明を残した多才さにおける「天才」です。

 リンゴが落ちたことから「万有引力」を発見したアイザック・ニュートン氏は、微積分法の発見も行なっている現代科学・数学の父とも呼べる「天才」です。

 五歳の頃から作曲をしていて「神童」と呼ばれたヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト氏は、習ってもいないヴァイオリンを弾いてしまった逸話を持つ「天才」です。

 数々の発明を成し遂げたトーマス・アルバ・エジソン氏は、幼少期に学校から見放され、教師であった母親に勉強を教えてもらい、のちに「発明王」と称されるようになった「天才」です。

 相対性理論を提唱したアルバート・アインシュタイン氏は、幼少期にできないことが多かったが九歳で「ピタゴラスの定理」を自力で証明し、十二歳で微積分を独学で習得したほどの「天才」です。


 このような「表面上努力をせずに偉大な成果を出した人物」を周囲の人は「天才」だと言います。

 そういった「天才」と呼ばれる人物は、百年に一人現れるかどうかというほど数が少ないと思います。

 彼らは傍から「たいした努力もしていないのに結果を出した」と見られたから「天才」と呼ばれた共通点を持っています。

 カエサル氏は軍事を熱心に研究していましたし、レオナルド氏(「ダ・ヴィンチ」は「ヴィンチ村の」という意味であり人名ではありません)は前述しましたが人体解剖に数多く立ち合っています。ニュートン氏は世界をさまざまな角度から見ることが趣味でしたし、モーツァルト氏は父の演奏を見ていて父がいないうちに自分で練習していたことは想像に難くないところです。エジソン氏は旺盛な好奇心からさまざまなことを試していました。アインシュタイン氏はとにかくひたすら自習して知識を身につけたのです。


「天才」と呼ばれている人たちでさえ、なにかしらの「努力」をしているものです。

 しかしその「努力」をしている姿を多くの人に見せなかったから「天才」と呼ばれるようになりました。

「秘すれば花なり」とは世阿弥が書き残した『風姿花伝』に載せられた一文ですが、よく言ったものだと思います。

 どんなに「努力」をしてもその姿を見られないから「天才」と呼ばれ、「努力」している姿を見られてしまえば「努力家」と呼ばれてしまうのです。


 つまり「天才」と呼べるのはほんのひと握りであり、さまざまなところに記録が残る現在では「天才」と呼ばれるような人物はまず存在しません。

 日本人の野球選手では野茂英雄氏、イチロー氏、松井秀喜氏、今では大谷翔平氏が「天才」と呼ばれていますよね。

 彼らはすべからく数知れない「努力」を繰り返しています。

 決して「やったこともないことを実行できた」ような人などいないのです。




小説界における天才

 言文一致体が確立してから現在に至るまで、「天才」と称された小説家は幾人かいます。

 菊池寛氏は同世代の小説家の中から芥川龍之介氏と直木三十五氏が将来の書き手の手本になると考えて「芥川龍之介賞(芥川賞)」「直木三十五賞(直木賞)」を創設しました。

 のちに当の本人の名を冠した「菊池寛賞」も創設されますから、この三人は「天才」と呼べるかもしれません。

 推理小説家の江戸川乱歩氏や横溝正史氏なども小説賞に名を冠する書き手ですから「天才」になると思います。

 ショートショートでは星新一氏が発想力、著作数ともに群を抜いており「天才」と称されました。やはりのちに名を冠した小説賞が創設されているのです。

 最初にその分野を開拓した人や、その分野での活躍が目覚ましい人を「天才」と呼ぶのが小説界の習わしとなっています。

 現在では森村誠一氏や筒井康隆氏や西村京太郎氏が「天才」として有名で、おそらく死後「小説賞」に名を冠することになるでしょう。

 その後は村上龍氏、村上春樹氏あたりが小説賞に名を冠する「天才」になるかもしれません。

 それ以降文学は衰退を始め、代わって大衆小説、中でもライトノベルが急伸してきました。

 笹本祐一氏、田中芳樹氏、火浦功氏、水野良氏、神坂一氏などがライトノベルをいち早く形成した先駆者たちです。

 ですが小説賞に名を冠するほどの書き手とはなかなか認められないと思います。

 よくてSF分野で田中芳樹氏の名を冠した小説賞が創設される可能性はありますが、明確なライトノベルで名を冠した賞がないのは寂しくもありますよね。




やったこともないことを一回でできてしまう

「天才」の定義としてさまざま解釈があると思います。

『Google』検索によると「生まれつき備わったすぐれた才能。そういう才能をもっている人。」とされています。

 つまり「それまでやったこともないことを、生まれつき備わったすぐれた才能で、一回でできてしまう人」が「天才」なのです。

 しかし上記したとおり、歴史上の多くの「天才」は「努力」を尽くして成果を挙げ、「天才」と呼ばれるようになりました。

 他の人からは「それほど練習したわけでもないのに、こなせてしまうんだな」と思うから、相手を「天才」扱いをします。

 ですが、辞書の意味での「天才」なんて、人類史を振り返ってもまず見当たらないのではないでしょうか。


 中国のいん王朝末、百万の兵を擁するちゅう王を倒すために、周の文王・姫昌きしょうは祖父の大公が夢に見た「天才軍師」太公望たいこうぼう呂尚りょしょう姜子牙きょうしが)と出会い味方に引き入れました。のちに文王が死に、武王・姫発きはつが周の国王となります。

 太公望の知略により数万の軍勢で百万の殷軍を「牧野の戦い」において破り、周が天下を獲ったのです。

 ここで注意したいところは「天才軍師」とされる太公望は老年のときに文王と出会ったということ。

 つまり「天才軍師」になるために、人知れず「努力」を重ねていたと推察されます。

 「努力」した部分をまったく描写していないから、太公望は「天才」とされたのです。

 もし兵法について精通していなければ、いかな太公望といえども「天才軍師」と呼ばれるまでには至らなかったでしょう。


 であれば、辞書にある「生まれつき備わったすぐれた才能をもっている人」は存在しているのでしょうか。

 そう呼ばれる人はいても、「それまでやったこともないことを、生まれつき備わったすぐれた才能で、一回でできてしまう人なんてまずいません。

「天才」は皆人知れず「努力」を積み重ねてきたのです。

「私は今までテニスの練習はしてこなかったけど、勝負で勝てるんだけど」という人は、他のスポーツをしていてその動きがたまたまテニスに応用できたということがほとんどではないでしょうか。

 また「イメージ・トレーニング」だけはみっちりとやってきた人も、「やったこともないことを一回でできてしまう人」だと言えます。


 私は二十五歳の頃、軽自動車の助手席に座り、運転手が操縦する自動車に乗っていたことがあります。

 そのとき交差点直前で運転手がうめき声をあげたかと思ったら急にアクセルを吹かして自動車は赤信号の交差点へと突入していきました。

 助手席にいた私は、運転手に声がけするとともに、まず踏み込まれているアクセル・ペダルから右足を外し、体が割り込めなかったので右手でブレーキ・ペダルを押しつつ左手でハンドルを操作して国道の路肩に車を停めるとサイドブレーキを引いて安全に自動車を停めました。そこで救急に連絡して運転手の救護を依頼、残念ながら運転手は最初のところで急死していたのです。

 このときの運転免許証を持っていない私の対処を伝え聞いた会社の同僚や上司たちから「天才」と呼ばれることになりました。

 しかしこの冷静な判断は「天与の才」によって成しえたものではありません。

 私は「もしこんなことが起きたら、こうしよう」という明確な手順をいくつも想定して記憶していたのです。

 つまり何年も前から「イメージ・トレーニング」をしていました。 

 実際にそういう出来事が起きたときに、慌てず冷静に「イメージ・トレーニング」どおりに対処したに過ぎません。

 でも人は「天才」と呼びます。

 これが「天才」というものなら、人知れず努力をしているか、イメージ・トレーニングを綿密に行なっていたかのいずれかだけです。

 決して「天与の才」などではありません。

 それでも最初に書いた小説が、偶然にも小説賞を受賞することもあります。

 それは「偶然」そのような作品が書けただけに過ぎないのです。

 つまり「天才」ではありません。





最後に

 今回は「天才なんてめったにいない」ことについて述べてみました。

 自分には才能がないから小説賞が獲れないんだ。

 そうお思いの方もおられると思います。

 しかし今日までに才能を引き出すための「努力」をどれだけしてきたのでしょうか。

 思いついたように小説を書き、それが評判を呼ぶなんてことはまずありえないのです。

 人知れず「努力」して何作でも書いてみて、納得できる作品が書けるようになってから投稿すればいい。

 そうすれば人はあなたのことを「天才」と呼ぶようになります。

 しかし「天才」のハードルを維持するのは困難です。

「天才」を維持する「努力」を惜しまないでくださいね。



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