393.深化篇:愛のカケラ

 今回は「妄想力」についてです。

 自身の体験を素にした小説は現実味リアリティーがあります。

 ただし、あなたは体験なんてそんなに多くしてこなかったはずです。

 となれば「自身の体験の切り売り」はいつか出尽くしてしまいます。

 そこで必要となってくるのが「妄想力」なのです。

 そして男性と女性の恋愛観は異なります。





愛のカケラ


 感性は人それぞれです。

 ある小説を読んで心が満たされる人もいれば、満たされない人もいます。

 万人が満足する小説なんてものは存在しないのです。

 芥川龍之介氏や直木三十五氏、彼らを高く評価した菊池寛氏など誰もが知っている「文豪」の作品であっても、中には好きな小説と嫌いな小説は存在します。




満たされる小説がない

 小説を読んで満たされなかった。

 だから自分で小説を書き始めた書き手は多いことでしょう。

 とくに小説投稿サイトに作品をアップしている方は、既成品では満たされなかったから「それなら自分で書こう。せっかく書くのだから多くの人にも読んでもらいたい」という思考なはずです。

 またある作品の続きが読みたくて先々の展開を妄想し、小説を書き始めた人もいるでしょう。

『pixiv小説』で二次創作が流行ってるのも「先々の展開を妄想」できるからです。

「既成品では満たされなかった」というのは、小説を書き始めた理由として、それなりに大きな割合を有しています。

 逆に言えば「既成品に満足できるようなら小説は書けない」かもしれません。

 あなたが満足を覚えた「既成品」のマネゴトならできるでしょう。

 でもそんな作品が多くの読み手を「満足」させられるのか。

 『小説家になろう』ではテンプレートな「異世界転生」「異世界転移」「悪役令嬢」などは大ヒットした「既成品」の「模造品」であふれていて、かなりの規模で盛り上がっています。

 ですが盛り上がっているのはあくまでも『小説家になろう』の中だけです。

『小説家になろう』は二重投稿が可能な規約をしているため、実力を計るために他の小説投稿サイトに二重投稿するのもひとつの手でしょう。

 他の小説投稿サイトでも人気が出るようなら、あなたの作品は間違いなく「人気作」の仲間入りです。




妄想力が小説を書く原動力

 小説を書くのに必要なものがあります。

 PCや原稿用紙もたしかに必要ですが、それよりももっと根源的なもの。

 ずばり「妄想力」です。

 平易に言えば「創造力」と「想像力」の二つ。

 体験だけで十も二十も異なる作品を書けるわけがありません。

 現在小説投稿サイト発のライトノベルが文芸書籍の半数を売り上げています。

 それであっても小説投稿サイトから「紙の書籍」となったシリーズの他に、二作目・三作目の連載を始められる書き手は少ないのです。

 なぜかといえば「体験」だけで書こうとしているからです。

 多作するためには「体験を超える妄想力」がなければなりません。

 多くの体験があるから小説が書けるわけではないのです。

 いかに「主人公の周りに起こる出来事」を「妄想」できるのか。

 つまり「妄想力」が必要です。




妄想力が現実味リアリティーを生む

 もし恋愛小説で十も二十もの作品を「体験」だけで書こうとすれば、まず同じ物語の繰り返しになります。

「主人公の周りに起こる出来事」をいかに「妄想力」で膨らませられるか。

「妄想力」があれば、両想いや片想い、純愛や偏愛、同性愛や肉体関係だけの恋愛など、さまざまな恋愛小説を書けます。

 これらすべての「体験」をしてきた書き手はまずいないでしょう。


 確信を持って述べますが、もしこれらすべてを「体験」してきた書き手がいたら、その人に恋愛小説は書けません。

 なぜ「書けない」と断言できるのか。

 そういう書き手の書く恋愛小説は、すべて「体験」からの切り売りのようなものです。

 つまり自身の「体験」を赤裸々にしなければ恋愛小説が書けません。

「体験」を小説にして書くことを、俗に「私小説」と言います。

 言文一致体が確立された明治後期から昭和初期まで盛んに書かれたのが「私小説」なのです。

 並みの精神力では、あまりに恥ずかしすぎて「書けない」と思います。

 どれだけ面の皮が厚ければ「体験」の切り売りをした「私小説」が書けるのか。

 私はとてもじゃありませんがとくに「恋愛」の「体験」を切り売りすることはできません。

 いかに「妄想力」を駆使して「主人公の周りに起こる出来事」を作り上げるのか。

「妄想力」は「体験」を超えていなければなりません。

「体験」を超えているからこそ、読み手に現実味リアリティーを感じさせることができます。




つねになにかを考えている

 人はつねになにかを考えて生きています。

 他人のことになると、知り合ったときから言葉遣いやしぐさや表情などから「いい人」「明るい人」「感じの悪い人」といった感想を抱きます。

 だからと言って「いい人」「明るい人」を好きになるわけではありません。

 人によってまたは時として「感じの悪い人」「暗い人」を好きになり惹かれていくこともあります。

 ステレオタイプに決めつけず、「こういう人もいます」と読み手に知らしめるのも、書き手に与えられた役割のうちです。




男女の恋愛観

 男性は肉欲さえ発散できれば誰でもよくて次々と相手を替えられます。

 女性は愛を感じなければ異性と付き合えません。愛を感じられる人は限られるのです。

 これは自然界でも同様で、一匹のメスが多くのオスの中から「ある基準で」特定のオスを探し、そのオスの遺伝子を持つ卵を生みます。

 オスは数少ないメスを奪い合い、敗れたら他のメスのもとへと移っていくのです。

 また猿などでは群れの血が同じ遺伝子で偏らないよう、ボス以外のオスは群れを離れて別の群れを探し、さまよい歩きます。

 オスは「遺伝子さえ残せればどんなメスでもお構いなし」なのに対し、メスは「愛しているオス」の子どもを産みたいのです。

 女性は「愛のない」関係を持ちたくない。つねに満たされていたいのです。


 恋愛を端的に一字で表せば、男性は「恋」、女性は「愛」です。

 男性は「遺伝子さえ残せればどんな女性でもお構いなし」な「下心」が丸見え、つまり「恋」の字そのもの。一目惚れして一気に燃え上がる「恋」なのです。

 だから男性ひとりに多数の女性が登場する「ハーレム」ものの小説が増えていきます。

 女性は「愛している男性の子どもを産みたい」のですから、心の中でその男性のことを愛していなければ「恋愛」しているとはいえません。つまり「愛」の字そのものです。心の中でじわじわと時間をかけて燃え上がります。

 愛する男性に抱きしめられただけで女性は幸せに浸れるのです。




ドーパミンの錯覚

 ときに恋愛は「錯覚」を生み出します。

 付き合い始めて激しく燃え上がり、その勢いで結婚して子どもを授かる。

 上々の人生ですが、だいたい二年が過ぎると「熱」が冷めます。

 そして「なんでこんな人と結婚したんだろう」と思うのです。

 こういう方を見かけたことはありませんか。またあなた自身がこういう状態ではありませんか。

 この人たちは恋愛の「錯覚」を見ていたのです。

「錯覚」は脳内物質ドーパミンの影響を受けて生じます。

 恋愛中喜びに満ちあふれて「最高のパートナーだ」と確信するのはドーパミンの分泌によるものです。

 ドーパミンは幸せな感覚を与えてくれる反面、判断力を低下させます。

 たとえ相手がダメ男であってもドーパミンによって喜び、どうしようもない点さえも長所に見えてしまうのだから困りものです。

 しかし私たちは祖先が抱いた「ドーパミンの幻想」によって今ここで生きています。





最後に

 今回は「愛のカケラ」について述べてみました。

 以前コメントで「男女の恋愛観の差」についてお問い合わせいただいて、その場で返答したのですが、改めてコラムを一本作りました。

 男性は「恋」すなわち「下心」、女性は「愛」すなわち「内に秘めた心」です。

 男性が移り気なのも、女性が一度気移りすると二度と帰ってこないのも「恋」「愛」の働きによるものと言っていいでしょう。

「恋愛小説」のみならず「恋愛要素を持つ小説」を書く際に、肝に銘じておくと役に立つと思います。



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