391.深化篇:経験を語ることで読み手は成長する
今回は「成長」についてです。
純文学や大衆小説よりもライトノベルは読み手の成長に寄与します。
経験を語ることで読み手は成長する
小説の主人公は物語を通じてさまざまな経験を経て成長していきます。
主人公の経験を語ることで、読み手の成長も促されるのです。
読み手を成長させるにはライトノベルは最適なカテゴリーと言えます。
ライトノベルは成長加速器
とくに中高生が主要層であるライトノベルは、主人公の経験を詳らかに書くことで、深く没入して読み手自身が成長していきます。
もちろん物語である以上、純文学でも経験と成長は付き物ですが、純文学は一片の作品でひとつの「テーマ」を重層的に味わっているだけです。
だから「『純』文学」と呼ばれます。
それに対しライトノベルは基本的に複数巻に跨がる物語です。
ひとつのエピソードでひとつの経験が味わえます。
それが連載されるわけですから、連載のたびに読み手が経験を積み重ねてより大きく成長できるのです。
これが「読後感」を大きく左右します。
純文学は読んでいて楽しくありません。
「イデオロギー」の押しつけが強いからです。
今の若者は押しつけに強く反発します。
だから中高生は楽しく読めて「イデオロギー」の押しつけもないライトノベルで成長していくのです。
純文学と大衆小説
純文学はひとつの「テーマ」を重層的に畳み込んでくる作品群なので、一作ごとの深みこそあれど広がりがありません。
そのため書き手の観念や思想といった「イデオロギー」が明確に表れていました。
最近純文学が廃れてきたのは、「イデオロギー」の押しつけが若者にウケなくなったからです。
かつて芥川龍之介氏、直木三十五氏、菊池寛氏、太宰治氏、三島由紀夫氏、川端康成氏、石原慎太郎氏といった面々が、自らの「イデオロギー」を小説の形で世間に広めていきました。
ですが現在ではもう彼らが文壇の中央を占めることはまずないでしょう。
せいぜい試験や受験で設問に出てくるくらいです。
先人に取って代わったのは、娯楽性の高い大衆小説(エンターテインメント小説)を書いた人たちです。
『探偵物語』「三毛猫ホームズ」シリーズの赤川次郎氏、『限りなく透明に近いブルー』の村上龍氏、『ノルウェイの森』の村上春樹氏、『失楽園』の渡辺淳一氏、『模倣犯』の宮部みゆき氏、「十津川警部」シリーズの西村京太郎氏、「浅見光彦」シリーズの内田康夫氏などです。
彼らは「イデオロギー」の押しつけをしていません。
読み手が「娯楽」として楽しめればそれでよかったのです。
ノーベル文学賞候補として毎年最有力とされている村上春樹氏は、おそらく受賞することなく人生を閉じるでしょう。
川端康成氏は読み手に自身の「イデオロギー」を提示しました。
ボブ・ディラン氏も聴衆に自身の「イデオロギー」を提示しました。
しかし村上春樹氏は「イデオロギー」を提示しておらず、きわめて娯楽性の高い作品を発表しています。
「イデオロギー」無しにノーベル文学賞が獲れたら、それはそれで問題があるでしょう。
これは発行部数では村上春樹氏を遥かに凌ぐ『ハリー・ポッター』シリーズのJ.K.ローリング氏がノーベル文学賞候補に名前すら挙がらないことからも明らかです。
ライトノベルの台頭
その大衆小説の流れがさらに先鋭化したのがライトノベルと呼ばれるようになります。
ライトノベルはエピソード単位で幾多の「テーマ」を少しずつ味わっていけるため、底は浅いのですが広がりが大きいのです。
そしてライトノベルは別のエピソードで以前用いた「テーマ」をいつでも繰り返し使えます。
そのため、繰り返すごとに底はどんどん深くなっていくのです。
大衆小説が主役だった時代から、ライトノベルへと変化していく過程で目立って活動したのは、時代伝奇小説の藤川桂介氏『宇宙皇子』、SF小説の菊地秀行氏『魔界都市』、ローファンタジー小説の西谷史氏『デジタル・デビル・ストーリー 女神転生』、ハイファンタジー小説の栗本薫氏『グイン・サーガ』といった面々になります。
彼らの世代から徐々に「ライトノベル」というものが形作られていくのです。
空想科学小説の笹本祐一氏『ARIEL』、宇宙小説の田中芳樹氏『銀河英雄伝説』、ハイファンタジー小説の水野良氏『ロードス島戦記』と深沢美潮氏『フォーチュン・クエスト』がジャンルとしての「ライトノベル」というものを朧げながらも示していました。
そして決定打でありカテゴリーが確立することとなった作品がハイファンタジー小説である神坂一氏『スレイヤーズ』です。
とくに「テーマ」があるわけでもない。
主人公リナ=インバースの魔法だけでたいていのことが解決できてしまう。
旅の相棒となる剣士ガウリイ=ガブリエフとの掛け合い漫才。
読めばひたすら楽しめる。
難しいことはいっさいなし。
この作品から「ライトノベル」が定義付けられました。
経験は語らないともったいない
このように、ライトノベルは楽しければなんでもありです。
ですが主人公はなにげない日常でもさまざまなことを経験しています。
それをできるだけ拾い上げて語っていかないともったいない。
読み手が主人公に感情移入しているときはもちろん、途中から読み始めた方が主人公に感情移入していくためにも、主人公の経験を積極的に書きましょう。
感情移入させるためにも深めるためにも、主人公の経験は小説に不可欠なのです。
主人公の経験が書かれてあるから、読み手は主人公に一歩踏み込めます。
経験が多く書かれれば書かれるほど、読み手はどんどん主人公の中へと踏み込んでいけるのです。
経験は必ず成長につながる
なぜ小説は主人公の経験を書かなければならないのでしょうか。
それは主人公を成長させるためです。
主人公が成長せずに物語が終わってしまうと、「だからどうしたの?」という疑問符が読み手の頭に浮かびます。
まったく意味のない小説を読んでしまったと後悔するかもしれません。
また別の面があります。
読み手は主人公に感情移入しているのです。
だから主人公が経験したことを読み手も擬似的に経験しますし、主人公が成長すれば読み手も成長するのです。
擬似的に経験しても、読み手は現実でも成長できます。
それは「出来事」と解決法が密接にリンクしているからです。
「出来事」を擬似的に経験すれば、読み手は「この出来事をどうやって解決すべきか」について悩みます。
読み手は「読み手の解決法」をまず思い浮かべるのです。
そして小説を読み進めていけば、主人公がどんな解決法をとり結果どうなったのかが明らかにされます。
ここで読み手と主人公との間に乖離が生じるのです。
そうなると読み手が小説から離れていってしまうような錯覚を読み手は覚えます。
そうです。錯覚なのです。
実際には読み手と主人公の出した解決法が異なった場合、読み手の側が主人公に歩み寄ります。
つまり主人公へさらに一歩没入するのです。
だからこそ主人公にはさまざまな経験をさせてください。
それが主人公のみならず読み手の成長につながります。
最後に
今回は「経験を語ることで読み手は成長する」ことについて述べてみました。
「出来事」が起こってどう解決するのか。それが経験です。
文字の上での経験であっても、読み手は現実に成長していきます。
問題解決の方法をひとつ手に入れられるからです。
もちろんそれが最適解かもしれませんし、まったく使えないものかもしれません。
それであっても「選択肢が増える」ことは「今後の可能性を広げる」ことにつながります。
できるだけ多くの「選択肢」を持つことが、「成長」なのです。
将棋界で躍進する藤井聡太六段(執筆当時)は「詰将棋」にめっぽう強いことで知られています。
つまり藤井六段は他の人よりも多くの「選択肢」を思いつくことができるのです。
だから中学生で六段にまで昇段できたのです。
「選択肢を増やす」ことが、現実世界でもたいせつなことがわかる一例ではないでしょうか。
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