319.執筆篇:共感できる主人公

 今回は「主人公」についてです。

 何度か触れていますが、「共感」という視点から述べてみました。





共感できる主人公


 小説には主人公が不可欠なのはこれまでにさんざん述べてきました。

 ではどんな主人公でもいいのでしょうか。

 たとえば「惨忍な殺人鬼」が主人公でも、その小説は大衆ウケをすると思いますか。

 トマス・ハリス氏『羊たちの沈黙』の主人公ハンニバル・レクターは映画でその狂気を描かれましたが、レクター博士に共感できた人はどれだけいたのでしょうか。

 もし共感した人が思いのほか多かったら、きっと殺人事件が多発したことでしょう。




共感できると感情移入しやすくなる

 主人公は読み手が感情移入することで、小説世界を疑似体験するためのセンサーの役割を担っています。

 つまり小説世界から発せられる感覚や気配などを読み手に伝えるのが主人公の重要な役割です。

 では冒頭の「惨忍な殺人鬼」が主人公としてふさわしいかどうかについて考えてみましょう。

 まず日本人は儒教の影響をそれほど受けていないにもかかわらず「性善説」でまわっています。

 儒教の国である韓国は逆に儒教の教えに反して「性悪説」がはびこっているのです。

 それを考慮したうえで「惨忍な殺人鬼」に自分の感情を重ね合わせることができるでしょうか。

 日本人は「性善説」の人種ですので「惨忍な殺人鬼」に自分の感情を重ね合わせるのが不得意です。

 日本人でも「性悪説」な方もいるので、完全に「惨忍な殺人鬼」がダメだとは言えません。

 ただ日本人の大半は「性善説」に立っていますから「惨忍な殺人鬼」はなかなか受け入れられないのです。

 同じように「退廃的な主人公」「破滅型の主人公」「遊蕩奔放な主人公」というのもなかなか人気が出ません。

 プロの小説の書き手はそれを熟知しているからこそ「惨忍な殺人鬼」「退廃的な主人公」「破滅型の主人公」「遊蕩奔放な主人公」を避けています。


 ですが少数であってもその少数が強力な核(コア)を持っているため、こういった主人公がしばしば大ヒットを飛ばすのです。

 プロの書き手の小説としては『限りなく透明に近いブルー』の村上龍氏や『失楽園』の渡辺淳一氏、村上龍氏の作風をさらに退廃的にした村上春樹氏などが挙げられます。

 村上春樹氏の小説が世界で大ヒットするのも、海外のたいていの国が「性悪説」でまわっているからです。

 つまり「こうあるべきという理想なんてクソ食らえだ」という主人公の性格は「性悪説」の人の感性にピタリとハマります。

 ただ「退廃的」な「性悪説」の小説がノーベル文学賞を受賞したことは一度もないはずです。

 社会規範から外れた人を褒めそやすような小説が社会の平和に寄与するのか。

 そう考えればノーベル文学賞の選考基準は明確ですよね。

 村上春樹氏はノーベル文学賞の有力候補と呼ばれ続けてすでに十数年経過していますが、いまだに受賞していません。

 前回のノーベル文学賞受賞者であるカズオ・イシグロ氏の作風は「人間の弱さや認識の齟齬そご」にテーマを当てていて、「退廃的」な作風である村上春樹氏とは明らかに異なります。

 今の作風のままでは村上春樹氏がノーベル文学賞を受賞することはまずないでしょう。

 村上春樹氏のファンの方には申し訳ないのですが、私の偽らざる考え方です。




感情移入を強制しない

 小説は、読み手が主人公に感情移入して小説世界を体感するのが目的の娯楽です。

 だからといって、読み手を無理やり主人公に感情移入させようとはしないでください。

 たとえば「惨忍な殺人鬼」が主人公だとして、どうにかして読み手を主人公に感情移入させたいとします。

「あの男が嫌いだ」「あの男が憎い」「あの男を殺してやりたい」という狂気を書き連ねて「これだけ主人公の感情を書けば読み手も食いついてくるはず」などと思わないことです。

 主人公の感情をどれほどつぶさに連綿と書いていっても、読み手の性格と合わない主人公には感情移入なんてできません。


 でもどうしても「惨忍な殺人鬼」を主人公にしたいという方もいますよね。

 たとえば推理もので犯人が主人公という、テレビドラマのピーター・フォーク氏主演『刑事コロンボ』、テレビドラマの田村正和氏主演『古畑任三郎』のようなパターンです。

 そんなときは、主人公が変貌していくさまを書いてください。

「子どもの頃に親族から虐待を受けていた」「学校でイジメに遭っていた」「ラブレターを書いたら黒板に貼られてしまった」「告白するも『好みじゃないから』とすげなく断られた」「大学受験に失敗した」「生物の時間でカエルの解剖をしたらなぜかしっくりきた」などですね。

 普通の人物がいかにして「惨忍な殺人鬼」となったのか。

 その理由を相当量書いて読み手に示してみましょう。

 読み手に段階を追ってもらい、主人公が「惨忍な殺人鬼」と化した過程を体感してもらうのです。

 そうすることで、読み手はゆっくりと「惨忍な殺人鬼」へ感情移入できるようになります。

「現状抱いている負の感情」を書くのではなく、「現状に至るまでの負の感情の積み重ね」を書くのです。

 それでもやはり「惨忍な殺人鬼」に感情移入できる人は限られてきます。

 ミステリー小説やスリラー小説をあまり読まない方は、「惨忍な殺人鬼」の心理が理解できないからではないでしょうか。

 共感できない主人公の作品は、読み手が限られてくるのです。




共感できる主人公は感情移入しやすい

 対して読み手が自然と感情移入しやすい主人公がいます。

「共感できる主人公」です。

 読み手と対して変わらない主人公は、とても感情移入がしやすくなります。

「平凡な男子高校生が、異世界に飛ばされて勇者とみなされて大魔王と戦わなくてはいけなくなった」という「異世界転移ファンタジー」のテンプレートは、「平凡な男子高校生」というのがミソです。

 そこらにいる「平凡な男子高校生」だから、読み手は自然と感情移入できて物語に没入することができます。

「平凡な男子高校生」のとりそうな選択肢を主人公が選ぶから、読み手は主人公に共感できるのです。

 読み手の多くが「平凡」だからこそ、主人公が「平凡」なら共感を抱けます。




憧れる主人公

「共感できる主人公」と同じように感情移入しやすい主人公がいます。

「憧れる主人公」です。

 平凡な主人公でも、たった一点でいいので「平凡」よりもすぐれているところを盛り込みましょう。

 私は中国古典・孫武『孫子』の愛読者なので、田中芳樹氏『銀河英雄伝説』の主人公の一人ヤン・ウェンリーに憧れています。

 他は取り立ててすぐれた面はないのだけど、用兵手腕に関しては天才ラインハルトの上を行くという一点でのみ超人的な能力を有しています。

『銀河英雄伝説』には用兵巧者として銀河帝国の主人公ラインハルト・フォン・ローエングラム、ジークフリード・キルヒアイス、ウォルフガング・ミッターマイヤー、オスカー・フォン・ロイエンタールの四名が傑出し、自由惑星同盟の主人公ヤン・ウェンリー、アレクサンドル・ビュコック、帝国からの亡命者ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツの三名も挙げられるでしょう。

 いずれも高い用兵手腕を見せて読み手を楽しませています。

 川原礫氏『ソードアート・オンライン』なら「二刀流」スキルを有する主人公のキリト桐ヶ谷和人は憧れの対象となったのではないでしょうか。

「憧れる主人公」はその魅力によって読み手が感情移入しやすいのです。

『シャーロック・ホームズの冒険』の主人公シャーロック・ホームズも、天才的な推理力によって世界中に熱狂的な「シャーロキアン」がいるほどに「憧れる主人公」と言えます。





最後に

 今回は「共感できる主人公」について述べてみました。

 上級者にならないうちは「共感しづらい主人公」を設定しないほうがよいでしょう。

 まずは読み手が「共感できる主人公」であること。

 それだけであなたの小説は見違えるほど多くの評価を集めることができます。

「共感できる主人公」とは読み手に近しい存在です。

「あ、ここでこの選択をするんだ。私もここでは同じ選択をするだろうな」というように価値観が一致していると共感しやすくなります。

 また「憧れる主人公」も読み手の心を強く掴むことができるのです。

「えっ、ここでその選択をするんだ。気づかなかったな」と主人公が読み手の上を行く能力を示すと、無意識に読み手は主人公に憧れを抱きます。

 主人公の人物像が決まらないようでしたら「共感できる主人公」であり「憧れる主人公」でもあるようにしましょう。



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