執筆篇〜わかりやすく書くための心得
299.執筆篇:語彙は要らない
今回から「執筆篇」に入ります。
より実戦に近いシリーズとなりますので、私も気を引き締めて取りかかりたいと思います。
語彙は要らない
今回も結構攻めたサブタイトルですね。
「小説を書くほどの人は日本語に詳しくなければならない」
「語彙をどれだけ多く憶えているかが、小説の書き手に求められている」
ついそんな勘違いをしてしまいがちです。
「勘違いだなんて甚だしい。語彙がなければ小説なんて書けはしないぞ」
そう言われることを承知で見ていきましょう。
わかりにくい言葉を使わない
小説とは「物語を文章で表した」ものです。
「物語を文章で表す」わけですから、わかりやすい文章が望ましいと思います。
たとえば「あ〜あ、もう金時の火事見舞いだよ」と書いたとします。
この「慣用句」、辞書を引かずに意味がわかりますか。
おそらくほとんどの方がわからないことでしょう。
「かねどきのかじみまい」というくらいだから「火事に遭った家に見舞金として金を出すことなんじゃないか」と思ってしまう人もいるはずです。
ですが実際は「きんときのかじみまい」と読みます。
人によっては早合点して「火事の見舞いに宇治金時を贈ったのかな」と考えるかもしれません。
正しい意味は「酒に酔って顔が真っ赤になる様子」を指すのです。
なぜかというと「ただでさえ顔の赤い坂田金時(金太郎)が火事を見物に行くと現場の熱気でますます顔が赤くなる」からだと言います。
はたして何人の方がこの意味と理由を正答できたでしょうか。
おそらく百人の中で三人くらいは知っているかもしれない程度だと思います。
ではそれほどまでに理解度の低い「慣用句」を使って小説を書いたら、読み手はどう思うでしょうか。
明治後期から昭和中期までの、いわゆる「文豪」の作品であれば辞書を引きながらでも読むことがありますよね。
学校の国語の授業で「文豪」の作品を読まされますし、進学試験対策として学習塾でも読まされる可能性があるからです。
でも現在活躍している小説の書き手たちが「金時の火事見舞い」や「待てば甘露の日和あり」などの理解度の低い「慣用句」を用いたらどうでしょう。(まぁ後者は「待てば海路の日和あり」と読み替えられています。意味は同じですが本来「甘露」が正しいのです)。
読み手は「なんのこっちゃ」と思ってその表現を読み飛ばします。
つまり理解度の低い「慣用句」を使って、ムダに文字数を費やしてしまったわけです。
これでは限られた文字数をあまりにも浪費しすぎです。
小説にムダは要りません。
物語で描かれるエピソードやシーンに意味不明な言葉を用いて、読み手が明確にその場面を頭に思い描けますか。
無理ですよね。
「あ〜あ、もう顔が真っ赤だよ」「辛抱強く焦らずに時機を待とう」と書いたら一瞬で内容を理解できますよね。
わかりやすい文章を書くためには「わかりにくい言葉を使わない」ことが大前提です。
異世界ファンタジーで
異世界ファンタジーに「四面楚歌」「五里霧中」「味噌を付ける」という表現が出てくると違和感を覚えませんか。
「古代中国で帝国・秦を倒した諸侯を従えた楚の国の軍が、覇権を争い民衆を従えた漢の国の軍に取り囲まれて懐かしい郷里『楚』の歌が四方から聞こえてきて戦意を喪失する」という故事を異世界の人物が知っているはずがないのです。
また「五里霧中」は「五里霧の中にいる」ことです。「五里霧」は「周囲五里にわたって霧が立ち込めている」ことなので、距離の単位「里」を異世界の人が知っているはずもありません。
異世界なのに「味噌」がそもそもあるのかすら怪しいですよね。
知らないはずの単語やエピソードを使ってしまうと、異世界ファンタジーが成り立ちません。
「異世界転移ファンタジー」であれば「日本人である主人公との会話はそのまま異世界の言葉に自動翻訳され、その逆もある。日本人が知っている表現を使ってもじゅうぶんに相手に通じるから間違いではないんだ」と屁理屈を主張する手もあります。
しかし「異世界転生ファンタジー」であれば「現実世界の記憶を残したまま転生した」のか、「まったく記憶を持たずに転生した」のかによって取り扱いが異なります。
「現実世界の記憶を残したまま転生した」場合は「異世界転移ファンタジー」でついた屁理屈がここでも通るのです。
でも「まったく記憶を持たずに転生した」場合は現実世界の固有名詞が使えません。「異世界転移ファンタジー」の屁理屈は通用しないのです。
異世界を舞台にしたファンタジーであれば、現実世界の固有名詞は極力使わないように配慮しましょう。
こんな難しい表現を知っているんだぜ
語彙の中でも最も危険なのが上記の「慣用句」「故事成語」「四字熟語」です。
しかしその成立の過程を知らなければどうしても
それでもそんな難しい言葉を知っていることをついアピールしたくて、「こんな難しい表現を知っているんだぜ」自慢として難しい言葉を使ってしまうことが多いのです。
読み手としては「こんな難しい表現を知っているんだぜ」自慢をされたところで、肝心の小説がわかりやすいとは思わないのです。
作品の理解度には天と地ほどの差があります。
またこういった「慣用句」「故事成語」「四字熟語」は明治後期からすでに多くの書き手が用いてきた、まさに「手垢まみれの凡百な表現」です。
「あなたらしい表現」とは真逆に位置しています。
難しい表現を知っていることは、たしかに教養の一端を示します。
しかし書き手であるあなたの知的レベルがいかに高いかは、小説の面白さを担保しません。
難しい表現を目の当たりにした読み手がいちいち辞書を引くでしょうか。
おそらく多くの人は辞書を出さずに小説を閉じます。
あなたが「文豪」ではないからです。
誰からも「この人の作品は面白いから、辞書を引いてでも読むべきだ」と言われるはずがありません。
いくら難しい「慣用句」「故事成語」「四字熟語」を知っていたとしても、これ見よがしに用いてあなたの国語能力をアピールするなんてことをするべきではないのです。
自慢が見えた途端、読み手は書き手であるあなたに失望します。
だから難しい表現は避けてわかりやすい表現を模索すべきなのです。
でも芥川龍之介賞(芥川賞)や直木三十五賞(直木賞)を獲るような「純文学」私の言う「文学小説」の場合、「こんな難しい表現を知っているんだぜ」自慢をしなければ批評家にウケません。
語彙は要らない
もちろん語彙を完全に憶えなくてよいわけでもありません。
基本的に和語の語彙はできるだけ数多く憶えておいたほうがいいでしょう。
ですが「慣用句」「故事成語」「四字熟語」は現実世界の小説を書くときでなければ活かせません。
あなたが「ファンタジー小説」で名をあげたいとして「慣用句」「故事成語」「四字熟語」が活かせるのは「ローファンタジー」だけです。
「ハイファンタジー」や「異世界恋愛」などにはいっさい使えません。
使えない表現を山のように憶えてもほとんど意味がないのです。
あなたが「ハイファンタジー」を書きたいのであれば、「慣用句」「故事成語」「四字熟語」を憶える必要なんてありません。
またあなたが現実世界の小説を書く場合にも「慣用句」「故事成語」「四字熟語」などの手垢まみれな表現は一般的に評価を下げます。
先ほど述べたように「文学小説」はこれらを有り難がる稀有なジャンルですが。
だから今世間で流行っている「語彙力」というものは「小説を書く」ことに特化して言えばほとんど意味がないのです。
そんな言葉を憶えるくらいなら、あなただけの表現を見つけ出す時間を作るべきでしょう。
最後に
今回は「語彙は要らない」と題して述べました。
現在の小説は「読みやすさ」が第一です。
わかりにくい「慣用句」「故事成語」「四字熟語」などは極力省きましょう。
わかりやすくても手垢まみれなものも省くべきです。
ある物事や状態や状況を「あなたらしい表現」で書くことができれば世間の評価も高くなります。
難しい「慣用句」「故事成語」「四字熟語」を有り難がるのは「文学小説」くらいです。
あなたが今後「文学小説」に進出して芥川賞や直木賞を狙いに行くのなら、それらを憶えても損はしないでしょう。
その判断はあなた自身が下すべきです。
あなたが狙いたいのはライトノベルですか、エンターテインメント小説(大衆小説)ですか、文学小説ですか。
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