282.表現篇:細かな数字を示すとリアリティーが増す

 今回も「具体的なこと」についてです。

 数字を出すことでリアリティーが増して具体的になります。

 ファンタジーではぼかしたいところもあると思いますが、ある程度のリアリティーがなければ皆が楽しく読んでくれません。





細かな数字を示すとリアリティーが増す


 あなたは「今すぐ部長室へ来なさい」と言われるのと「五分以内に部長室へ来なさい」と言われるのとでは、どちらがより急いで行動しますか。

 これが細かな数字を明示することの利点です。




小説に具体的な数字は必要か

 小説は物語を進めるうえでとくに重要でないことは「書かない」ことつまり「省く」ことが求められます。

 当然細かな数字や具体的な数字も、物語に絡まないのであれば書く必要はありません。


 たとえば戦争小説において主人公の身長はある程度書いたほうが「対になる存在」との比較として具体性が生まれます。

 主人公が百七十センチメートル前後で、「対になる存在」が二メートル前後であれば比較すると「対になる存在」の威圧感が演出できるのです。


 それに対して主人公の体重を書く必要はあるのでしょうか。

 スポーツ小説たとえば階級制のボクシングやレスリングや柔道などを題材にしているのなら体重は必ず書かなければなりません。

 恋愛小説でも女子が体重を気にするシーンなどを入れて日常を演出できるため、できれば書くべきですよね。

 でも戦争小説に体重は必要でしょうか。

 まず要りませんよね。

 戦争は体重比べをするわけでもありません。

 身長のように対峙したら見た目の比較ができるのなら書くべきなのです。

 でも対峙して体重を比較することなどありません。


 吉川英治氏『三国志』でも登場人物の身長が何尺何寸かは書いてありますが、体重が何斤かは書かれていません。

 体重は登場人物の中で気にしている人だけ設定しておけばいいでしょう。

「省く」技術です。

 ですが関羽(雲長)の得物である「青龍偃月刀」は八十二斤と具体的な重さが書かれています。

 グラムに直すとだいたい十八.二キログラムです。これだけ重い物を軽々と振り回せるというだけで関羽の剛力や強さを象徴しています。

 このように身長は威容を表すため、得物は強さを表すために具体的な数字を出しますが、体重はそれほど重要でないため「省略」されているのです。




距離や長さも具体的に

 物語に出てくる長さや距離もたいせつです。

 たとえば巨大クジラが登場するとして、それは何メートルあるのでしょうか。三十メートル級かもしれませんし五メートル級かもしれません。

 アニメの安彦良和氏&富野由悠季氏『機動戦士ガンダム』の主役ロボットであるガンダムの全長は十八メートルです。

 アニメの東映テレビ事業部『超電磁ロボ コン・バトラーV』の主役メカは主題歌で示されているように五十七メートルになります。

 巨大ロボットといってもガンダムとコン・バトラーVでは3倍も背の高さが異なるのです。でも作中で比較されたわけではないので、実際に3倍ほどの差は感じなかったのではないでしょうか。


 距離もたいせつです。長さの単位がそのまま用いられるのが通常です。

 しかしファンタジー世界においては実際に長さの単位を用いて距離を示すことはまずありません。

 たいていの場合は「そこに行くまでの日数」によって距離が表されることが多くなります。

 これは長さに独自単位を用いている場合、距離にもその単位を使ってしまうと読み手に負担を強いるからです。

 具体的にどの程度離れているのかを、いちいち現代単位に換算しながら読まなければなりません。

 それでは読み手にわかりやすいとは言えないため、距離はたいていの場合「日数」で表されます。




細かな時間は科学力の証

 一方「時間」については要注意です。


 たとえば現代日本を舞台にするのであれば、時計台や掛け時計、懐中時計に腕時計、携帯電話にスマートフォンにスマートウォッチと、たいていのものに「時刻」が書かれています。

 これはアメリカだろうとフランスだろうとオーストラリアだろうと同じです。

 でも同じ現代でも中東やアフリカなどでは時計台や掛け時計というものを見ることはまずありません。

 持ち歩けるもので時刻を把握するしかないのです。

 それでは住民が不便するのではないかと思われますよね。

 そういう地域では朝日が昇る頃に起きて、日が沈んだら眠るという生活をしているものです。

 そうであれば時刻がまったくわからなくても生きていけます。


 SF小説は科学が発展している世界なので、現代よりも時刻にシビアになっている可能性があります。

 たとえば光が約三十万キロメートル/秒ですから、光子時計というものが普及していれば十万分の一秒単位で時間が刻まれているかもしれません。そうなると百メートル走では現在は九.九八秒と小数点以下2桁で競われていますが、九.九八七六五秒のように小数点以下五桁までで競われる可能性もあります。

(2019年6月にサニブラウン・アブデル・ハキーム選手が日本人最高9.97を記録しました。おめでとうございます)。

 それだけ時刻にシビアなら、立ち食いそば屋があれば食券を買って座席に座るだけで注文した天そばが出てくる可能性もあるのです。

 なんでもかんでも時間効率が優先される社会として描写していくことになるでしょう。


 となれば書き手の多い「ファンタジー」小説が気になりますよね。

 ファンタジー小説の世界はたいていが中世ヨーロッパ風の世界観です。

 そこに魔法が加味された世界として書かれています。

 日本でも飛鳥時代には水を利用した時計が発明されていますから、時計があっても問題ではありません。

 ただし時計を携帯できるほどコンパクト化するには科学技術が進歩していなければなりません。

 便利な「魔法」という存在があるのに、手間のかかる「科学」に依拠した懐中時計や腕時計が存在するのでしょうか。

 さすがに携帯電話やスマートフォンやスマートウォッチがないことは想像できますよね。

 懐中時計や腕時計があればいつでもどこでも現在時間を知ることができるのです。

 便利なことこのうえありません。

 であれば「科学」で動く懐中時計や腕時計というものはまず存在しないと思います。

 代わりに「魔法」で動く懐中時計や腕時計であれば存在している可能性があるのです。

 しかし魔法懐中時計・魔法腕時計はどれほど庶民に普及しているものなのでしょうか。

 ここも具体的な数字で表すべきでしょう。

 たとえば二十五%や五十%や八十%といった普及率が具体的に書かれていれば、それだけでリアリティーがぐっと増します。





最後に

 今回は「細かな数字を示すとリアリティーが増す」ことについて述べてみました。

 とくにSFは数字にシビアです。

 田中芳樹氏『銀河英雄伝説』では会戦の参加艦艇数と人員数が必ず一の桁まで書かれています。

 当然破壊された艦艇や戦死者数も一の桁まで書かれているのです。

 また自由惑星同盟軍のヤン・ウェンリーは敵との距離を「時間」で示してくれと部下に伝えてあります。

 これも読み手にわかりやすくなるようにする田中芳樹氏の配慮です。


 対してファンタジーは具体的な細かな数字を示すことが難しい。

 幻想の世界が舞台なので細かな数字を示すことで世界観が明瞭になってしまい、幻想感が薄れていくからです。

 だから「三〇〇〇メートル」と書くより「三千メートル」と書くなど、できる限り細かな数字を出さないようにして幻想感を保ちつつ数字を挙げていくことが求められます。

 たとえば「東京スカイツリー」の高さを「六三四メートル」と書くか「六百三十四メートル」と書くかでSFなのかファンタジーなのかを分けることもできるのです。



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