281.表現篇:神は細部に宿る

 今回は「細部に凝る」ことについてです。





神は細部に宿る


「神は細部に宿る」とは建築分野で有名な言葉です。

「建築の真髄は細部に凝ることだ」という意味合いを持ちます。

 小説も実は「神は細部に宿る」ものなのです。




細部に凝る

 多くの書き手は「パッと見」でわかる全体像を書くのがじょうずです。

 しかし誰も見向きもしないような細部を書くことに長けている人は少ない。

 なぜでしょうか。

 人間であれば誰もが「パッと見」で物事を見ています。だから全体像はどんな書き手であっても書けるのです。


 ある心理学の実験によると、スーツの男性が道を尋ねてきたとき道を教えようとしたタイミングで大きなパネルが二人の間を通り抜け、その最中にスーツの色が違う男性にすり替わって、道を尋ねられた人が違いに気づくかを調べたそうです。

 すると半数以上はスーツの男性が入れ替わったことに気づかなかったといいます。

 なぜかというと「パッと見」で男性を見ていたため、変わっても「パッと見」が劇的に変わらなければ気づかないのです。

 一昔前テレビ番組において、脳科学者である茂木健一郎氏が「アハ体験」と称して「映像の一部が変わっていきます。どこが変わっていったのか見つけてください」という問題を出していました。

 すぐにわかる人もいれば、最後まで見てもわからず三回繰り返してすらわからなかった人もいます。

 何度見てもわからない人は「パッと見」でしか物事を見ていないのです。

 だから細部が変わったことに気づきません。


 一方「パッと見」で見ているその人や物のどこか一点を凝視して観察する人は稀です。

 先ほどの茂木健一郎氏の「アハ体験」ですぐに変わっていく部分がわかる人が少なかったシーンを観た人もいらっしゃると思います。

 これが「細部に凝る」ことにつながってきます。


 凡百の書き手は「パッと見」でしか見た目を表現しません。せいぜい背の高さ、体型、肌の色、髪の色、瞳の色といったあたりを書くだけです。

 しかし一端いっぱしの書き手ともなれば「違いのある細部を詳しく読み手に見せる」ための表現に凝ります。

 それによって「なにがどう違うのか」「どの部分がどう違うのか」をまるで凝視したように読み手の心へ情報として留まるのです。

 だから読み手は見ている人や物のことをより鮮明に記憶に残すことができます。

 一端いっぱしの書き手はそのことを熟知しているので、あえて「細部に凝る」のです。

 なにも些細なことをつつくような気持ちで書いているのではありません。

 その細部のわずかな違いにこそ、その人や物の決定的な違いにつながる要素が多いのです。




群像劇と一人称視点

 ここまで読んできて、まだ「細部に凝る」必要を感じない方はそれはそれでよいと思います。

 とくに群像劇で「細部に凝りすぎる」と文章は必要以上に長くなり、物語の終わりが見通せなくなるからです。

 でも一人称視点の小説であれば「主人公が人や物のどんなところをよく見ているのか」を詳しく書くことをオススメします。

 主人公の着眼点や物事の見え方捉え方、そして考え方も地の文からあらかた読み手に伝わるからです。


 あなたが書いている小説が群像劇である確率はかなり低いはずです。

 それは小説投稿サイトに投稿される小説の中でも「ファンタジー」ジャンルの作品が圧倒的に多いことからもわかります。最大手の『小説家になろう』では投稿作品のうちだいたい六割が「ファンタジー」です。

「ファンタジー」は世界観や舞台など決めるべきことがとても多い。

 これを三人称視点で書いていたら、文章は説明だけで埋め尽くされてしまいます。

 だから「ファンタジー」は一人称視点で書く人が多いのです。

 一人称視点であれば主人公に見える範囲の設定を考えるだけで済みますし、世界観や舞台の説明を延々と書き連ねる必要もありません。

 必要なときに必要なことだけ書けばいい。

 だから一人称視点のファンタジーが全盛になるのです。




人物の行動も細部に凝る

 人物の行動を印象づけるには、細やかで鮮明な描写が必要です。

 人物の行動は描写が細かいほど人間味が生まれて親しみやすく信頼を感じさせます。

 たとえばカップでコーヒーを飲む人がいつも持ち手の小指を立てて飲むクセがあったら、それを書くことで人間味があふれてきませんか。

 ひじょうに小さなクセも見逃さない視点の持ち主の眼力や繊細さがわかるはずです。


 たとえば照れたときに顔のどこかを指でなぞる人が身近にいませんか。

――――――――

 達也は照れくさそうに、もみあげの下を右手の人差指で掻いている。

――――――――

 人もいれば、

――――――――

 雄三は照れくさそうに、鼻梁の脇を左手の人差し指を立ててなぞっている。

――――――――

 人もいます。

 また照れたときに頭を掻く人もかなりの数いますよね。


 これらは一見すれば些細な描写の一文に過ぎません。

 しかし小説内で繰り返し出てくる動作であればどうでしょうか。

 達也と雄三のクセとして際立ちますよね。そしてクセが明確に書かれている人物は次第に「キャラが立って」きます。

 あなたが書いている小説でどうにも「キャラが立たない」人物はいないでしょうか。

 そんな人物にはクセを作ってあげましょう。

「無くて七癖」と言います。ざっくり言えば、どんなにクセがないと思っている人でも、傍から見れば七つもクセが見つかるという意味です。

 ですがクセを七つも考えるのはさすがにしんどい。ひとりの人物に七つもクセをあてがう決まりにしてしまうと、登場人物が増えるほどクセの設定に困ってしまいます。絶対に誰かとクセがかぶってしまうのです。

 それではクセを書く意味がありません。

「これは!」というひとつのクセだけに絞って設定してあげてください。

 そうすれば自然と「キャラが立ってくる」のです。

 クセという「細部に凝る」ことで小説の完成度が増します。


 田中芳樹氏『銀河英雄伝説』で主人公ラインハルト・フォン・ローエングラムはある時期から首から提げている金色のペンダントをいじくるクセが明確に描かれています。

 これは盟友であったジークフリード・キルヒアイスの赤い髪の毛をいじくるクセが変化したものです。

 代償行為がペンダントをいじくるクセに現れていました。


 テレビドラマの水谷豊氏主演『相棒』シリーズでは、主人公の杉下右京警部が飲む紅茶の淹れ方に凝っています。

 最初はティーポットもティーカップも近いところに持っています。

 そこからティーポットを離しながらティーカップに紅茶を注いでいくのです。

 視聴者としては「右京さんの紅茶の淹れ方が面白い」と思います。

 たったひとつのクセですが、それだけを見ても「やっぱり杉下右京だよなぁ」と感じるのです。

 水谷豊氏は役作りを徹底することで有名な俳優です。

 テレビドラマ・水谷豊氏主演『熱中時代・先生編』では北海道出身の小学校教師を演じました。

 その際自らの子供時代でとても特徴的なしゃべり方をする先生をモチーフにしてあの朴訥ぼくとつとしたキャラを作りあげたそうです。

 テレビドラマの萩原健一氏主演『傷だらけの天使』で情けない役を演じさせれば「どのような演じ方をすれば情けないけど憎めない人物像になるのか」を徹底して突き詰めていました。

 そして『相棒』の杉下右京も、知性派でインテリで嫌みな性格を持ちつつ、パートナーとなる相棒とは気さくな語り口でしゃべるのです。

 犯人を追い詰めて自白を引き出すため、ときに優しく諭し、ときに激しく諌める場面で「いいかげんにしなさい!」と叫びます(このとき体がプルプルと動くため「プルプル右京さん」とも呼ばれています)。

 水谷豊氏はそこまでキャラの心底を突き詰めて役作りする役者なのです。

 若手の役者でここまで徹底した役作りをするのは松山ケンイチ氏と鈴木亮平氏くらいなものではないでしょうか。





最後に

 今回は「神は細部に宿る」ことについて述べてみました。

 小説には映像がありません。すべてが読み手の「妄想」で人や物を思い浮かべるのです。

 仮に小説内で「神」という単語だけが出てきたとします。

 その中で「天照大神あまてらすおおみかみ」「ゼウス」「アラー」「オーディン」など読み手がどれを妄想するのか。「神」という単語だけだと書き手には「妄想」をコントロールできません。

 書き手がコントロールして小説内で読み手にとっての「神」を「オーディン」一柱に決めることが「細部を書く」ということなのです。

(日本の神様の数え方は「柱」です。北欧神話の神を「柱」と書いていいかはお叱りを受けるかもしれませんが、日本語の小説である以上、日本の数詞でもいいのではないでしょうか)。

「細部を書く」ことにこそ「書き手の存在意義」があるとしてもいいでしょう。



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