279.表現篇:感情は直接書かない(2/2)

 今回は「感情を直接書かない」ことの第二弾です。

 いっそ書かない、代替行為に置き換える、月並みな表現をしない、仮託することについて述べました。





感情は直接書かない(2/2)


 前回の「感情は直接書かない」の続きなのですが、長くなったのとちょっと特殊な例なので一回ぶん設けます。




いっそ書かない

 上級者向けなのですが、中級者も憶えておくと小説の質が高まるテクニックがあります。

 それは「感情表現そのものを書かない」ことです。

 言葉だけを見ると不可能な気がしてきますよね。

 それが中級で成長が止まってしまう限界点なのです。

 たとえばケンカをしていた男女がいます。女は仲直りしようと男のもとへとやってきたと想定して例文を出してみましょう。

――――――――

 私は意を決して英輔が住むアパートの部屋の前へやってきた。

 なんと声をかければいいのだろう。どうすれば彼と仲直りできるのだろう。

 そう考えるとなかなか呼び鈴が押せない。

 もうどうにでもなれ!

 そんな思いで呼び鈴のボタンに力を込めた。

「鍵は開いてるぞ」

 英輔の声が聞こえてくる。

 震える手を押し鎮めるようにゆっくりとドアノブを回した。

 カチャッと軽く音を立てながらドアを開ける。

 するとまさに目の前に背の高い英輔が立っていた。

 ギクッと釘を刺したように心臓が不規則に高鳴る。

「あ……あの、その……昨日はごめんなさい。私、急に怖くなっちゃって……」

 彼の顔を窺うように少し上目遣いで見た。

「そんなことは、もう気にしていない」

 いつも仏頂面の英輔は今もあいかわらず無愛想だ。

「でも……今もまだ、言葉にトゲがあるみたいで……」

 彼は突然表情を崩して間の抜けた顔をしてきた。

「これで信じてくれるか?」

 突然変な顔を見せられ、腰砕けになる。

「え、えぇ……まぁ……」

 こんなこと、いつもの英輔ならするはずがなかった。それだけ昨日のことは気にしていないのだろうか。

「よければ、これからもお付き合いしてくれないかな……。昨日みたいなことはできるだけないようにするから……ねっ?」

「とりあえず、一緒にいるときくらいスマホの電源を切ってくれたら考えようか」

「わ、わかったわ。もう二度と話している最中にスマホはいじらない。これ二人だけの約束。その代わり英輔も二人きりのときはスマホの電源は切ってね」

「交渉成立だ」

 英輔は大きな手を差し出してきた。

 私は両手で包み込むように握る。彼の分厚い胸板に飛び込んでぎゅっと抱きしめた。

「英輔、大好き!」

――――――――

 まぁテンポを考えるとこのくらいは書かないといけないわけです。

 ですがちょっと「野暮ったい」感じがしませんか。

 ここから感情表現をできるだけ省きます。「省く」技術です。

――――――――

 私は意を決して英輔が住むアパートの部屋の前へやってきた。

 もうどうにでもなれと呼び鈴のボタンに力を込めた。

「鍵は開いてるぞ」

 英輔の声が聞こえてくる。

 震える手を押し鎮めるようにゆっくりとドアノブを回した。

 カチャッと軽く音を立てながらドアを開ける。

 するとまさに目の前に背の高い英輔が立っていた。

 心臓が不規則に高鳴る。

「あ……あの、その……昨日はごめんなさい。私、急に怖くなっちゃって……」

 彼の顔を窺うように少し上目遣いで見た。

「そうか」

 いつも仏頂面の英輔は今もあいかわらず無愛想だ。

――――――――

 以下すべて削除しました。

 なぜこれで仲直りができたと読み手に思わせることができるのでしょうか。


 たとえば次のシーンで二人が普通に会話を交わしているとしたら。あえて仲直りのシチュエーションを盛り上げる必要がありませんよね。

 仲直りの場面を盛り上げたいわけではなく、仲直りのきっかけを読ませてその後実際に仲直りしていればいいのですから。


 またこのシーンがラストシーンかもしれません。

 とくに短編小説やショートショートの場合、仲直りしてハッピーエンドで終わらせたいと思いますよね。

 だから仲直りの場面を盛り上げて二人の仲が元に戻ればいいわけです。

 ここで重要になってくるのは「鍵は開いてるぞ」と「そうか」という英輔の二つの語りになります。

 もし英輔が仲直りを想定していなかったとしたら、彼は扉の鍵をかけているはずです。それなのに鍵は最初からかかっていなかった。

 つまり「鍵は開いてるぞ」のたった一言で、英輔も仲直りしたがっていることが表現できます。

 でも扉を開けたら手厳しく叱責されるのではないか、と読み手は思うでしょう。

 そこを「そうか」の一言で英輔には叱責するつもりがないと理解できます。

 実はあと二つほど省けるのではないかと思われるポイントがあったのです。

「そうか」の後の一文も省くべきか。

 無くても書き手の意図は届くはずですが、「そうか」で終わってしまうと読み手に少し疑念が湧くんですよね。

 だからあえて蛇足を承知で次文を書いています。

 いっそ「カチャッと軽く音を立てながらドアを開ける。」の後をすべて省くべきか。

 ここで切っても違和感がありません。


 このような「感情を省く」表現は「上級」テクニックです。

 読み手の受け取り方をほぼ完璧に洞察できていないと使えません。

 初心者が手を出しても「まったく伝わらない」のですが、中級者がうまく用いることができれば「上級」への扉を開くことができます。

「読み手がこの文章を読んでいくと、どのような感情が湧いてきてどのような結末になると想起している」かがポイントです。

「省く」技術の中でも感情ややりとりの「説明」「描写」を「省く」のは勇気が要ります。

 なけなしの勇気を振り絞って「省い」てみましょう。

 それで意味が通じたら、「粋な」演出にできたのです。




代替行為に置き換える

 たとえば「俺は怒った。」という感情を表現したいとしましょう。

 すると前々回や描写篇を参考にすれば「俺は腹が立った。」と書きます。

 これが「代替行為に置き換える」ということです。

「私は恥ずかしくなった。」という感情を表現したければ「私は顔を赤らめた。」と書きます。

 上の二つは「定番の表現」つまり「手垢がついていて使い古された表現」「紋切型」です。

 今こんな表現をしてしまうと読み手が白けます。

 小説を読み慣れていない人ならまだ受け入れられると思いますが、『小説家になろう』様や『カクヨム』様などで長年小説を読み続けている人にはまず響きません。

 響かないだけならまだいいのですが、独創性を感じさせないのです。

 そんな小説に遭遇すると、目の肥えた読み手はそこで読むのをやめます。

 目の肥えた読み手というのは、テンプレートな内容には文句をつけません。

 型にハマった表現が嫌いなのです。

 目の肥えた読み手は「型にハマった表現」に直面すると「目が滑る」つまり読み飛ばしてしまいます。

 実質その表現が「無かったもの」にされるのです。

 「型にハマった表現」ばかりだと『小説家になろう』ならまず文章評価が下がります。

 まぁ1点でも評価してくれる人がいるのなら、それは駄作というわけではないのかもしれません。

 本当に評価するに値しないのなら、評価そのものをしないのですから。

 本コラムも分量の割に評価する人が少ないので「評価するに値しない」のかもしれませんね。

 まぁ本コラムは、私にとって己の執筆スキルを向上させる目的で書いていますから致し方なしですが。

 評価が少なくても、迷いが生じるかぎり連載は続くのではないでしょうか。


 では「俺は怒った。」「私は恥ずかしくなった。」を何に置き換えればよいのか。

「俺は机に拳を叩きつけた。」「俺は椅子を蹴飛ばした。」「私は堪えきれずに顔を両手で覆い隠した。」「私はハンカチをギュッと握りしめた。」

 これらもずいぶん手垢のついた表現になりました。

 でも「俺は腹が立った。」「私は顔を赤らめた。」よりはマシです。

 同様に「危険を回避してホッとした」を「危険を回避して胸を撫で下ろした」と書くのはやめましょう。




月並みな表現をしない

 月並みな表現は手垢まみれで、あなた独自の表現にならないからです。

「不敵に笑った」「身の毛もよだつ」といった慣用句や、「五臓六腑に染み渡る」「七転八倒の苦しみ」のように四字熟語など。いわゆる「紋切型」です。

 これらは「俺ってこんな表現も知っているんだぜ」自慢でしかありません。

 読み手にあなたらしい表現で伝える努力を放棄しています。

 それで言いたいことが伝わるのならいいのですが、たいていの場合は「あ、そうですか」という感想だけで終わるのです。

 伝えたいことはまったく伝わりません。


 書き手はつねに新しい表現を探さなければなりません。

 模索した結果「手垢のついた表現」になるのはいいのです。

 模索もせずに「手垢のついた表現」を意図的に用いるから薄っぺらい表現になります。




仮託する

「感情は直接書かない」ためには上記の「代替行為に置き換える」ことが多いのですが、他に方法がないわけではありません。

 それが「仮託する」ことです。

 たとえば「寂しい」という感情を表現するために「ところどころ錆びついたベンチ」を登場させます。

 その感情に近い、なにか別の存在に置き換えてしまうのです。

「フラレてわびしい」のなら「捨てられた子犬」を登場させます。

 喜ばしければ「クラッカー」、困難に直面すれば「壁」が登場するのはもはや鉄板ですよね。

 気ぜわしいなら「時計」、ゆったりとしているなら「釣り竿」「ハンモック」といったものを登場させます。


 物の状態や使用している状況などに託すことで感情を表現するのです。

 端的に言えば「隠喩メタファー」になります。





最後に

 今回は「感情は直接書かない」の後半を述べてみました。

 省いて伝わるものなら「省く」ようにしましょう。

 代替行為に置き換えられるなら置き換えてみましょう。

 省いてどうにも落ち着かないようなら、なにかに託してみましょう。

「感情は直接書かない」ことは、慣れないうちでは難しいと思います。

 ですがこれができなければステップアップは覚束おぼつかないのです。

 怖がらずにチャレンジして失敗を重ねるのも修行のうちだと思いましょう。



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