277.表現篇:形容詞文は必要か

 今回はいきなり大それたことを言っていますね。

 説明したいときは「形容詞文」「形容動詞文」はかなり便利なのです。

 でもそれに頼りすぎると小説のキモである「描写」が疎かになりがちです。





形容詞文は必要か


 形容詞文というのは主語・主体を形容詞「〜い」「〜しい」で受ける文のことです。

 これはこれで日本語として成立していますが、どちらかというと外国語の文法なんですよね。

「She is so cute.」は日本語で「彼女はとてもかわいい。」という形容詞文になります。

 以上の例では形容詞「かわいい」を使いました。




かわいいとはどんなものですか

 では質問です。

 あなたの思い描いた「彼女」の「かわいさ」とはどのようなものですか。

 おそらく千差万別ひとりとして同じ「かわいさ」を思い浮かべた人はいないでしょう。

 女性は丸っこいものを見るとすべて「かわいい」と感じるそうです。

 たしか以前観たテレビ番組で赤ん坊の丸々とした姿を「かわいい」と思うように母性として組み込まれていると聞いたことがあります。

 だからデフォルメされたキャラはたいていの女性から「かわいい」と思われるのです。

 千葉県船橋市非公認ゆるキャラであるふなっしーや、熊本県公式ゆるキャラであるくまモンは皆が「かわいい」と感じますよね。サンリオのキティちゃんは世界的にファンがいるのです。

 ではマンガの藤子・F・不二雄氏『ドラえもん』のドラえもんや『キテレツ大百科』のコロ助、手塚治虫氏『ブラック・ジャック』のピノコはどうでしょう。やはり「かわいい」と感じますよね。

 ふなっしーもくまモンもキティちゃんもドラえもんもコロ助もピノコもみな「かわいい」のです。

 あなたにとって「かわいい」キャラはこの中にあるかもしれませんし、まったく別のものかもしれません。




かわいいのがひとりだけなら

 たとえばあるマンガで「かわいい」と表現できるキャラがたったひとりに限られていたら、そのマンガのファンたちは「かわいい」という単語を見ればそのキャラだけが思い浮びます。

『ドラえもん』ではドラえもんを除くと「かわいい」の対象は「しずかちゃん」こと源静香ただひとりです。

 だから野比のび太が「かわいい」と感じるキャラはしずかちゃんになります。

 のび太としては願い下げなジャイ子が「かわいい」と思う方もいるかもしれません。

 実際ジャイアン(剛田武)は妹であるジャイ子のことを「かわいい」と思っています。

 そういった例外を除けば『ドラえもん』で「かわいい」のは「しずかちゃん」だけになるのです。

 それなら「彼女はとてもかわいい。」だけで通じます。




かわいいが複数なら

 しかし「かわいい」キャラが複数いるような作品では、「かわいい」は誰を指しているのか読み手にはわかりません。どんなものが「かわいい」要素なのかは読み手だけが決めることになるのです。

 とくに「ハーレム」ものでは多種多様な「かわいさ」を持つキャラが登場します。

 上記した子どもっぽくて丸っこいキャラ以外にもツンデレキャラ、ヤンデレキャラ、お嬢様キャラ、女王様キャラ、メイドキャラ、眼鏡っ娘など、読み手の価値観によってどれが「かわいい」と感じるのか。

 やはり千差万別だと思います。




かわいいは万能ではない

 小説で「彼女はとてもかわいい。」と書いてあるだけでは、どのように「かわいい」のか読み手にはまったく伝わりません。

 どのような読み手もが共有できる「かわいさ」として曖昧に書きたい場合は別です。

 ある人は低身長を「かわいい」と思いますし、ある人は丸っこいキャラを「かわいい」と思います。

 そういった違いを無視して「彼女はとてもかわいい。」と書けば、読み手にとって「かわいい」と思う要素を持った女性が勝手にイメージされます。

 それぞれの読み手の頭の中で思い描いている容貌は異なるけど、誰にとっても「かわいい」存在となるのです。


 一見すると「彼女はとてもかわいい。」は万能な書き方に見えます。

 しかし、いざイラストに描く段になったときとても困ります。どのような要素の「かわいさ」なのかがわからないからです。

 もし「彼女はとてもかわいい。」としか書かれていない小説が「紙の書籍化」されたとき、表紙絵を描くことになるイラストレーターはほとほと困り果てるでしょう。

 出版社の編集さんにしても「この彼女って、どんなかわいさなんだろう」と疑問に思うはずです。

 イラストレーターがビジュアル化できず、編集さんがイメージできないこの「彼女はとてもかわいい。」という文。本当に意味があるのでしょうか。

 そう考えると「形容詞文なんて要らないんじゃないかな」と感じませんか。




かわいさは書き手が限定するもの

 そこで「彼女はとてもかわいい。」という文を「彼女は背が低くてまるで小学生のように見える。」に書き換えてみました。

 どうでしょう。「彼女」の容貌が少し明瞭になりませんか。

 どう「かわいい」のか。その理由が書いてあります。

 「背が低くてまるで小学生のように見える」という「かわいさ」の要素が判然としたのです。

 読み手がこの「背が低くてまるで小学生のように見える」女性を「かわいい」と思えたなら、読み手に具体的なイメージが伝わったのです。

 このように「かわいさ」は書き手が限定して示す必要があります。

 限定しないことでかえって伝わらなくなるのです。

 書き直したときに「かわいい」という形容詞は用いませんでした。

「背が低くて」は形容詞文ですが「どう低いのか」は続く「まるで小学生のように見える」で説明されています。


 なら「彼女は背が低くてかわいい。まるで小学生のように見える」と書くこともできます。これなら説明付きだからいいだろう。そう思いますよね。

 でもこれは野暮です。

「彼女」の「かわいい」要素は「背が低い」ことにあるわけですから、あえて「かわいい」と書く必要がありますか。

「かわいい」と書かなくても「背が低い」ことは明確なのです。

「かわいい」という形容詞は万能ではありません。

「彼女」がどうだから「かわいい」のか。理由が必要です。

 理由を書いたら「かわいい」という形容詞は要りません。




要らない形容詞は他にも

「かわいい」が要らない形容詞なのはわかりました。

 しかしそれ以外にも要らない形容詞はあります。

「カッコいい」「素晴らしい」や「エロい」「セクシーな」といった「かわいい」と同方向で用いられる形容詞・形容動詞はまず使わないほうがよいでしょう。

 また「すごい」「ヤバい」「いい(よい)」「マジな」「結構な」「多い」「少ない」「重い」「軽い」「いろいろな」「さまざまな」のようにいろんな意味合いを併せ持つ広義な形容詞・形容動詞も「読み手を混乱させる」という意味で用いるべきではありません。

 用いるとしたら意味合いや状態や程度を限定させて狭義になるようにすべきです。「米袋が重い」を「米袋が五キロあって重く感じる」とすれば狭義になります。

「面白い」「楽しい」「嬉しい」「つまらない」「悲しい」「悔しい」「怖い」などの感情を表す形容詞も、できれば使わないほうがよいでしょう。

「聡明な男」「眉目秀麗な人物」「才色兼備の女性」といった形容動詞も、やはり程度が伝わってきませんよね。

 読み手にきちんと伝わる表現をすることが「小説」には最低限必要なことです。

 たった一語の形容詞・形容動詞だけですべてを表すのはできるかぎりやめましょう。


 こういった形容詞・形容動詞を省いていき、状態や程度を一つひとつ動詞や比喩などで表現していくクセを付けるべきです。

 その工夫ひとつで文章力は間違いなく向上していきます。





最後に

 今回は「形容詞文は必要か」について述べてみました。

 形容詞文は「状態や程度を簡潔に示す」のにはとても便利な文法です。

 しかし簡潔すぎるため、状態や程度が曖昧になりやすく、書き手が描写したい物事が不明になってしまう危険性もあります。

 できるかぎり「形容詞文」を使わず、動詞文で表せないか比喩にできないかを考えてみましょう。

 その結果、どうしても「形容詞文」でなければダメだ。というときにだけピンポイントで「形容詞文」を使うのは「あり」だと思います。



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