このエピソードを読む
2020年9月2日 15:49
この他人の視点でなやんでいます。公募に考えている作品は、数年前にかいた明治初頭の時代物です。三章構成で、三人称。視点人物を三人にしました。そうすると、テーマがバラバラ、キャラに魅力がないという選評でした。これを、「青春」をテーマとする公募に第一章だけを再構成して5万字程度にしあげようと思っています。テーマは「青春の光と影」です。光の部分、主人公は12歳の武士の子。影の部分は元藩主34歳です。三人称をやめ、すべて一人称に書き直そうとおもっています。「ポストとハトと流星群」では、視点をアスに固定して書ききったのがよかったと講評いただいたので。12歳の一人称の視点で描き切るべきが、34歳の一人称の視点も入れた方がいいのか、迷っています。影の部分を34歳に語らせた方が、物語の厚みがますとはおもいます。でもそうすると、少年の成長譚に勢いがなくなるかなと。あらすじは、明治四年、廃藩置県のあった年に周(あまね)が国元より廃墟となった東京にやってきます。元藩主の若君の小姓となりに。しかし、その若君が実は女の子で亡くなった双子の弟の身代わりになっていたのです。幕末に藩内の抗争にまきこまれた結果、奥方の一存ですり替える。藩主はしらない。しかし、藩がなくなり、東京へ移住がきまり、男装の若君を女の子にもどした。そこから騒動がはじまります。幕末の抗争や、明治の代になってからの藩主のうれい。そういうのを藩主にかたらせたいのです。周に視点を固定してしまうよ、そのあたりの事情が説明くさくなるかなと思っています。ご助言よろしくおねがいします。このおはなしは、カクヨムで公開しています。「あまねく空を~旧大名家ものがたり」https://kakuyomu.jp/works/1177354054891442616
作者からの返信
澄田こころ様、コメントありがとうございます。 まず、小説を読む側、選考する側からの考えを述べますね。「そういう裏事情をすべて知る必要はない。」 これが本心です。 真正面から「語り」で表現すると、書き手は自分が設定したものすべてを書けて満足します。でも読み手や選考さんは置いてけぼりです。完全に書き手の自己満足になってしまいます。 読み手や選考さんは、主人公の考えであったり成長であったりを読みたいのであって、時代設定や人間関係の線をすべて知りたいわけではない。 だからこの作品の場合は、12歳の武士の子の視点をブレずに書けるか、を目指すべきです。その中で主人公が、書き手が書きたがる影の部分にどう気づいていくのか。それを読ませるのが構成の力です。 構成さえうまく行なえば、裏の部分のたいていは織り込んで書けます。ただし書き手が書きたいような、一箇所でまとめて書きたい、ではなく。 物語の冒頭から結末までを読んで、読み手が裏の部分に気づけたらそれでよいのです。直接書く必要なんてありません。 これが「ポストとハトと流星群」ではうまく仕上がっていました。 おそらく澄田こころ様としては「ポストとハトと流星群」で書きたかったけど書かなかったものがたくさんありますよね。それでも私は、今の状態がベストだと思っています。書きたいものを書かなくても、読み手は補完して読んでくれます。あえて書くとくどくなる。すっきりした読後感を考えれば、あれがひとつの目安です。 「あまねく空を〜」に関しては添削の進行都合上今は読めませんが、三章構成で三人称、視点保有者三名だと、どうしてもテーマが散らかってしまいますね。 一章できっちりひとつのテーマが書けたら、きっと「すべて別の小説としたほうがよいのでは」という選評になるはずです。つまり三巻連作の形をとったほうが読み手も混乱しませんし、各巻のテーマもはっきりとします。 あらすじで気になる点があります。 それは主人公が周であることはわかるのですが、肝心の「対になる存在」が誰なのかわかりません。おそらくここがあいまいなままだから、視点が散らかってしまうのです。 もし「対になる存在」が元藩主の男装の若君である場合は、周と若君とのやりとりをメインにして書けばよいのです。 もし「対になる存在」が34歳の元藩主なら、周と元藩主との関係性をメインに書けばよいのです。 どちらが「対になる存在」かを決められていないから、どうしても三人の視点保有者が必要になるのです。 もちろん関係線が三角になる「三角関係」もありますが、その場合でも主人公と「対になる存在」はひとりずつです。三人目は物語に深くかかわってきても、結末まで残す必要があるのかが疑問です。 たとえば太宰治氏『走れメロス』は主人公メロスと「対になる存在」暴君ディオニスがはっきりとしています。三人目はメロスの友人セリヌンティウスです。メロスはセリヌンティウスを助けるために走り続けますが、セリヌンティウスが「対になる存在」ではありません。 誰を「対になる存在」とするか。それをまず明確にしてください。 つまり澄田こころ様が書きたいものの何割かを省く勇気が必要です。すべてを書こうとするから「テーマがバラバラ、キャラに魅力がない」という選評になってしまいます。とくに「キャラに魅力がない」という選評は、たいていが「誰が主人公なのか」「誰が対になる存在なのか」が明確でないからつくのです。最初から明確にして小説を書いていれば、自ずとキャラが魅力的になります。とくに主人公と「対になる存在」は、キャラがしっかりと立って物語を支えてくれるのです。 あらすじを読み、澄田こころ様の「元藩主の憂い」などを語らせたい、という意向を汲み取ると、「対になる存在」は「元藩主」に据えるべきでしょう。 となれば物語の構成も、主人公対元藩主の構図に落とし込むべきです。 すると主人公が仕える男装の若君は、あくまでも元藩主との接点としてのキャラになってしまい、魅力的ならない。そう思ってしまいますが、実際には主人公に最も近い位置にいるので、男装の若君のキャラもじゅうぶんに立ちます。 どうしても男装の若君を目立たせたい、という思いがあるから「対になる存在」を明確にできなかったのです。 ですので、まずは『あまねく空を〜旧大名家ものがたり』の「対になる存在」をひとりに定めましよう。それから物語を構築していけば、語りたいテーマもひとつに絞れますし、キャラも魅力的になりますよ。
この他人の視点でなやんでいます。
公募に考えている作品は、数年前にかいた明治初頭の時代物です。
三章構成で、三人称。視点人物を三人にしました。
そうすると、テーマがバラバラ、キャラに魅力がないという選評でした。
これを、「青春」をテーマとする公募に第一章だけを再構成して5万字程度にしあげようと思っています。
テーマは「青春の光と影」です。
光の部分、主人公は12歳の武士の子。影の部分は元藩主34歳です。
三人称をやめ、すべて一人称に書き直そうとおもっています。
「ポストとハトと流星群」では、視点をアスに固定して書ききったのがよかったと講評いただいたので。12歳の一人称の視点で描き切るべきが、34歳の一人称の視点も入れた方がいいのか、迷っています。
影の部分を34歳に語らせた方が、物語の厚みがますとはおもいます。でもそうすると、少年の成長譚に勢いがなくなるかなと。
あらすじは、明治四年、廃藩置県のあった年に周(あまね)が国元より廃墟となった東京にやってきます。
元藩主の若君の小姓となりに。しかし、その若君が実は女の子で亡くなった双子の弟の身代わりになっていたのです。
幕末に藩内の抗争にまきこまれた結果、奥方の一存ですり替える。藩主はしらない。しかし、藩がなくなり、東京へ移住がきまり、男装の若君を女の子にもどした。そこから騒動がはじまります。
幕末の抗争や、明治の代になってからの藩主のうれい。そういうのを藩主にかたらせたいのです。
周に視点を固定してしまうよ、そのあたりの事情が説明くさくなるかなと思っています。
ご助言よろしくおねがいします。
このおはなしは、カクヨムで公開しています。
「あまねく空を~旧大名家ものがたり」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054891442616
作者からの返信
澄田こころ様、コメントありがとうございます。
まず、小説を読む側、選考する側からの考えを述べますね。
「そういう裏事情をすべて知る必要はない。」
これが本心です。
真正面から「語り」で表現すると、書き手は自分が設定したものすべてを書けて満足します。でも読み手や選考さんは置いてけぼりです。完全に書き手の自己満足になってしまいます。
読み手や選考さんは、主人公の考えであったり成長であったりを読みたいのであって、時代設定や人間関係の線をすべて知りたいわけではない。
だからこの作品の場合は、12歳の武士の子の視点をブレずに書けるか、を目指すべきです。その中で主人公が、書き手が書きたがる影の部分にどう気づいていくのか。それを読ませるのが構成の力です。
構成さえうまく行なえば、裏の部分のたいていは織り込んで書けます。ただし書き手が書きたいような、一箇所でまとめて書きたい、ではなく。
物語の冒頭から結末までを読んで、読み手が裏の部分に気づけたらそれでよいのです。直接書く必要なんてありません。
これが「ポストとハトと流星群」ではうまく仕上がっていました。
おそらく澄田こころ様としては「ポストとハトと流星群」で書きたかったけど書かなかったものがたくさんありますよね。それでも私は、今の状態がベストだと思っています。書きたいものを書かなくても、読み手は補完して読んでくれます。あえて書くとくどくなる。すっきりした読後感を考えれば、あれがひとつの目安です。
「あまねく空を〜」に関しては添削の進行都合上今は読めませんが、三章構成で三人称、視点保有者三名だと、どうしてもテーマが散らかってしまいますね。
一章できっちりひとつのテーマが書けたら、きっと「すべて別の小説としたほうがよいのでは」という選評になるはずです。つまり三巻連作の形をとったほうが読み手も混乱しませんし、各巻のテーマもはっきりとします。
あらすじで気になる点があります。
それは主人公が周であることはわかるのですが、肝心の「対になる存在」が誰なのかわかりません。おそらくここがあいまいなままだから、視点が散らかってしまうのです。
もし「対になる存在」が元藩主の男装の若君である場合は、周と若君とのやりとりをメインにして書けばよいのです。
もし「対になる存在」が34歳の元藩主なら、周と元藩主との関係性をメインに書けばよいのです。
どちらが「対になる存在」かを決められていないから、どうしても三人の視点保有者が必要になるのです。
もちろん関係線が三角になる「三角関係」もありますが、その場合でも主人公と「対になる存在」はひとりずつです。三人目は物語に深くかかわってきても、結末まで残す必要があるのかが疑問です。
たとえば太宰治氏『走れメロス』は主人公メロスと「対になる存在」暴君ディオニスがはっきりとしています。三人目はメロスの友人セリヌンティウスです。メロスはセリヌンティウスを助けるために走り続けますが、セリヌンティウスが「対になる存在」ではありません。
誰を「対になる存在」とするか。それをまず明確にしてください。
つまり澄田こころ様が書きたいものの何割かを省く勇気が必要です。すべてを書こうとするから「テーマがバラバラ、キャラに魅力がない」という選評になってしまいます。とくに「キャラに魅力がない」という選評は、たいていが「誰が主人公なのか」「誰が対になる存在なのか」が明確でないからつくのです。最初から明確にして小説を書いていれば、自ずとキャラが魅力的になります。とくに主人公と「対になる存在」は、キャラがしっかりと立って物語を支えてくれるのです。
あらすじを読み、澄田こころ様の「元藩主の憂い」などを語らせたい、という意向を汲み取ると、「対になる存在」は「元藩主」に据えるべきでしょう。
となれば物語の構成も、主人公対元藩主の構図に落とし込むべきです。
すると主人公が仕える男装の若君は、あくまでも元藩主との接点としてのキャラになってしまい、魅力的ならない。そう思ってしまいますが、実際には主人公に最も近い位置にいるので、男装の若君のキャラもじゅうぶんに立ちます。
どうしても男装の若君を目立たせたい、という思いがあるから「対になる存在」を明確にできなかったのです。
ですので、まずは『あまねく空を〜旧大名家ものがたり』の「対になる存在」をひとりに定めましよう。それから物語を構築していけば、語りたいテーマもひとつに絞れますし、キャラも魅力的になりますよ。