274.表現篇:主人公視点だけでは薄っぺらい

 今回はたびたび取り上げる「視点」の話です。

 現在の小説界隈では「主人公の一人称視点」が流行りです。

 しかし本当にそれだけで小説が成り立つのでしょうか。





主人公視点だけでは薄っぺらい


 小説とくにライトノベルの多くは、「主人公の一人称視点」で書かれています。

 視点の話をするたびに毎回ご説明していますが、読み手にワクワク・ハラハラ・ドキドキを与えるためです。

 しかし「主人公の一人称視点」だけで書かれた小説というのはどこか薄っぺらくなります。

 なぜでしょうか。




主人公の一人称視点における限界

 小説を書くうえで「主人公の一人称視点」は、初心者でも破綻せずに書けるという利点があります。

 ですが、出来事の一方向からしか物語を描けないため、どうしても作品の厚みがなくなってしまうのです。

 このことに気づくことができれば、あなたは初心者から中級者への第一歩を踏みしめられます。


 では具体的にどのようにすれば作品に厚みを持たせられるのでしょうか。

 最初に思いつくのが「他人の視点」も混ぜてみることです。

 しかし初心者や駆け出しの中級者が「主人公の一人称視点」に「他人の視点」を混ぜようとすれば「神の視点」になりやすい。

 現在の小説界隈では「神の視点」は禁じ手になっています。

「主人公の一人称視点」に「他人の視点」を混ぜることと、「神の視点」とではなにが異なるのでしょうか。




他人の視点を混ぜるには

「主人公の一人称視点」で書いてきて、ある出来事が起きたときに「他人の視点」をそのまま混ぜてしまうことは避けてください。

 主人公が見たり聞いたり感じたり思ったり考えたりしていることを書いているのに、なんの前フリもなく「他人の視点」が混ざってしまう。

 そうなってしまうとその瞬間に主人公がまるで超能力者となります。

「他人の視点」が見えたり聞いたりしていることになるのです。

 それだけならおおごとにはなりません。

 しかし「他人」が感じたり思ったり考えたりしていること、つまり他人の心の中を書いてしまうと途端に「神の視点」へと変化してしまいます。

 それまでがどんなに巧みな「主人公の一人称視点」で書いてきても、この瞬間に「神の視点」に切り替わるのです。

 ではどうやって「他人の視点」を混ぜるとよいのでしょうか。


 まず節・場面シーンや段落ごとに視点の持ち主を交代させましょう。

「主人公の一人称視点」のシーンや段落の中に「他人の視点」をそのまま加工せずに持ち込むから「神の視点」となるのです。

 節・場面シーンを改めたり、改行したのち空行を入れて段落を改めたりして「ここから一人称視点のセンサーが切り替わりますよ」と読み手に合図を送ってください。

 あらかじめ合図があれば、読み手は「ここはこの人物から見たり聞いたりした部分なんだな」と認識できます。

 もちろん「他人の一人称視点」に切り替わったら、主人公の心の中を書いてはいけません。

 こちらも他人が超能力者となって「神の視点」で書いてあるように読めてしまうからです。




どちらサイドかで節か段落を改める

 主人公サイドの登場人物に視点を持たせたいときは改段落して書けばいいのです。

 しかし「対になる存在」サイドの人物に視点を持たせたいときは潔く改節、場面シーンを改めましょう。

 つまり節・場面シーンはどちらサイドから語られる文章なのかを表すために区切ります。

 同一サイド内で一人称視点が切り替わるときは改段落するのです。


 ただし現時点でどちらサイドなのかを明確に示したくない人物も中にはいるでしょう。

 そのときは改節、改場面シーンではなく改段落で区切るべきです。

 そうするとある章では主人公サイドの改段落で書かれているのに、ある章では「対になる存在」サイドの改段落で書かれているという状態になります。

 つまり「この人物はどちらサイドに属しているのだろう」と読み手が素直に疑問を持ってくれます。

 こうすることでどちらサイドに属しているかわからなくなり、ミステリアスな立ち位置を確保できるのです。

 ちょっとしたテクニックですが意外と応用が利くので、憶えておくと確実にステップアップできますよ。




ワンポイントの視点切り替え術

 しかしどうしても、ほんの数行だけ「他人の視点」を書きたい、という場面は小説を書いていると必ず訪れます。

 改節や改段落などでは仰々しいので、ほんの数行をどう表現すればよいのでしょうか。


「主人公の一人称視点」の中にワンポイントだけ「他人の視点」を入れたい。

 そうすることによって物語にわずかな厚みを持たせたいわけです。

 要点はあくまでも「主人公の一人称視点」を崩さないことに置きましょう。

 そして「他人の視点」はあくまでも「そのように見えるのだろう」「そのように聞こえるのだろう」「そのように感じるのだろう」「そのように思うのだろう」「そのように考えるのだろう」、また「見えるようだ」「聞こえるようだ」「感じるようだ」「思うようだ」「考えるようだ」のように、「断定」ではなく「推測」で書いてください。

「断定」で書くから視点が切り替わってしまうのです。

「他人の視点」はあくまでも「推測」で書くこと。

「推測」に関してはコラムNo.267「表現篇:推測と断定」をご参照くださいませ。

 それで「主人公の一人称視点」を崩すことなく読み手に「他人の視点」を読ませることができます。


 初心者の書き手はワンポイントで入れる「他人の視点」を主人公と同様「断定」で書いてしまいます。

「主人公の一人称視点」を書いている文体のまま「他人の一人称視点」を書くから「神の視点」になるのです。

 初心者を脱するには、「他人の視点」は手間を惜しまず「推測」で書きましょう。

 このミスは書き慣れていてもよく起こすもので、私も『暁の神話』で「他人の視点」を「断定」で書いて大失敗してしまいました。

 ある程度書き慣れていても、ついうっかりと忘れてしまうことが多いのです。

 書いているときはもちろんのこと、推敲では重点的に「主人公の一人称視点」の固定がなされているか気を配りましょう。

 どこかに「他人の一人称視点」が混ざっていないか。

 混ざってしまった途端、駄作が確定します。




視点はピンスポットライト

「主人公の一人称視点」だけで展開する小説は、真っ暗な部屋にある物体にひとつのピンスポットのライトが当たったようなものです。

 本来存在するはずの部分が欠落して見えます。

 そこで他の方向からピンスポットのライトを当てるのです。

 すると見えていなかった部分が姿を現します。

 短編小説であれば「主人公の一人称視点」だけで進めないと文章を小説たらしめる「描写」に使える文字数がムダに消費されてしまうのです。

 だから短編で「他人の視点」を加えるのはピンポイント以外にありえないと思ってください。

 しかし長編小説であれば「他人の一人称視点」も混ぜて、読み手が出来事を立体的に把握できるようにしなければなりません。

 ピンスポット一本のライトだけでは出来事が平面的にしか浮かび上がらないのです。

「他人の一人称視点」も取り入れるから出来事に厚みが生じます。

「読ませる小説」には「一人称視点」が複数存在するものです。

「主人公の一人称視点」だけで長編小説を書くのは相当な労苦が必要になります。

 主人公が他人からどう見られているのか、どう思われているのかをすべて「推測」で書かなければなりませんからね。

 それを「他人の一人称視点」として読み手に読ませれば、その労苦をかなり軽減することができます。

 きっちりと「主人公の一人称視点」と区別して「他人の一人称視点」を読ませるのです。

 決して「主人公の一人称視点」の中に「他人の視点」が混入しないように気をつけてください。





最後に

 今回は「主人公視点だけでは薄っぺらい」というテーマで述べてみました。

 現在の小説では「主人公の一人称視点」がベストです。

 しかしそれを真に受けて「主人公の一人称視点」だけですべてを語ろうとするのはかなり無理があります。

 「他人の視点」をいかにして取り入れるのか。

 書き手の真の技量が問われることになります。



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