273.表現篇:登場人物にも思いやりをもって

 コラムNo.269「主人公を知ろう」につながっていますが、「対になる存在」や他の登場人物にも「思いやり」を持ちましょう。





登場人物にも思いやりをもって




対になる存在に思いやりを

 主人公をカッコよく、かわいく見せたいから「対になる存在」を使って引き立てたい。

「対になる存在」には主人公を引き立てる役割が与えられているのです。

 そのため、どうしても主人公をたいせつに書いて「対になる存在」を徹底的に嫌なやつにする、という書き手が多くなります。

 ですが、それだと「対になる存在」に愛着が湧きませんよね。

 徹底的に嫌なやつなのですから、書き手としても好ましく感じられません。

 愛着のないキャラを魅力的に書くのは難しい。

 魅力的でない「対になる存在」は主人公を魅力的に見せることができるのでしょうか。


 書き手が「対になる存在」を魅力的に思い描いているから、読み手も「対になる存在」を魅力的に感じます。

「対になる存在」が映えるから主人公の魅力が引き立つのです。

「対になる存在」の嫌らしさとの対比では、主人公の魅力には気づきません。

 細マッチョでムキムキな主人公と、肉だるまでムキムキな「対になる存在」がいます。

 だから対比が成り立つのです。

 これが細マッチョとただのデブとの対比だと極端すぎて白けてきませんか。


「対になる存在」に関しては主人公と同じように、さまざまなものを設定しておきましょう。

 愛着が湧くくらい過去と現在を設定するのです。

 どの点が似ていて、どの点に違いが表れるか。


 マンガの武論尊氏&原哲夫氏『北斗の拳』でラオウは北斗神拳の使い手という点で主人公ケンシロウと同じですが、掲げる理想が異なります。

 北斗神拳の技量だけならケンシロウをはるかに凌ぎますが、ラオウは正統伝承者に選ばれていません。

 また理想が高すぎて周りの人材にも恵まれませんでした。

 そんな不遇がラオウの魅力を引き立てているのです。


 マンガのまつもと泉氏『きまぐれオレンジ☆ロード』なら鮎川まどかと檜山ひかるが「対になる存在」になります。

 主人公・春日恭介は優柔不断で運動音痴で成績も下。頼みの綱は優しさと超能力。二人のヒロインの間で心が揺れ動きます。

 同級生の鮎川まどかはスポーツ万能でケンカも強く、美少女だけど不良のような佇まい、だけど成績も抜群。恭介のことを「頼りないけど憎めない」と思っている。

 下級生の檜山ひかるはまどかに負けないほど気が強く男っぽいけれども腕っぷしは強くなく、勉強は恭介から教わるくらいよくない。恭介のことを「頼りになるダーリン」と思っている。

 恭介とまどかは運動も成績もまどかが上ですが、二人とも自分の気持ちをストレートに表現できないという点で似ています。

 恭介とひかるは運動も成績も似ていますが、ひかるは誰よりも自分の気持ちを真っ直ぐに恭介に向けていきます。


 このように似ているところと異なるところ、双方揃っているから互いを引き立て合うのです。

「対になる存在」をただ「嫌なやつ」に設定してほしくない理由はそこにあります。

 ラオウは単に「嫌なやつ」だったでしょうか。

 本質的には「いいやつ」でしたよね。

 主人公を引き立てたいのなら「対になる存在」にも主人公に匹敵するほどの魅力が欲しいのです。




他の登場人物にも思いやりを

 主人公と「対になる存在」は物語を支えるたいせつな存在です。

 だから思いやりを持って現実味リアリティーを追求していってください。

 ではそれ以外の登場人物はどう扱えばいいのでしょうか。

 他の登場人物にも思いやりを持ちましょう。

 侮蔑を含んだキャラがひとりでも存在すると、小説の完成度が一気に下がります。


 人はそれぞれに理想や理念などを持っています。

 それらを埋没させないような表現ができるかどうか。

 それが小説の質を担保します。

 だからといって他の登場人物が崇高な性格を持っているようだと「存在感」が強すぎるのです。


「掃き溜めに鶴」と言います。

 つまらない人たちの中にすぐれた者がいるからすぐれた者が引き立つのです。


「対になる存在」やその他の登場人物が「ある面」においてつまらない人たちであること。

 主人公はその「ある面」においてすぐれていること。

 だから主人公は物語の主役たりえるのです。

 この「ある面」こそがそのまま小説の「テーマ」になります。


 田中芳樹氏『銀河英雄伝説』では自由惑星同盟側の政権でヨブ・トリューニヒト評議会議長とその取り巻きたちが跋扈しています。

 そんな政権が嫌で仕方がない自由惑星同盟側の主人公ヤン・ウェンリー准将がいるのです。

 ヤンは政治理念について独自の見解を持っており、トリューニヒトとその取り巻きたちのやり方が我慢できませんでした。

 それでも文民統制を最後まで貫いたからこそ、ヤン・ウェンリーは主人公のひとりとして作品で重きをなしたのです。


 拙著『暁の神話』においてレイティス王国の将軍ミゲルは人の死に対してとても敏感です。

 彼以外のレイティス王国各将軍もボッサム帝国三大将も、人の死を「ただの数」だと認識しています。

 だからミゲルの意識は他の登場人物と比較して、とても気高くひときわすぐれているのです。

 しかしミゲルの意識の高さを正当に評価してくれる人物がいなければ意味などありません。

 幸いにしてレイティス王国国王とボッサム帝国皇帝は彼の意識がどれだけ得がたいのかを理解してくれました。

 それによって物語はひとつの決着に向けて進んでいくのです。


『暁の神話』は改題して『カクヨム』様と『小説家になろう』様と『ピクシブ文芸』様へ連載として投稿していく予定です。

 ネタバレを回避するため、ここから先は本編を読んでいただいてお楽しみいただければと存じます。

 元の『暁の神話』がどのような作品であるかは『ピクシブ文芸』様に投稿してある『暁の神話』をお読みくださいませ。

(現在『ピクシブ文芸』様に検索機能はありません。『pixiv』様で小説サイトに切り替えて検索していただければお読みいただけます)。

 ただし連載版はこれを踏み台にして連載向けにアレンジしますから、同じ結末になるとは限りません。

 あくまでも「元はどんな話なんだろう」という興味本位で読んでいただけたらと思います。





最後に

 今回は「登場人物にも思いやりをもって」ということについて述べてみました。

 現在主人公の「一人称視点」が小説の主流です。

 だからといって主人公だけが際立っても「いい物語」にはなりません。

 「対になる存在」は主人公並みに存在感があり、他の登場人物もただ存在するだけでは終わらない。

 そうできれば主人公の魅力は{弥増いやまします。

 主人公の魅力は主人公だけでは出せません。

 主人公だけで表そうとすると「説明」ばかりになってくどくなります。

 しかし比べるものがあれば「描写」する対象が見つかるのです。

 比べる相手にもよい面が必ずあるでしょう。そのうえでやはり「よくない面」が目立つからこそ主人公が映えます。



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