272.表現篇:願望があってもなかなか実現できない

 今回は「主人公でも最初はうまくいかない」ということを述べました。





願望があってもなかなか実現できない


 寓話や童話や昔話の類いでは、主人公が「やりたい」「なりたい」と思っていることがすんなり実現します。

 これは「勧善懲悪」と理由は同じです。

 物語を手短に話そうとすると、なかなか達成されない状況にしにくくなります。

 でも現実には「願望があってもなかなか実現できない」ものです。

 たとえば、あなたが「プロの書き手」になりたくてもすぐになれませんよね。




小説の主人公は超人ではない

 小説なら冴えない男子が女性に好かれまくるという状況も書けます。

 いわゆる「なんでもできる超人」スーパーマンです。

 しかし現実には冴えない男子に好意を抱く女性なんてまずいません。

 なかなかうまくいかない状況の紆余曲折を経て、なんとか「佳境」と「結末」で課題が達成されたのなら、読み手は「うまくいったな」「よかったな」と思います。

 つまり読み手が主人公に感情移入できて物語に参加できたのです。


 だから小説の主人公は等身大な人物が多くなります。

 RPGや神話なら、主人公は勇者の末裔かもしれませんし、神かもしれません。

 それであってもなにがしかの弱点を有しているものです。

 不死の英雄アキレスにも弱点がありました。

 全知全能・オールマイティーな主人公では「どうせここも切り抜けるんだろう」と感じて読み手は白けてしまいます。

 ライトノベル愛好家である皆様なら川原礫氏『ソードアート・オンライン』のキリト(桐ヶ谷和人)や鎌池和馬氏『とある魔術の禁書目録』の上条当麻が典例でしょうか。

 彼らは真剣勝負にはめっぽう強くても日常生活においてなにがしかの弱点を有しています。




超人の主人公なら

 幼児性が強い頃は「超人のような主人公」に憧れを抱くものです。

 皆様も幼児の頃男性なら『ウルトラマン』『仮面ライダー』『戦隊ヒーロー』など、女性なら池田理代子氏、里中満智子氏、美内すずえ氏などの少女マンガの主人公に憧れを抱きませんでしたか。

 若い世代なら武内直子氏『美少女戦士セーラームーン』だったり『プリキュア』シリーズだったりを自身に重ねていたのではないでしょうか。

 ですが大人になっても『仮面ライダー』や『プリキュア』を楽しんでいる方々も多いですよね。

 なぜだかわかりますか。

「超人のような主人公」は読み手・受け手の願望が直接反映されるからです。

 だからいくつになっても『仮面ライダー』『プリキュア』を観る人が多くいます。




超人でない主人公なら

 主人公が超人でないなら、願望は容易に叶いません。

 それにより主人公は悩んだり苦しんだり嘆いたりしてもがき続けます。

 悪戦苦闘する姿を読ませることで、読み手は主人公に感情移入できるのです。

 人間誰しも悩み苦しみ嘆きます。

 小説の主人公も読み手と同様「悩み苦しみ嘆きます」。

 つまり読み手と主人公に共通している内的問題なのです。

 小説は主人公の感情を表現する「一次元の芸術」です。

 だからこそ主人公が難題に直面した際、読み手自身ならどうするか、という仮想実験のような状況が生まれます。

 ある種の現実味リアリティーが根底にあるのです。


 私は物心つくまでの間、養護施設で育ちました。

 そんな私はあるとき養護施設の書棚で『アーサー王伝説』に関する書物と出会います。

 読んでみるとアーサーも自分の生みの親のことを知らない。私と同じです。

 そしてアーサーは「引き抜けたらブリタニアの正統な統治者となれる剣カリバーン」を引き抜きます。

 それにより彼は前王ユーサー・ペンドラゴンの嫡子であることが判明するのです。

 この物語を読んだ私は、養護施設で育っている自分も「なんらかの特殊な生まれなのかもしれない」と思いました。

 なにせ自分の生まれを知らないわけですから。

 閉鎖された空間しか出歩けないので、外の世界のことなんてさっぱりわかりません。

(昼寝の時間にこっそり部屋を抜け出して初めは施設内で遊んでいましたが、次第に施設外へ歩きに出ることが多くなりました。歩いて20分以上かかるようなところにも頻繁に足を運んでいます。好奇心がとても旺盛だったんですね)。

 だから「自分もアーサーと同じなんだ」と儚い夢を見ていました。

 その妄想が破られたのは小学校に上がるタイミングで母が私たち兄弟を引き取ったときです。そのときすでに父は死去していて、DVで係争中だった母が私たちを引き取って東京で暮らすことになりました。


「特別な存在」として女子ウケするのは『シンデレラ』でしょうか。

 家庭環境がどんなに辛くても、魔女が現れて自分を淑女にしてくれ、王子様に見初められて結婚するんだ。

 女の子にはそういう淡い期待があったはずです。

 能力は平凡だけど、誰かに認められる「特別な存在」になりたいというのが人間の本性とも言えます。


 自分は超人ではないが「特別な存在」なのではないか。というテーマに真正面から切り込んだのがアニメ・庵野秀明氏『新世紀エヴァンゲリオン』です。

 主人公の碇シンジは、次々に襲いかかってくる使徒たちを倒すため、汎用人型決戦兵器「エヴァンゲリオン」に乗って戦います。

 しかし「エヴァンゲリオン」は誰にでも動かせるものではありません。

 選ばれた者にしか操縦できないのです。

 そこに「特別な存在」としての価値を置くわけですね。

 碇シンジの活躍を、中高生が歓喜しながら視聴していたであろうことは疑う余地もありません。


 このように主人公に感情移入して「自分ならどうするか」と考えたり「将来このような出来事がわが身に起こるんじゃないか」と思ったりするのが読み手なのです。




現実味リアリティー

 美男美女を主人公にすると、読み手はたいてい冷めます。

 自分にどれだけ近い主人公なのか。それが小説には求められています。

 特段美男美女ではないが「知識」を活用して自分の進むべき道へ踏み出すから、物語は「現実味リアリティー」を伴ってくるのです。

 主人公がどういう手段で目標を達成するのか。

 それを読ませることで「私もこの主人公のようになれるかもしれない」と思わせることが、小説における「現実味リアリティー」と言っていいでしょう。





最後に

 今回は「願望があってもなかなか実現できない」ということについて述べてみました。

 小説の主人公は超人よりも凡人のほうがいい。

 それでいて「特別な存在」であればなおさら共感を呼びます。

 主人公が超人だと、どんな窮地に立たされてもハラハラ・ドキドキしてきません。

 でも凡人なら読み手も「このピンチをどうやって切り抜けようか」と一緒になって考えてくれるのです。

 つまり読み手を主人公に協力させることができます。



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