267.表現篇:推測と断定
「表現篇」の本当の意味でのスタートかもしれません。
三人称視点は「推測」で成り立っていますが、一人称視点では主人公の心なら「断定」できないとおかしいですよね。
推測と断定
一人称視点の小説は基本的に自分以外の物事を「推測」して書きます。
「基本的に」と書いたのは、視点を持つ主人公が唯我独尊な場合があるからです。
唯我独尊な主人公が物事に出食わしたとします。
ああではないかこうではないかと悩んで「推測」しながら地の文が書いてあったとしたら。
違和感が甚だしいと思います。
また一人称視点であれば主人公の動作は「断定」して書くべきです。
自分の意志で動いているはずなのに「推測」で書くと、ちょっとおかしな描写になりますよね。
小説は推測で成り立っている
「〜だろう」「〜ようだ」「〜みたいだ」「〜と思う」「〜と感じる」「〜気がする」「〜かもしれない」「〜したがっている」「〜つもりだ」「〜らしい」
これらはすべて「推測」です。
たとえば「隆はこれから出かけるみたいだ。」「浩子には電話をかけてきたのが誰なのかわかったようだ。」は断定していませんよね。
もしこれを「隆はこれから出かける。」「浩子には電話をかけてきたのが誰なのかわかった。」と書いてしまうとどうでしょう。
その情報を隆や浩子から直接聞いていたのなら話は別です。
もし聞いていなければ視点を持っている人が超能力者(エスパー)のような気がしませんか。
「推測」するのは視点を有している人物の主観が入っているときです。
「断定」するのは「設定」を「説明」するときだけになります。
――――――――
隆は電話をかけた。
浩子の電話が鳴る。彼女には電話をかけてきたのが誰なのかわかったようだ。
――――――――
まずお断りしておきますがこれは「語り手の三人称視点」のつもりで書いた文です。
だから誰の心の中も覗けないという制限があります。
「隆は電話をかけた。」「浩子の電話が鳴る。」この二文はただ「説明している」だけですよね。
だから断定で書けます。
しかし「彼女には電話をかけてきたのが誰なのかわかったようだ。」は浩子の心の中について書いています。
誰の心の中も覗けませんから、ここは「推測」するしかないわけです。
これを「断定」して「彼女には電話をかけてきたのが誰なのかわかった。」と書くと、浩子の心の中が覗けてしまいましたよね。
つまり「語り手の三人称視点」から「神の視点」へと切り替わってしまうのです。
いちおう改段落していますから視点を切り替えられるよう工夫・配慮はしてあります。
だから「浩子の電話が鳴る。」以降を「神の視点」で書いたと主張することもできるのです。
ですが現在の小説界隈で「神の視点」はご法度になっています。
誰の心の中もお見通しでは、読み手をハラハラ・ドキドキさせられません。
ひじょうに淡々とした小説に仕上がってしまいます。
拙著『暁の神話』も時折「神の視点」が混ざってしまい、結果は大失敗に終わったのです。
これからの小説の書き手は「神の視点」を完全な「禁じ手」にしたほうがよい結果が生まれることでしょう。
一人称視点で主人公の言動は断定する
「小説」を書くとき、視点を持つ人物の言動は「断定」して書けます。
「自分の右手を挙げる」という動作を「推測」で書く人はまずいません。
「右手を挙げるだろう」「右手を挙げるようだ」「右手を挙げるみたいだ」「右手を挙げると思う」「右手を挙げると感じる」「右手を挙げる気がする」「右手を挙げるかもしれない」「右手を挙げたがっている」「右手を挙げるつもりだ」「右手を挙げるらしい」
あなた自身の動作なのに「推測」で書いてしまうと明らかにおかしいですよね。
自分の意識がその場になく(たとえば幽体離脱や狐憑きなどで)、自然と体が動いてしまったような印象を読み手に与えます。
もちろんそういう意図を持っている場合はこう書いてもよいのです。
でもそんな意図を多用する「小説」を書く人は稀でしょう。
ライトノベルであればどんなフィクションがあるかわかりません。
使用頻度はエンターテインメント小説(大衆小説)や文学小説よりも多くはなるはずです。
ですがそんな状況を描くライトノベルはそれほど数がありません。
だから基本的に「自身の言動は断定して書いて」ください。
一人称視点で主人公の思考には断定も推定もある
主人公の言動については基本的に「断定」で書きます。
しかし思考や感情については必ずしも「断定」だけで書けるものではないのです。
たとえば「私は隆が久美と付き合っていると信じていた。」という文。
これは私がそう思ったことなので「断定」します。
「私は隆が久美と付き合っていると信じていたようだ。」「私は隆が久美と付き合っていると信じていたのかもしれない。」と書いたらどうでしょう。
自分の心の中のことなのに、なにか半歩退いた他人事のような印象を受けませんか。
この場合は「断定」したほうがいいのです。
では以下の場合はどうでしょうか。
「私はとんだ勘違いをしていたようだ。」「私はとんだ勘違いをしていたのかもしれない。」「私はとんだ勘違いをしていたらしい。」
三つとも「推測」ですが、まったく違和感はありませんよね。
上記の「私は隆が久美と付き合っていると信じていたようだ。」と同様、少し距離感のある雰囲気を文章から感じます。
だからこそ「私はとんだ勘違いをしていたようだ。」「私はとんだ勘違いをしていたのかもしれない。」「私はとんだ勘違いをしていたらしい。」は半歩退いたところから自分の心の中を見つめ直した文に仕上がったのです。
このように「主人公の心の中」には主観による「断定」も半歩退いた客観による「推定」もあります。
「断定」「推定」をうまく使い分けることが一人称視点で成功するため秘訣です。
最後に
今回は「推測と断定」について述べてみました。
他人の言動は「説明」が主で、心の中は「推測」でしか書けません。
自分の言動は基本的に「断定」し、心の中は「断定」「推測」の使い分けです。
ここを押さえておくだけでも表現力は格段に増します。
「どうしても小説がうまく書けない」とお思いの方は、改めて「推測と断定」の関係を考えてみましょう。
自分なりの落としどころが見つかれば、なぜか急に「神の視点」が混ざるようなことがなくなります。
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