230.描写篇:情景による心理描写(4/6)

 後半三回は「心理によって風景がどう見えるのか」について述べます。

 まずは「楽しい」「嬉しい」「つまらない」と風景がどう見えるのかについてです。





情景による心理描写(4/6)


 今回も「情景による心理描写」です。

 ここからは趣向を変えて「主人公から見える世界の印象」によって心理を描写してみます。

 ここまで極めれば心理描写はひと通り出揃ったことになります。




楽しいと色鮮やかに見える

 楽しいことに直面すると景色・事物がやけに色鮮やかに感じられた経験を持つ人は多いと思います。

 そして記憶にも鮮明に残るものです。

 そのくらい「楽しい」ことは人の心を軽やかにします。

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 今日は私たちの結婚記念日だ。夫に誘われて高級レストランでディナーをすることになっていた。

「どの服を着ていこうかしら。真っ赤なドレスにしましょうか。紫でシックに決めましょうか。この白のワンピースもいいわね」

 ウォークイン・クローゼットの中にある幾多の服が彩りも鮮やかに目に飛び込んできた。赤や青や黄色や緑、ピンクに純白、銀のスパンコールなど目に入るすべての色が際立って見える。

 この中から着ていく服を選ぶのだ。私ってこんなに素敵な服を持っていたんだなと改めて実感した。

 ああでもないこうでもないと悩んでいることさえもウキウキする。こんなに浮かれるのは何年ぶりだろうか。

「やっぱりこれね、これにするわ」

 結局真紅のドレスにファーコートを着ていくことにした。夫は無難に黒のタキシードを着ている。

「とても似合っているじゃないか」

 夫にそう言ってもらえて、今夜はとてもいい日になりそうだと予感した。

――――――――

 子どものほうが無邪気な楽しさが伝わるかなと思いましたが、趣向を変えて結婚している大人の楽しさを考えてみました。




嬉しいと明るく見える

 嬉しくなったり好奇心が旺盛になったりすると周囲が明るく見えます。

 瞳孔が開いてより多くの光が目に飛び込んでくるからです。

 天国が「光の楽園」として表されているのもそのせいでしょうか。

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 レストランに入ると間接照明を使っているせいかあたりが少し暗く感じられた。コートを預けてから予約席に案内される。

 椅子を引いて待っているボーイに礼を言いながら座った。夫も着席するとウェイターがひとりフードをかぶせてある台車を押しながら近づいてくる。そして私たちの前で止まった。

「お客様、こちらは当店から心ばかりのものですが」

 フードをのけると現れ出たのは季節外れなブッシュ・ド・ノエルだった。

「木婚式おめでとうございます」

 木婚式という言葉に聞き覚えがない。

「あの、木婚式というのは……」

「結婚五年目のご夫婦の結婚記念日を木婚式と申します」

 その一言で私はあまりの出来事に感極まって言葉を失った。

「ご主人から五年目の結婚記念日だとのご予約でしたのでご用意いたしました。どうぞお召し上がりくださいませ」

 それまで暗い照明だと思っていたが、ケーキの上で燃えているろうそくの明かりを見ていると急に店内が明るくなったように感じられる。

 中でもそれを載せた銀色の皿はひときわ光り輝いて見えた。

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 例文は「楽しい」の続きになっています。

「嬉しい」「楽しい」のようなプラスの感情だと人は見えているものが明るく色鮮やかに感じられるのです。

 ちょっと伝わりにくい例文になっているかもしれませんね。




つまらないと色褪せて見える

 「楽しい」と逆の「つまらない」心境になると物事が色褪せて見えてきます。

――――――――

 いつからだろうか。あいつのやること為すことが気に食わなくなったのは。

「今日は俺が奢ってやるから好きに食え」

 高笑いしながら大きな顔をしていたのに、いざ会計となったとき、

「ごめん、今手持ち無いわ。皆で割り勘にしておいてくれよ。金は後で返すからさ」

 と言った頃からだろうか。未だに金は返してもらえていない。

 それからというもの、あいつを上司だとは心底思えなくなった。そんなやつの言いなりにこき使われる仕事にも飽き飽きしている。

 その後あいつの飲み会には一度も参加していない。すると翌日大量の仕事を押しつけてくるようになった。自分の気に食わなければ何をしてもいいと思っているのか。

 でも今日は新しい派遣社員がやってきた。勤務時間後、課内に歓迎の宴席が用意される。これには私も参加せざるをえない。あいつの顔を見ながら寿司が喉を通るものか。

 紙コップに注がれているオレンジジュースが麦茶に見えて仕方がない。そんな麦茶色をしたものを一息に飲み込み、次はコーラを飲むことにした。赤いラベルのはずだがやけにくすんで見える。

「よぅ高城ちゃん、ビール飲もうやビール」

 こいつは遠慮なしに私の紙コップにビールを注ごうとする。

「まだ仕事が残っていますので」

 とすげなく断った。その仕事を押しつけたのはお前だろうが。心の中でそう罵倒しながら。

「まぁ頑張れや」

 相変わらず気に食わない高笑いを上げながら派遣社員にビールを勧めていく。

 水物だけを飲むわけにもいかないので、とりあえず寿司を食べようと手を伸ばした。

 しかし赤身もトロも鮭もすべて穴子に見えている。寿司よ、どういう了見だ。

 手近な一貫を摘んで醤油につけて食べてみた。トロだった。

 こんな神経衰弱ゲームはいつまで続くのだろうか。

 もうどうでもよくなってきた。すべてを諦めてしまおう。視界にあるネタを次々と頬張っていく。くだらないゲームは午後七時まで続いた。

――――――――

 さすがにここまで色彩感覚を失うことは珍しいと思います。

 ですがストレスがかかり続けたり物事がつまらなく思えたりしていると色褪せて見えてくるのは確かなようです。

 そういった心理描写をしている小説は文学でも珍しいので、差別化要素としてじゅうぶん「使えるテクニック」でしょう。





最後に

 今回は「情景による心理描写」の第四弾です。

 感情によって世界の見え方が変わっていくという描写法があります。

 楽しかったら彩り豊かに見えてきますし、嬉しかったら明るく見える。つまらなければ色彩が薄れていくのです。

 人間の心理は感覚器官にさまざまな働きかけをしてきます。

 とくに視覚や聴覚は大きな影響を受けるのです。

 それをどう文章で表現するかで、文章の品が決まります。

 視覚の変化を巧みに表現できれば、上品な小説に仕上がるのです。

 気象ほど明示的ではないのですが、感情によって表現の仕方も変えていくべきだと思います。

 次回は「悲しみ」「苦しみ」です。



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