211.再考篇:最初は必ず失敗する

 今回は小説の大半が「最初は必ず失敗する」ことについてです。

 あなたの好きな小説で最初の出来事を読み返してみてください。たいてい失敗していることがわかるでしょう。

 なぜ「最初は失敗」してしまうのでしょうか。





最初は必ず失敗する


佳境クライマックス」から「結末エンディング」を決め、そこから遡って「書き出し」を決めます。

「書き出し」では主人公の登場と「対になる存在」との関係、舞台(世界観)とフィクションレベルの説明などを明記したはずです。

「書き出し」と「佳境クライマックス」を繋ぐ段階が「展開部」になります。「展開部」で初めて物語は動き出すのです。「主人公がこうなりたい」と思いながら「主人公がどうなった」に至るために足りていないものを補完するために行動を起こすのです。

 ただし現在の小説では「書き出しは第一シークエンス(順序)の最中」という作品だけが生き残っています。

 これまで「エピソード」「場面シーン」と呼んでいたものをここでは「シークエンス」としてまとめて取り扱いますのでご注意くださいませ。




最初のシークエンスは必ず失敗する

 しかし「最初のシークエンスは必ず失敗」します。成功したらそこで物語が終わってしまうからです。

 たとえば誰かから追われている状況でスタートして、すぐに警察署に駆け込んで警察官に追跡者を逮捕させる。

 これでもうあなたは追いかけられることがなくなります。安心した日常を過ごせるのです。めでたしめでたし。

 ……でその後どう話を展開させますか。物語としてはここで終わってしまったのです。

 このように、もし最初の行動を成功させてしまったら、あなたならその後をどうやってつなぎますか。


 私なら「成功したのに何かを失った」ことにするでしょう。

 つまり表面上成功したのだけど、実は失うものもあったわけです。

 でもそれって結局何かを失ってしまったわけですから実質的には「失敗」していますよね。

 誰かから追われている状況からスタートして追跡者を逮捕させることに「成功」した。

 これで一件落着「成功」してはいますが、本当は追跡者が複数いて残った者が跡をつけて自宅の場所を割り出された。

 これだと「成功」したはずが「失敗」していますよね。だって追跡者たちに自宅を教えてしまったのですから。


 誰が長編小説を書いても「最初の行動は必ず失敗する」ものです。

 でもその失敗から次の行動の指針が生まれます。

 失敗したことで得られた経験から「目標達成に必要な要素」に気づき、それをひとつずつクリアしていくのが「展開部」の役割です。


 聡い主人公なら、行動して「失敗」する前から「目標達成に必要な要素」に気づいています。

 それでも頭の良い探偵や刑事などが主人公の推理小説で、「書き出し」冒頭から犯人に「お前が犯人だろう」とは言いませんよね。


 ゲームのエニックス(現スクウェア・エニックス)の堀井雄二氏『ポートピア連続殺人事件』でゲーム開始早々に「犯人はヤス」(この言葉はインターネット界隈で常套句になりましたね)と言っても証拠がないのです。

 まずは外堀を埋めるように証拠を集め、逃げ道のない推理を展開できて初めて犯人と対決できます。

『ポートピア連続殺人事件』で最短クリアするにも、最低限必要な情報を集めてフラグを立てなければなりません。

『ポートピア連続殺人事件』の最短クリアは『ニコニコ動画』に投稿されているので、興味があったら観てみるのもよいでしょう。




シークエンスとは立ちふさがる課題

 最終目標である「対になる存在」へ近づく主人公の前に次々と立ちふさがる課題。それが「シークエンス」です。

 物語は「設定」などを説明する「書き出し」、問題に対する対処行動「シークエンス」が四つ、そして最後の試練「佳境佳境」と後日談の「結末エンディング」の計「七部構成」が基本です。

 現在ではそのうち「書き出し」と「第一シークエンス」が融合して「六部構成」となっています。

 原稿用紙三百枚の長編小説なら「六部構成」で書くクセをつけましょう。「書き出し&第一シークエンス」「第二シークエンス」「第三シークエンス」「第四シークエンス」「佳境クライマックス」「結末エンディング」の六部です。

 三百枚を六つに分けると各部が五十枚ほどになります。実作では「佳境クライマックス」以外は四十枚ちょっとにして残りを「佳境クライマックス」に費やせば盛り上がりが増してよいですね。

 もう少し長い文章が必要なら「シークエンス」を増やし、もう少し短くする必要があるのなら「シークエンス」を減らして対処します。

 ショートショートには「シークエンス」がなく「いきなりクライマックス」状態です。

結末エンディング」もあって数文のことが多いため、実際の構成は「書き出し」「佳境クライマックス」だけというのが普通です。

 その「書き出し」すらも早々に切り上げるのがポイントです。

 説明は「佳境クライマックス」の話をしながら追い追いやっていけばいいのです。ただしショートショートではとくに説明しなくても出来事イベントの面白さで読ませられるので、必要最小限の説明に抑えればより短い小説にすることができます。

 短編小説なら「シークエンス」の数はひとつかふたつでしょう。

 超長編の連載小説なら、「シークエンス」(エピソード)の中でさらに「書き出し」「シークエンス」「佳境」「結末」の「シークエンス」(シーン)構成を作って「入れ子」状態にします。

 この方法をとれば、いくらでも長く小説が書けます。逆に言えばこのようになっていない小説は、ただ長いだけで読み手に「テーマ」が伝わらない自己満足な小説になってしまうでしょう。




シークエンスの成否パターン

「第一シークエンス」は前述の通り必ず失敗させます。しかしその反省から解決すべき問題が見つかるのです。

 水野良氏『ロードス島戦記 灰色の魔女』ではまずザクソン村の若者パーンと神官エトがゴブリン退治に向かいますが、二人だけでは失敗します。そこに魔術師のスレインとドワーフのギムが助太刀することでようやくゴブリン退治が完了するのです。


「第二シークエンス」では初めて成功を描きます。二連続で失敗すると主人公がかなり鬱屈してしまうのです。

 そうなれば感情移入している読み手もまた鬱屈してしまいます。

 小説投稿サイトで小説を読んでいるのは主に中高生です。

 だから「第二シークエンス」は成功してテンションのマイナスをプラスか最低でもプラスマイナスゼロに持っていく必要があります。

 そこで次の関門が持ち上がって「第三シークエンス」で解決すべき問題となります。

 『ロードス島戦記 灰色の魔女』ではアラニア公国のアランに到着したパーン一行が盗賊のウッドチャックから情報を得てとある館を訪れます。ここでダークエルフなどと激しく戦いますが直前に加入したエルフのディードリットとウッドチャックとともに知恵を使って勝利するのです。ここで失敗していたらパーティーの皆が呆れて何人かはパーティーから離れたと思います。


「第三シークエンス」の成功/失敗は書き手の任意です。第二シークエンスの流れに乗って成功を続けてもいいですし、また失敗してマイナスに触れてもいい。ある面には成功してある面には失敗するという方法もあります。

 いずれにしろ「第三シークエンス」を終えると次なる解決すべき問題が現れるのです。

『ロードス島戦記 灰色の魔女』ではヴァリス王国に向かうため“帰らずの森”を通り抜け、程なくして王女フィアンナを救出して勝利しています。これでパーン一行はヴァリスへとたどり着くのです。パーン一行はそこで“灰色の魔女”カーラの情報を得るために大賢者ウォートのもとへ訪れます。ただしこれがたいへんな行程であり、それをなしえたことでパーンたちはヴァリスの聖騎士たちからも一目置かれる存在となるのです。


「第四シークエンス」でそれを成功させると「佳境クライマックス」へ直結する問題が露わとなります。

 『ロードス島戦記 灰色の魔女』ではヴァリス王国のファーン王とマーモ帝国のベルド皇帝の直接対決に当たります。ここは双方の首領が戦死しますから痛み分けです。しかしその裏で“灰色の魔女”カーラが動いていたことがわかっていたため、物語は「佳境クライマックス」へとなだれ込みます。

 もし「第四シークエンス」で明確に失敗してしまうと、続く「佳境クライマックス」で主人公が勝ったシーンを読んだとき、読み手は「佳境クライマックスよりも第四シークエンスのほうが手強かったんじゃないのか」と勘ぐるのです。

 こうなると興醒めもいいところ。

『ロードス島戦記 灰色の魔女』はこれを痛み分けにすることでカタルシスを誘い「佳境クライマックス」への強い動機づけにしています。


佳境クライマックス」の内部構造で「第四シークエンス」よりも深く失敗する手がないこともありません。でも相当な筆力がないと最大の失敗からの最大の成功へと大逆転させるテクニックは操れないでしょう。

 『ロードス島戦記 灰色の魔女』の「佳境クライマックス」はパーン一行と“灰色の魔女”カーラとの対決です。「第三シークエンス」で大賢者ウォートからカーラを倒すためのアイテムと知恵を授かっているため、ドワーフのギムが犠牲となりましたが、パーンたちはカーラからサークレットを奪い取ることに成功します。




銀河英雄伝説の場合

 田中芳樹氏『銀河英雄伝説』が現在も名作であり続ける所以ゆえんはいくつかあります。

「第一シークエンス」は主人公ラインハルト・フォン・ローエングラム上級大将が物語冒頭で行なわれているアスターテ会戦において二倍の自由惑星同盟軍に完勝するところでした。その直前に自由惑星同盟軍ヤン・ウェンリー准将が奇策をもって反転攻勢し引き分けに持ち込みました。

 銀河帝国からすれば二倍の艦隊に勝利したので「成功」したように見えますが、ラインハルト自身は完勝を阻まれて「失敗」したと思っているのです。

 またヤンがイゼルローン要塞を奪取して自由惑星同盟軍がヤンの意志に反して帝国領へ侵攻してきます。

 迎撃の任に就いたラインハルトを始めとする元帥府の諸提督たちが焦土作戦に出て自由惑星同盟軍を飢えさせたのです。

 自由惑星同盟軍の補給線が伸び切ったところで一挙に攻勢を仕掛けて自由惑星同盟軍をアムリッツァ星域に追い詰めました。

 ここでもヤンがラインハルトの前に立ちはだかって完勝を阻止するのです。自由惑星同盟軍はおびただしい死者を出し艦隊戦力も著しく低下します。

 銀河帝国からすれば迎撃の任に「成功」したように見えますが、ラインハルト自身はまたしても完勝を阻まれて「失敗」したと思っているのです。

 そんな中で皇帝フリードリヒ四世が死に、後継者争いで帝国が二分されます。

 ラインハルト軍は門閥貴族連合軍(リップシュタット連合軍)を討伐して「成功」したかに見えて、親友のジークフリード・キルヒアイス中将に対して「失敗」したのです。

 その後ラインハルト元帥府の諸提督は帝国宰相リヒテンラーデ公爵一族を討伐してラインハルトの帝国内の独裁権を確保し、それを足がかりとして自由惑星同盟の討伐へと向かいます。

 このように『銀河英雄伝説』は「成功」しているように見えて「失敗」している状態が続くのです。つまり『銀河英雄伝説』も「第一シークエンス」(アスターテ会戦)では「失敗」しています。





最後に

 今回は「最初は必ず失敗する」ことについて述べてみました。

 物語の展開において、最初に起こる出来事(第一シークエンス)はたいてい「失敗」します。

「成功」したとしても他の何かが「失敗」するものです。

 もし「成功」だけが示されれば、物語はそのまま終わってしまいますからね。

 短編小説ならそれでもいいでしょう。

 しかし長編小説を目指すなら「第一シークエンス」は「失敗」させるべきです。



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