208.再考篇:リアクションとワケが命

 今回は「リアクションとワケ」についてです。

 小説を書いているときにうっかり書き落としてしまうことが多いのですが、そのために主人公への感情移入ができなくなることがあります。





リアクションとワケが命


 出川哲朗氏やダチョウ倶楽部の上島竜兵氏のような「リアクション芸」について述べたいわけではありません。

 それはそれで興味深いコラムになりそうですが。

 いつなんどき出来事が起こるかは主人公も読み手もわかりません。

 でも出来事は突然起こってしまいます。そのとき主人公はどのような反応をするものなのでしょうか。




リアクションは書き落しやすい

 小説を書いているとき、とかく見落としがちなのが「出来事に対する主人公や人物のリアクション」です。

 なぜか見落としてしまいます。それは書き手が小説世界に没入していて、主人公の気持ちに入り込みすぎているからです。

 一人称視点で書く場合はとくに主人公へ気持ちが入り込みすぎます。

 主人公から見えるもの、聞こえるものなど五感の刺激を余すところなく文章で書き込みたい。

 だから五感を書くことに集中してしまうのです。

 そうして「出来事に対するリアクション」は書き手が「書いたつもりになっている」ことが多くなっていきます。


 書きあげた原稿はいったん寝かせて、頭が物語世界から外れたときに推敲を開始するのです。書いた直後はまだ書き手が「物語世界に没入して」いて客観的に読めません。

 その推敲のときですら「出来事に対するリアクション」を見落としてしまいます。

 書き手から見れば「こういう展開をしているとき、この主人公ならこうするのが当たり前」という前提があるからです。

 設定をがっちりと固めてあるほど、この前提が頭から離れずリアクションを見落とします。

 どうすれば見落とさないで推敲できるのか。いやできれば書き落とさないで書けるのか。

 それが書き手の筆力を左右するのです。




どのような反応をするものなのか

 たとえばあなたの家に警察官がやってきて「強盗の容疑がかかっている。警察署で任意に事情を聴取したい」と言ってきたとします。あなたならどうしますか。


 初心者の書き手は次の文で「何も疑わずに警察署へ連れて行かれて取り調べを受ける」ことを書いてしまいます。


 ではあなたにかけられた「強盗の容疑」は身に覚えがないものでしょうか。

 そうなら「なぜ自分に強盗の容疑がかけられているのだろうか」と感じてそれを知りたいと思いますよね。

 だからたいていの人なら訪れてきた警察官になぜなのか聞き返すと思います。

 聞き返しもせずに警察署に任意同行されていったら「強盗の容疑を認めているから黙ってついてきた」と周りに思われてしまうのです。

 リアクションが書かれていないから出来事イベントによる影響をまったく感じさせません。


 もし「強盗の容疑」に身に覚えがあったときつまり主人公が犯罪者である場合は、なにかと理由をつけて任意同行には応じないと思います。

 何もせずに警察署に連れて行かれたら犯行を認めてしまったようなものです。だからあれこれ理由をつけます。

 状況次第では任意同行に応じるフリをして裏口から逃走を図るかもしれません。捕まったら最後だと思って。

 そのようなリアクションが書かれていなければ、主人公にはなんの葛藤もなかったことになります。


 サー・アーサー・コナン・ドイル氏『シャーロック・ホームズの冒険』にしろ、テレビドラマでピーター・フォーク氏主演『刑事コロンボ』にしろ、犯人はなにがしかの葛藤を抱いているのです。

 探偵や刑事から問われたことへ素直に答えるべきか、嘘をついてはぐらかすべきか。

 犯人はつねに葛藤のリアクションをとります。


 恋愛小説ならどうでしょう。

 意中の異性と近づきたい、でもあからさますぎると下心が見え透いてしまうかも、でもやはり近づきたいからなんとか話は合わせたい。そういう葛藤のリアクションがあります。


 あまりにも行きすぎればマンガの桂正和氏『I”sアイズ』の主人公・瀬戸一貴のように本心とは真逆の行動をとってしまうことでしょう。

 近づきたいんだけど、こちらの気持ちは気づかれたくない、だからつっけんどんなリアクションをして本心を気づかれないようにしよう。そういう思考に陥るのです。

『I”s』が秀逸な恋愛マンガである理由は、こういった一貴の「逆走くん」発動によって、意中の異性である葦月伊織との関係が近づこうとするたびに離れていく、また近づけるチャンスが来たのに離してしまう。そういうもどかしさがあるからです。

 それでも物語が進むに連れて徐々に距離は近づいていきます。


 出来事イベントに対するリアクションの描写がしっかりと書き込まれていること。

 そうすれば主人公がどんな気持ちで出来事イベントを受け止めたのかは明らかになります。

 書かれていなければ読み手には主人公の気持ちが伝わりません。主人公に感情移入できなくなるのです。

 だからリアクションは必ず書きましょう。

 一人称視点であれば主人公がどう感じているのか受け止めているのかは書いてあって当然です。

 リアクションのない一人称視点の小説など、小説ではなくシナリオのト書きにすぎません。




アクションにはワケが必要

 出来事イベントが起これば主人公のリアクションを書くのは必然です。

 では主人公が出来事イベントを起こした場合つまりアクションはどうでしょうか。

 出来事イベントを起こしたのにはワケがあるはずですよね。

 ワケもなしに出来事イベントを起こすのはよほどの天然キャラか危険人物ということになります。

 ですが小説の読み手は天然キャラでも危険人物でもありません。きちんと物事や空気を考えられる普通の人です。

 仮に読み手が天然キャラや危険人物だとしても、ワケもなしに出来事を起こした人の気持ちなんてわかるはずがありません。

 だから主人公が出来事イベントを起こすのなら、そのワケが書かれてあるべきです。

 できれば出来事を起こす前にその考え方や感じ方の状態を描写しましょう。いわゆる「前フリ」です。


 主人公が父親で、相手が小学生の実子だとします。もしなんの描写もなくいきなり「主人公が小学生の頭を殴る」とどうなるでしょうか。傍目からだと「突然子どもをぶん殴るDV親父」にしか見えませんよね。

 でももし生徒が万引きをして捕まり、主人公が身元引受人として警察に呼ばれていたという設定にします。

 そして子どもがなぜ万引きしたのか理由を聞き、主人公が納得できないから「主人公が小学生の頭を殴る」とどうなるでしょうか。DVではなく懲罰権の行使になりますよね。

 ですが現実では父親であっても実子の頭を殴っていい理由にはならないんですよね。

 それが正当な理由のある懲罰であっても現実では「暴力だ」「DVだ」と受け取られます。

 これは時代性や社会性の問題です。一概に子どもを殴る行為を否定できるものではありません。


 もし子どもを殴ることがダメな世の中に設定したのに、戦場で敵兵を情け容赦なく斬り伏せる父親は「あり」なのか。

 平気で人を殺せるのに、実子を殴れない世の中なんてありえるのでしょうか。普通に考えて「なし」ですよね。

 出来事イベントを起こすアクションには「ワケ」が要ります。

 ワケがなければ「突然子どもをぶん殴るDV親父」になってしまうのです。





最後に

 今回は「リアクションとワケが命」ということについて述べてみました。

 出来事が起きたのにリアクションを起こさない、またワケもないのに出来事を起こす。どちらも描写不足です。

 リアクションやワケをしっかりと書かなければ読み手が感情移入できません。

 言い換えれば「リアクションとワケが描写されていれば、読み手は感情移入してくれる」ことになります。

 推敲の段階で「リアクションとワケ」がしっかり書けているのかを意識してみましょう。

 もし書き落としているようなら、必ず差し挟むのです。

 それだけで作品の完成度がぐっと上がりますよ。



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