202.再考篇:もし○○が△△だったら
今回は「もしも」の話です。
「もしも○○が△△だったら」というフィクションを見ていきます。
もし○○が△△だったら
小説は基本的にフィクションです。
ノンフィクション小説も書かれていることがすべて真実とは限りません。もちろん取材はしているはずですが、その場にいた人物全員に取材するほどの熱心さはないでしょう。
よって「ノンフィクション」と呼んでいるのに、一方からの視点でのみ書かれた「その人にとって都合の良いノンフィクション」の小説が出来あがるのです。
フィクションとはifである
「フィクション」とはどのようなものでしょうか。
「作者の想像力によって作り上げられた架空の物語。小説。」(『大辞泉』)と定義されています。つまり「架空の物語」「小説」はすべて「フィクション」だということです。
「架空」とはなんでしょうか。
「根拠のないこと。また、事実に基づかず、想像によってつくりあげること。また、そのさま。」(『大辞泉』)になります。
「フィクション」で並んでいた「架空の物語(想像によって作り上げられた物語)」イコール「小説」なのです。
では書き手はどのように物語を「想像によって作り上げる」とよいのでしょうか。
人間、何の手がかりもなく想像を始めることはできません。
たとえばあなたに「十年後のあなたは何をしていますか」と質問したとします。
すると現在置かれている状況と自分がやれそうなことを勘案して「たぶんこうなっていると思います」という想像が導かれるのです。
このように実際に起こった出来事や実際に存在する事物、周囲の変化や自身の力量などにより「もしこれがこうだったらどんな展開になるんだろう」というところから想像は始まります。
「もしこれがこうだったら」は英単語の「if」です。「もし○○が△△だったら」。これが小説の出発点になります。
もし○○が△△だったら
「もし現代で異能力が使えたら」という想像から出発したライトノベルは谷川流氏『涼宮ハルヒの憂鬱』、鎌池和馬氏『とある魔術の禁書目録』を始めとしてたくさんあります。最も有名なのは筒井康隆氏『時をかける少女』ではないでしょうか。
「現代で異能力」というキーワードから、私はマンガのまつもと泉氏『きまぐれオレンジ☆ロード』を真っ先に思い浮かべます。次いで平松和正氏&石ノ森章太郎氏『幻魔大戦』ですね。
80年代は「スプーン曲げ」でおなじみとなったユリ・ゲラー氏を始めとする「超能力ブーム」が巻き起こっていた頃に当たります。
90年代に入るとMr.マリック氏による「超魔術ブーム」も生まれたのです。マジックショーが潤い始めたのも「超能力ブーム」が起こってからです。それまでは場末の出し物でしかありません。
ジャンボジェットを消すマジックでおなじみとなったデビッド・カッパーフィールド氏や、つい最近ではメンタリストDaiGo氏によるマジックが人気を集めましたよね。
彼らのいずれもが「もし現代で異能力が使えたら」を目の前で見せてくれた人たちなのです。
また「もし異世界に転生したら」「もし異世界に転移したら」という「異世界転生ファンタジー」「異世界転移ファンタジー」は、小説投稿サイト『小説家になろう』において単独ジャンルとなるほど数多く投稿されています。
そこから紙の書籍が山のように生まれているのです。「転生if/転移if」は現在最も読まれている「if」だと言えます。
「転生if」「転移if」が優秀なのは「異世界にたどり着いた主人公から見れば、見るもの聞くものすべてが珍奇なもの」だという点です。
つまり主人公の一人称視点で語られる場合、主人公が見る順番、聞く順番、感じる順番などで世界観を説明できます。
ただの「異世界ファンタジー」の場合、世界観を説明するのに案外苦労するのです。
主人公が異世界の住人であるため、主人公にとって当たり前のことをいちいち説明していくところに無理が生じやすい。
その点「転生」『転移」は主人公が異世界についての予備知識を持ちません。
読み手の立場と同じだということです。
だから異世界の設定を、主人公を通じて読み手に滞ることなく読ませることができます。
初心者の書き手でも比較的書きやすいのが「転生if」「転移if」なのです。
「歴史if」としては「もし織田信長が本能寺で死んでいなかったら」「もし織田信長が女だったら」「もし織田信長が比叡山焼き討ちを行なわなかったら」など、戦国時代の覇王・織田信長が最も題材になっています。
これらはゲームの光栄(現コーエーテクモゲームス)『信長の野望』に端を発していると見てよいでしょう。それ以前にも「もし織田信長が△△だったら」という小説はあったかもしれませんが、目立つようになったのは『信長の野望』発売以降です。
日本の「歴史if」では幕末を題材にしたものも数多くあります。とくに坂本龍馬は薩長同盟を手引きした人物として題材にしやすく、小説でもさまざまな「if」が作られているのです。中でも司馬遼太郎氏『竜馬がゆく』、マンガの武田鉄矢氏&小山ゆう氏『おーい!竜馬』などが有名でしょうか。
坂本龍馬を出さない幕末「歴史if」としてマンガの和月伸宏氏『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』を挙げる方が多いのではないでしょうか。(『ピクシブ文芸』には2017年10月30日に投稿しており他意はありません)。話の主軸が明治時代であり、幕末は過去の話。しかも主人公の緋村剣心と戦っていたのは新撰組など幕府側の人物です。だから坂本龍馬は出てきません。
新撰組と聞いて真っ先にアニメ化されたゲームのアイディアファクトリー『薄桜鬼〜新撰組奇譚〜』を挙げる方も多いでしょう。新撰組については司馬遼太郎氏『燃えよ剣』、浅田次郎氏『壬生義士伝』、池波正太郎氏『幕末新撰組』といった名著が挙げられます。
歴史を題材にした小説としては、中国三国時代の正史である陳寿氏『三国志』に対して、羅貫中氏『三国志演義』という蜀の国の初代皇帝となる劉備(玄徳)と蜀の軍師となる諸葛亮(孔明)を中心とした小説が生まれています。
吉川英治氏『三国志』はこの『三国志演義』を日本人向けにアレンジした小説です。
つまり吉川英治氏は翻訳と二次創作を同時に行なっていたことになります。さすが歴史小説の雄です。
このように「もし○○が△△だったら」つまり「if」こそがフィクションの鍵なのです。
常識を疑え
このような「if」は頭が常識に縛られているうちは出てきません。
常識を疑い「いや、本当はこんなことが原因だったのではないか」「いや、この流れで来たら展開はこうなっているべきではないか」と考えていると生まれてくるのです。
書き手にとって都合の良い「if」を思いつくことが、小説のあらすじを考える段階では不可欠だといえます。
最後に
今回は「もし○○が△△だったら」というテーマで述べました。
現在ではありとあらゆる分野で「if」が書かれています。
日本の「if」で最も古いのが日本の神話である『古事記』かもしれません。
そのときから日本人は「if」物語を好んでいたのです。古典であれば世界初の長編小説とされる紫式部氏『源氏物語』も有名ですね。
日本人のメンタリティーは「if」物語を好む傾向にあります。
前記した『三国志』も日本では『三国志演義』の内容のほうが好まれているのです。その結果三国時代は諸葛亮(孔明)が五丈原の戦いで陣没するところまでだと思っている日本人が多くなりました。
現在ではコーエーテクモゲームス『真・三國無双』シリーズなどで司馬懿を筆頭とした司馬一族の台頭と魏を滅ぼした晋による三国統一であることがゲーマーを中心にして認識されるに至りました。そしてその『真・三國無双』もまた「if」物語なのです。
日本では「ノンフィクション」があまり売れません。そのためか「想像を含むノンフィクション」のほうが読まれています。
近しいところではウォルター・アイザックソン氏『スティーブ・ジョブズ』が「想像を含むノンフィクション」伝記として爆発的に売れたのです。
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