183.再考篇:書き出しは何か物足りない

 今回は「書き出しを物足りなくする」ことについて述べました。

 ぐいぐい読ませる文章というのはえてして物足りないものなのです。





書き出しは何か物足りない


 すぐれた小説の「書き出し」冒頭の一文は「何か物足りない」ものです。

 もし冒頭の一文で5W1Hがすべて満たされていたらどうでしょう。その一文だけでこの小説が何を伝えたいのかが明確になってしまいます。

 たとえば「企画書」を全文そのまま書いてしまったとしたら。読み手はその一文より先を読もうとは思わないのです。

 報道文や論文ならそれでいいのですが、小説だとそこで完結してしまいますよね。それでは三百枚を読ませることはできません。

 よく「ぐいぐい読ませる文章」と言います。その文章をよく読むと「何か物足りない」と思う内容が連鎖的につながっているのです。

 では実際に名筆家の「書き出し」を三作品見てみましょう。




夏目漱石氏『夢十夜』

 夏目漱石氏『夢十夜』の冒頭の一文は「こんな夢を見た。」です。さて「どんな夢」を見たのか、夢を見た人物は誰か、そもそもいつどこで夢を見たのか。これらのことがまったく書かれていません。しかもこの「こんな夢を見た。」の出だしは第一夜・第二夜・第三夜・第五夜の四回も使われています。詩でいう「頭韻」のようなものですね。

「第一夜」ではその後、女の言うように「死ぬ」のだろうか、主人公から見たように「死にそうに見えない」のだろうか。何かミステリアスな雰囲気が漂ってきますよね。

 この先、女は死んでしまいます。そして遺言通りに大きな真珠貝で穴を掘って隕石のかけらを供えて主人公は百年待つことになるのです。

『夢十夜』はひじょうに重い話なのですが、軽妙な「書き出し」でそれを感じさせない技法は、現在のライトノベルの中で重い部類に入る作品では定番となっています。




芥川龍之介氏『羅生門』

 芥川龍之介氏『羅生門』の冒頭の一文は「或日の暮方の事である。」となっています。「ある日」は何年何月何日の暮れ方のことか、どこのことなのか、何が起こるのか・起こすのか、人物が出てこないけど誰から見た説明なのか(一人称視点なのか三人称視点なのか神の視点なのか)。これらのことは示されていません。

 続く文で人物が登場しましたが「一人の下人」という書き方ですから少なくとも「一人の下人」の一人称視点ではないことがわかります。ただこの下人の性別や年齢などは書かれていません。(まぁ女性なら「下女」と書くでしょうから、おそらく男性です)。下人は主人公でしょうか重要人物でしょうかただのモブキャラでしょうか。「雨やみを待っていた。」のですから雨宿りをしていることもわかりました。でもなぜ「雨やみを待っていた。」のか動機がわからないと思います。これで冒頭の「何か物足りない」のうち「どこのこと」と「何が起こるのか」は提示されました。しかし依然として「ある日」は特定できないし、誰の視点なのかも明確にはわかりません。

 改行して羅生門で雨宿りしているのはこの「一人の下人」ただ一人です。他には蟋蟀こおろぎが一匹円柱にとまっています。ということは「一人の下人」を見ていたのは「神の視点」であることがわかるでしょう。そして「羅生門」が朱雀大路にあることがわかりました。地理に詳しい方なら京都にあるのだなと理解できます。仮に朱雀大路が京都だとわからなくても芥川龍之介氏はこの文の続きで「羅生門は京都にある」ことを明確にしているのです。しかしその京都で災いが続けて起こっていることが書かれてあり、かなりの惨状が予想できます。でもどの程度の惨状なのかがいまいちわかりませんよね。芥川龍之介氏の筆はここから京都のうらぶれた姿を丁寧に描写していきます。

「何か物足りない」文を、続く文で答えを示しながら肝心のその文も「何か物足りない」文にしてあるのです。このように「何か物足りない」を繋げていくことで物語世界を読み手にぐいぐいと読ませていきます。




賀東招二氏『フルメタル・パニック!』

 賀東招二氏『フルメタル・パニック! 戦うボーイ・ミーツ・ガール』も重い話なのですが「書き出し」である「プロローグ」は実に軽妙です。

 冒頭の一文で話しかけられている相手の名前が「ソースケ」であることがわかります。

 続く文で「ソースケ」に呼びかけた人物が千鳥かなめという人物であることがわかります。しかし性別や年齢がわかりません。そして「ソースケ」はどんな人物か。

 続く文は千鳥かなめが気の強そうな少女であり、「ソースケ」は男子生徒であることがわかります。

 その後かなめが語ることで冒頭の「A4のコピー用紙、二〇〇〇枚」の意味がわかり、それを奪い取る作戦であることがわかります。

 『フルメタル・パニック!』は重い話を軽くするために「プロローグ」をこのように「軽妙」に作ってあるのです。実際第一章の入りは重い話になっています。ですが適度に登場人物たちの軽妙なやりとりを入れて重さ一辺倒にならないよう配慮されているのです。

「重いライトノベルを書きたい」と思っている書き手の方は『フルメタル・パニック!』をお手本にするといいと思います。長編シリーズは重めの話、短編集は軽めの話と分けてあるのもよい工夫です。アニメ化されている中で長編シリーズは『フルメタル・パニック!』『フルメタル・パニック! Second Raid』、短編集は『フルメタル・パニック! ふもっふ』で採用されています。

「面白い」「楽しい」ライトノベルを目指すなら短編集を参考にしてください。「重い」けれども「面白い」「楽しい」ライトノベルという矛盾するような要素をうまくミックスした賀東招二氏の筆致は見事です。





最後に

 今回は「書き出しは何か物足りない」について述べてみました。

 ぐいぐい読ませる小説は、書き出しで「何か物足りない」と思わせるものです。その「物足りなさ」を充足させたくて続く文章を読みます。すると物足りなかった部分は解消されるのですが、また新たな「物足りなさ」を覚えるのです。これが数珠つなぎになっている構造そのものが名作を形作っているともいえます。



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