177.再考篇:読み手が欲しているものとは

 今回は「読み手が欲しているもの」についてです。

 ライトノベルの主要層は中高生。現在中高生の方なら今欲しいもの、昔中高生であった方なら昔欲しかったもの。それを見つけるための一篇です。





読み手が欲しているものとは


 小説は読み手が「読みたい」と思うから読まれます。

 ただ単純に、バトル小説だから生死を賭けたバトルを見せれば食いつくだろう、と考えるのは早計です。

 読み手が「読みたい」のは確かにバトルシーンですが、そこに至るまでの前提や要件が整っている必要があります。

 ではどんな前提や要件が整っているとよいのでしょうか。




読み手が最も気になるのは恋愛と進路

 ライトノベルの主要層は中高生。

 中高生といえば思春期まっただ中で、とくに異性のことが気になりだす年頃です。

 だからライトノベルに恋愛要素は欠かせません。だからといって「ハーレム」にしてしまうのは行きすぎですが。ただ恋愛要素のほとんどないライトノベルはいまいちウケがよくありません。

 ライトノベル要素の強いSF小説である田中芳樹氏『銀河英雄伝説』も恋愛要素は少ないけれどまったくないわけではありません。当初はヤン・ウェンリーとジェシカ・エドワーズ、のちにヤン・ウェンリーとフレデリカ・グリーンヒル、ウォルフガング・ミッターマイヤーとエヴァンゼリン・ミッターマイヤー、ウルリッヒ・ケスラーとマリーカ・フォン・フォイエルバッハ、ユリアン・ミンツとカーテローゼ・フォン・クロイツェルなどまったく恋愛要素がないというわけではないのです。


 また進学進路についても中高生はあれこれ考えていると思います。

 ライトノベルでも最終的には進学先・就職先が決まって人間関係の整理をする段階を書くべきです。

「意中の異性と同じ学校に進みたい」「同じ会社に行きたい」という思いは現実でも小説でもあるのではないでしょうか。

 それぞれの人物が有する心の機微を丁寧に書いていけば、進路選択が想定される小説は必ず読み手から支持されます。

 とくに主人公が中学三年生や高校三年生だったら幕切れは進路が決定して学校を卒業する流れになるのです。

 それでも人気を博しているようなら高校編や大学編というのも描かれるかもしれません。

 古い例ですがマンガのまつもと泉氏『きまぐれオレンジ☆ロード』は中学三年生から始まってエレベーター式に同高校へと進学しても話が続いていますし、四コマ漫画のかきふらい氏『けいおん!』も唯たちが大学に行った後しばらくは連載が続きましたよね。




一緒にやろう

 人は群れたがります。

 他人にやってもらいたいことに自分も加われば、他人は自分のことを「仲間」だと認識してくれるのです。

 そうなれば否が応でも人間関係が出来あがります。


 恋愛小説で意中の異性がはっきりしている場合を考えてみましょう。

 その異性が何か作業をしていたとしたら、主人公はその手伝いを買って出るのです。受け入れられて一緒に作業できるようになれば連帯感を築けて次第に心が通うようになっていきます。

 そのようなきっかけをみすみす逃すような主人公は、勇気が出せない典例です。

 われわれのいる実世界においてこういう好機チャンスではなかなか勇気が出ないと思います。でも小説などの物語分野であれば、実世界のようなしがらみをかなぐり捨てて勇気を持って一歩を踏み出すべきです。


 渡航氏『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』略称『俺ガイル』は主人公・比企谷八幡が学園一の美少女である雪ノ下雪乃が部長を務める「奉仕部」へ強制的に入れられます。

 そこから人間関係が形成されていき、奉仕部の活動によって少しずつ親しくなっていくのです。

 奉仕部に依頼してきた由比ヶ浜結衣が流れで奉仕部入りして八幡たちと関係を深めていきます。

 これにより八幡を軸にした関係線が二本立つようになったのです。




どっちを選ぶの

 登場人物にいくつかの選択肢を示します。その中から登場人物はどれを選ぶのでしょうか。選んだらどのような結末が待ち構えているのでしょうか。

 その流れを読み手に見せることで、読み手の関心を惹くことがことができます。


 恋愛小説なら「意中の異性と幼馴染み、どっちを選ぶの」という形で書くのです。主人公はどちらを選ぶのか。読んでいてハラハラ・ドキドキが止まらなくなります。

 バトルマンガの桂正和氏『ウイングマン』では「年上で憧れの夢あおいと同級生の小川美紅、どっちを選ぶの」という軸で物語が進みます。

 でも冷静に考えれば、何も意中の異性か幼馴染みかの二択である必然性はないのです。クラスメートの誰かだってコンビニのバイトの人だってかまわないではありませんか。

『ウイングマン』ならウイングガールズでともに学園戦隊の一員である幼馴染みの森本桃子や報道部の布沢久美子という選択肢だってあるはずです。

 でも「どっちを選ぶの」と聞くときにあえて選択肢を絞ることでその他に考えを回させないように仕向けることができます。

 読み手に示されたのは書き手が巧みに誘導した選択肢なのです。

 もし「他に選択肢があるはずじゃないか」と気づいたら書き手の術策から脱せますが、そうなると物語がつまらなくなります。

 だから深読みなどせず書き手が示した選択肢を楽しむべきです。


 同じくマンガの桂正和氏『I”sアイズ』なら主人公の瀬戸一貴は「意中の葦月伊織と秋葉いつき、どっちを選ぶの」という軸で物語が進んでいきます。心はいつきに近づいていきますがいつきは渡米してしまうのです。

 となれば伊織に近づくはずですが、途中登場の磯崎泉がアタックをかけてきて「伊織と泉、どっちを選ぶの」となります。

 泉を振り切っていよいよ伊織と、と思ったら麻生藍子と出会うのです。

『I”s』が傑作となったのは必ず「意中の伊織と誰か」の二択の状態をキープし続けた点にあります。三択以上つまり「ハーレム」にしなかったのです。


『俺ガイル』も「雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣、どっちを選ぶの」という状態で第12巻まで来ました。どのような決着を見るのか、読み手はワクワク・ハラハラ・ドキドキしますよね。それは二択だからです。




自己承認欲求を満たす

 人は多かれ少なかれ「自己承認欲求」を持っています。「誰かに自分の考えや存在を認められたい」と思うことです。(心理学用語では単に「承認欲求」と呼びますが、現象を理解しやすいようあえて「自己承認欲求」と書いています)。

 それは読み手にもありますし、登場人物にだって当然あります。

 であれば読み手が感情移入する主人公も、事あるごとに周囲から認められていくようにすれば読み手の「自己承認欲求」を満たすことができるのです。

 またこれまであまり目につかなかった登場人物へクローズアップして彼や彼女の存在を引き立ててあげましょう。

 読み手はそういった人物たちからも「自己承認欲求」を満たすことができます。

 小説とは登場人物を通じて読み手が「自己承認欲求」を満たす芸術だと言えるでしょう。

『俺ガイル』では奉仕部の活動を通じて、比企谷八幡が同級生たちから次第に認められていきます。

 また依頼に来た人物がその意中の人に認められたらそこでも「自己承認欲求」が満たされるのです。

 出てくる脇役にもきちんとスポットを当てて描いているからこそ『俺ガイル』は人気が出ました。


 感謝をされると誰だって悪い気はしません。ただしあなたをおだてるためになんでもかんでも感謝してくる人物や団体は警戒しましょう。たいてい悪徳業者です。

 人は感謝をされると悪いことができなくなります。これは「自己承認欲求」に似た強制力が働くからです。

 相手から認められているのに、相手に悪いことを行なうのは申し訳ない気持ちが芽生えます。

 感謝されれば相手にもよいことをしてあげたい。これが人間の欲求の一つなのです。

『俺ガイル』も奉仕部へ舞い込んだ依頼を解決することで八幡が人々から感謝されていきます。

 さまざまなことを解決していったので、もはや八幡は期待を裏切れない状態にいるのです。




あなたにだけ特別な

 人には「優越感」があります。「あなたにだけ特別な」何かを与えられたらそれだけで「優越感」に浸ってしまうのです。小説ではなかなか使いづらい心理だと思います。

 たとえば主人公に「あなたにだけ特別な」何かを与えられたとします。すると「私(俺)ってそんなに特別なのか」と感じて「優越感」を味わえます。

 ゲームのエニックス(現スクウェア・エニックス)『DRAGON QUEST』は伝説の勇者ロトの血筋を引く者が主人公です。「あなたにだけ特別な」血統を持っています。だからこその「勇者」なのです。

 なので他人の家に押し込んで壺を割ったりタンスを開けたりしても誰も文句を言いません。なにせ「勇者」なのですから。

『アーサー王伝説』では主人公アーサー・ペンドラゴンが「岩に突き刺さっているこの剣を引き抜けた者が国王になれる」とされる試しの剣カリバーンを引き抜くのです。引き抜いただけで読み手は大きな「優越感」を味わえると思います。

 読み手は「ひょっとしたら自分も何か特別な存在なんじゃないのか」と考えるのも無理からぬことです。

 鎌池和馬氏『とある魔術の禁書目録』の上条当麻や川原礫氏『ソードアート・オンライン』略して『SAO』のキリト(桐ヶ谷和人)のように、主人公を通じて読み手である自分もなにか特別な存在なんじゃないかなという写し鏡になっています。

 だから両作品はたいへんな支持を集めているのです。




読み手が嫌なことをあえて書く

 中高生にとって最も頭を悩ませる「嫌なこと」は試験と受験です。ライトノベルで試験や受験の様子を描ききった小説というものはまずないと思います。

 学園バトルものは「実戦演習」という形で試験を行なうことが多いですよね。恋愛ものなら「試験勉強」を口実にしたイベントが発生するのもお約束。大きく言えば学園ものなら「受験」が最大の関門になるはずです。会社員なら「昇進試験」を行なっている会社も稀ですがあります。

 なぜ試験と受験は書きにくいのか。主要層の中高生が「嫌なこと」だからあえて触れなくてもと思う書き手がいるのは事実でしょう。

 しかしそもそも各教科の問題を考えることからして難しいのです。

 教員の経験がある書き手なら問題も数多く湧いてくるでしょうが、ライトノベルの書き手で教員の経験もある人がいるのでしょうか。

 だから試験と受験に向けて登場人物たちが勉強する姿を読ませることも必要です。

 読み手が「嫌なこと」でも「登場人物が頑張っているのだから自分も頑張らなきゃ」と勇気を分けてもらえるからです。

 たとえば「試験は自分の記憶力チェックゲームのチャンスだから楽しんで答えるぞ!」というような主人公を出したら、読み手も「試験は記憶力チェックゲームなんだ」と思って前向きにとらえるようになるかもしれません。


『ソードアート・オンライン』のアインクラッド編ではVRMMORPGの世界で死ぬと現実でも死んでしまう。つまり「死」という「嫌なこと」を出して、読み手が「死」について考えさせられます。


 たとえば「万引きをしたら逮捕される」というシーンがあるとします。読み手に「万引きなんかしたら窃盗罪で逮捕されて、そのことが学校や仲間に知られてしまう」という恐怖を植えつけるのです。それにより読み手から万引き犯を減らすことができます。

 このように「万引きは犯罪です」と書いても響かなかったものが「万引きすると窃盗罪で逮捕され、学校や仲間に知られてしまいます」と描写すれば心に響くのです。

「一人殺せば人殺しだが、百万人殺せば英雄である」とはベイルビー・ポーテューズの言、「赤信号みんなで渡れば怖くない」はお笑いコンビ・ツービートの言になります。このように言葉ひとつで道徳倫理が動かされるのが世の常です。

 だから犯罪者を輩出するような小説は、教育委員会やPTAなどから目の敵にされます。

 言葉ひとつで動かせるのであれば、犯罪を抑止するような表現を取り入れてみましょう。

 うまくすれば教育委員会やPTAからお墨付きを頂いて、学校の図書室に並べてもらえるかもしれませんよ。





最後に

 今回は「読み手が欲しているもの」について述べてみました。

 恋愛と進路、一緒にやろう、どっちを選ぶの、自己承認欲求を満たす、あなたにだけ特別な、読み手が嫌なことをあえて書く。

 以上のような点をこそ読み手は求めています。

 生死を賭けたバトルは確かに物語に強いインパクトを与えます。『SAO』を読めば明らかですよね。でもそれだけではいささか心許ない。

 そこに今回述べた要素を組み入れていくことで物語は多重構造となってより深く読み手の「心に痕跡を残す」ことができるのです。



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