172.再考篇:具体的な数字とデータを示す

 今回は前回に引き続き「抽象的な表現を具体的に」するための方法の紹介です。





具体的な数字とデータを示す


 前回は読み手に「Why(なぜ・どうして)」を感じさせない文章を考えてみました。

 今回は具体的な数字とデータを示すことで、読み手に伝わる小説にすることを考えてみましょう。




具体的な数字

「すぐに伺いますので」「まもなく電車が到着いたします」「もう少し待ってください」と言われたとき、あなたはどう思うでしょうか。「すぐ」「まもなく」「もう少し」ってあとどのくらいだ。十秒以内か、三分後か十分後か、あるいは一時間後かもしれない。結局あとどのくらい待てばいいのかわかりませんよね。

 小説の文章においてもそれは同じです。


「少し離れた店を訪れた」と書けば読み手は「どのくらい離れているんだろうか」と疑問に思いますよね。「一キロほど離れた店を訪れた」「十五分ほど歩いたところにある店を訪れた」なら「あ、なるほど。そのくらい離れている店なのね」と一瞬で理解できるのです。


「遠いところへ行く」と書けばあなたは何キロメートル先のことだと思いますか。人によっては百メートルですら遠いところでしょうし、百キロメートルでようやく「遠いところ」だと思う人もいるでしょう。

 またこの表現は「死ぬ」ことの比喩としても使います。手の届かないところという意味合いで使うこともあるのです。

 ですので小説で「彼は遠いところへ行ってしまった」などと書くのはよろしくありません。

 どのくらい遠いのかがわからず、読む人によっては「彼は死んでしまった」のだろうと受け取ります。

 それなのに「目的地に着くと彼は用意していた弁当を食べた」などと書こうものなら「あれ、死んでしまったのではないのか?」という疑問を読み手に生じさせるおそれがあるのです。

 こういう勘違い表現はかなりの確率で起きます。とくに小説を読み慣れている人は比喩表現をたくさん見知っているので、「死ぬ」比喩と混同しやすいのです。


「小高い丘から街を見下ろす」と書けば「どのくらいの高さかな」という読み手は思いますよね。こちらも「高さ三十メートルの丘から町を見下ろす」「ビル十階ほど高い丘から街を見下ろす」と書けば高さが具体的になり「このくらいの高さなのか」と読み手に理解させやすくなります。もちろん高層ビルがない地域の人からすれば「ビル十階」がどのくらいの高さなのかをイメージできませんが。

 具体的な数字を出すのなら多くの人がわかる数字を出すべきです。




異世界ファンタジーの単位

「異世界ファンタジー」はとくに具体的な数字を出す必要があります。

 異世界であれば現代日本と同じ単位を使っているとは思えません。

「度量衡」や「メートル・グラム法」「ヤード・ポンド法」など地球の歴史で用いられた単位が突然「異世界ファンタジー」に出てくると読み手は一気に興醒めします。

 商店で品物を買って日本円で支払うなんてあまりにもバカバカしいですよね。


 また一年が何日あるのか、ひと月は何日あるのか、一週間は何日あるのか、一日は何時間あるのか、一時間は何分あるのか、一分は何秒あるのか。

「異世界ファンタジー」であれば現代の地球と同じになる可能性はかなり低くなります。

 もし同じになるのなら、その説明をしなければなりません。たとえば「現代の地球のパラレルワールド」だというのはよくある設定です。

 何年何月何日という明確な日付を使えば、読み手に具体的な数字を示せていると誤解する書き手は多いと思います。


 田中芳樹氏のSF小説『銀河英雄伝説』は宇宙暦・帝国暦という年号こそ異なりますが、なぜか地球と同じ「何月何日」が用いられているのです。

 銀河帝国の首都星はオーディン、自由惑星同盟の首都星はハイネセンです。この二つが地球とまったく同じ自転速度・公転速度を持っているとは思えません。

 これを「銀河標準時」という形で解消しようとしていますが、そうなるとオーディンとハイネセンは夜明けの時間も黄昏の時間も地球と同一になることはまずないはずです。一年が同じ長さになることもまずありえません。

 でもなぜか夜も朝も同じようにやってきますし、一年が経って春が訪れるのも同じ月だったりします。『銀河英雄伝説』ほどの歴史に名を残すSF小説であっても、このような矛盾をはらむものなのです。

 ではどう対処すべきでしょうか。「屁理屈」しかありません。たとえば「地球と同じ自転速度・公転速度を持つ星を首都星にした」のように設定するのです。それなら地球と同じ「日時」であっても整合性はとれます。


「異世界ファンタジー」の単位はできるだけ独自のものにすべきでしょう。

 ただしそれが現代日本の単位に換算するとどのくらいになるのか。そこを必ず書くのです。

 書かなければ具体的な数字を出しても、読み手にはさっぱり伝わりません。

 たとえば羅貫中氏『三国志演義』では蜀の関羽(字は雲長)は身長が九尺あったとされています。ここで「へぇ、九尺もあったのか」と納得される日本人はどのくらいいるでしょうか。

 現在のメートル法に変換すると二百十センチメートルほどになります。こう書けば「関羽は二百十センチもあったんだ」と必ず驚かれるのではないでしょうか。

 現在使われていない「尺」という単位を使うのは「異世界ファンタジー」の独自単位を使うのと同じです。どのくらい高いのかまったくわからないと思います。

 そこで現代日本でわかる単位に直してみることで「二百十センチメートルほど」だとわかれば日本中誰もが「そんなに高いのか」と思うはずです。

 だから独自単位を小説内で書いたら、現代日本で用いられている単位に直すとどのくらいになるのかを示す必要があります。「九尺、日本では二百十センチメートルほどの高さがある」と書けばよいのです。

「年月日」などの時制も現代の地球とは別になるはずなので、そこも書かなければなりません。

 そこまで書いた「異世界ファンタジー」はあまりありません。だからこそ独自単位と時制をすべて決めた小説には価値があるのです。




データを揃える

 小説を書くときに必ず物や現象が出てくるでしょう。そのときそれらに関する詳しいデータを読み手に知らせる必要があります。つまり「データを揃える」のです。


「異世界ファンタジー」であれば「ドラゴン」という生物が存在することがほとんどでしょう。

 だからあなたの小説に「ドラゴン」を登場させたとしてもまったく不思議はありません。

 ただし、その「ドラゴン」はどういう姿をしているのでしょうか。

 西洋の神話に出てくる「ドラゴン」は「翼を持った巨大なトカゲ」という姿をしています。

 ゲームのエニックス(現スクウェア・エニックス)『DRAGON QUEST』に登場する後ろ足が大きい姿もライトノベルでは定番ですよね。

 東洋の神話に出てくる「ドラゴン」は「龍」という名で「足の生えた蛇」という姿をしています。マンガ・鳥山明氏『DRAGON BALL』に登場する「神龍」がその代表例でしょう。

 このようにひとえに「ドラゴン」と言っても外見はさまざまなのです。

 その外見を説明せずにただ「ドラゴンが立ちはだかっていた。」と書いても読み手は明確なイメージを築けません。

 自分にとって馴染みのある「ドラゴン」の姿をそこに見るのです。

 そしてあなたの小説がアニメやマンガになった際、登場する「ドラゴン」が読み手の想像と異なっていれば、一定量の読み手が「自分のイメージと違う」と感じてあなたの小説から離れていきます。


 これは「エルフ」や「ドワーフ」といったJ.R.R.トールキン『指輪物語』に登場する妖精や亜人にも当てはまるでしょう。

『指輪物語』やそれを元にしたTRPGテーブルトーク・ロールプレイングゲーム『Dungeons & Dragons』に登場するエルフと、水野良氏『ロードス島戦記』に登場するエルフのディードリットというキャラクターでは耳の長さが異なります。

『ロードス島戦記』以後のライトノベルでは「エルフ」といえば『ロードス島戦記』のディードリットのように長い耳が特徴となったのです。

 でも『指輪物語』に寄せたい人もいると思います。

「ドラゴン」同様、外見をしっかりと書かなければ読み手は明確なイメージが持てず、自分の中にあるイメージを投影するでしょう。やはり書かないことはデメリットしかありません。


 では「データを揃える」ところから始めましょう。

 あなたが書きたい「エルフ」はどのような姿・大きさ・身体的特徴・存在(人間か亜人か妖精か人類化能力があるのか)・考え方をしていますか。

 あなたが明確にイメージしている「エルフ」はどのような人物像でしょう。それを文章にしなければなりません。

『指輪物語』に準拠するなら『指輪物語』を読んでどのような人物像であるのか知る必要があります。『ロードス島戦記』に準拠するのも同様です。

 詳しく調べなければ「エルフ」に対する理解が足りなくなるおそれがあります。

「エルフ」の平均寿命は百歳以上であることが多く、中には不老不死の存在とされることもあるのです。このあたりも調べなければなりません。


 今はインターネット時代なので『Wikipedia』で検索して出てきたものを利用すればいいじゃないか。そう考える方もいらっしゃると思います。

 ですが『Wikipedia』は誰でも編集できて、つねに正しい情報が書いてあるとは限りません。『Wikipedia』は確かに便利ですが「万能ではない」のです。

 またあまりに『Wikipedia』で検索を続けると『Wikipedia』にアクセスするだけで「寄付しろ」ボタンが表示されます。私も実際「寄付しろ」ボタンが表示されているのです。

 インターネットは無料で『Wikipedia』の利用も無料であるはずですが、なぜか「寄付しろ」攻撃に遭います。

 だから便利だからといって、あまり『Wikipedia』は利用しないようにしましょう。


 できれば「ドラゴン」や「エルフ」であっても、あなたのオリジナルなものを作り出してください。

 たとえば前足の無い「ワイバーン」のような姿をした「ドラゴン」であったり、湖に棲む「ニンフ」のような「エルフ」であったり。

 あなたの作品における「ドラゴン」「エルフ」の定義は書き手であるあなたが定めればいいのです。

 たとえ「ワイバーン」のように見えても書き手が「ドラゴン」だと書けば、あなたの作品内の「ドラゴン」は前足がないものになります。

 そういった意味で「異世界ファンタジー」において「データを揃える」というのは「書き手が『こういう存在』である」と定義することを指しているのは明らかです。

 もちろん現代の地球で繰り広げられる日常小説の場合は、ほとんどの場合すでに存在するものですから必ず実際の「データを揃える」ことが求められます。

 たとえば「四つ葉のクローバー」の存在はそれほど珍しくなく「五つ葉のクローバー」「六つ葉のクローバー」のほうが稀である。などというような情報をきちんと集めて「データを揃える」のです。




揃えたデータを書く

 データを揃えただけで満足してはいけません。実際にあなたの作品内で揃えたデータを開示していく必要があります。

 出し惜しみしないでください。あなたの作品における対象の事物がどのようなものなのか。それを知っているのは現状書き手であるあなたひとりです。

 そのデータを読み手の目に晒してこそ、データは間違いなく読み手に伝わります。揃えたデータは惜しみなく書き込んでいく。それだけであなたの書いた事物が正確に読み手に伝わるのです。





最後に

 今回は「具体的な数字とデータを示す」ことを述べました。

 読み手に具体的な数字とデータを示すことで、読み手は明確なイメージを脳裏に浮かべることができます。

 示さなければイメージできないのです。そうなると読み手の記憶にある事物を持ち出してきて当てはめることになります。

「ドラゴン」も「エルフ」も具体的に書かない限り、違う作品で書かれていた「ドラゴン」「エルフ」のイメージを仮託するしかないのです。

 そして後々になってあなたが「この世界での『ドラゴン』は羽の生えていない巨大トカゲのような姿をしている」ような記述をしても、読み手は「そんなことを急に言われても記憶は書き換えられない」と反発するしかありません。

 具体的な数字とデータを書くことは、小説の現実味リアリティーを増す意味があります。



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