159.連載篇:本来と成長と動機

 今回は「勝手に動いてしまうキャラ」への対処法です。

 連載をしているとキャラの行動パターンが常態化してマンネリな対応になってしまいます。

 そこをどう突き崩せばよいのでしょうか。





本来と成長と動機


 小説の登場人物はある種「書き手の意図」どおりに動くものです。

 しかし書き手がその登場人物に設定している性格などからみて「この行動をとるなんて意味がわからない」と読み手に思われる行動をとることもかなりあります。

 小説の創造主である書き手が「なにがしかの意図」をもってとらせた行動なのでしょう。読み手には触れることができない領域です。

 ただし読み手としては楽しく読んできたのに、どう見ても「やはりこう動くのはおかしい」と思われる行動というのもあります。

 こういった理不尽な小説を結構目にするのです。

「書き手の意図」を優先するのか「読み手の投影」を優先するのか。




書き手の意図をゴリ押しすると

 まず「書き手の意図」を最優先に据え、「読み手の投影」を否定するやり方があります。

 これをやってしまうと読み手は「書き手都合かよ!」と感じて、その瞬間に小説を読むことをやめます。

 だって読み手としては登場人物がその場所に来るまで「どんな行動をとってきた人」なのかをつぶさに目の当たりにしてきたのです。

「このような選択を続けてきたのだから、登場人物はこういう性格や性質なんだろうな」というものに当たりをつけています。

 その当たりからの「逸脱」は「読み手を裏切る行為」です。

 だから読み手はその「逸脱」ぶりを目にすると続きを読むのをあきらめます。

「さっきのさっきまでこういう選択をしてきたんだよ? それがここにきてこんな選択をするなんてありえない!」

 そう思われたらそれは小説の大きな欠陥です。




読み手の投影を優先すると

 であれば「読み手の投影」がすべて正しいということでしょうか。

 そうすることで「書き手の意図」から離れてしまわないか心配になるのが書き手の性です。

「読み手の投影」と書けば抽象的でわかりにくいかもしれませんね。要は「キャラが勝手に動く」とほぼ同義です。

 小説を書き進めている間に、キャラはその時々でさまざまな判断をしてきました。

 そのキャラの判断を拠りどころとして、これから先の行動が決められていくのが小説の自然な流れだと読み手は思っています。

 読み手の思いを汲み取って先々の展開で「このキャラはこう判断しなければおかしい」という、形こそないが「暗黙の了解」となっている判断基準を優先するわけです。

 だから「書き手の意図」を「逸脱」して「キャラが勝手に動く」ことになります。




勝手に動くキャラへの対処法

 しかし「ここでキャラがこの判断をしてくれないと、当初の『プロット』のとおりに話が進んでいかないんだけど」という岐路に書き手が立たさせることがあります。

「書き手の意図」どおりにキャラの進路を決めていかないと、当初の「プロット」から「逸脱」して、この先どんな展開にしてよいのかわからなくなる。というのはとくに初級の書き手が連載小説を始めたときに出てくるものです。

 つまり「計画なしの行き当たりばったり」な展開になります。

 この状況に陥ってしまうと、元の路線へ戻すにはたいへんな回り道をしなければなりません。

 だから重大な岐路に立たされたとき「書き手の意図」をキャラが自然に選択するように誘導してあげる必要があります。




本来はこんな人

 ひとつは「キャラの性格・性質に言及する説明と描写を随時巧みに織り交ぜておく」ことです。

「書き手の意図」として「このキャラは本来こういう選択をする人なんだけど、今までは状況や周囲に合わせてこんな選択をしてきたんです」と書いておきます。

「本来はこういうキャラ」というものをこれまでのキャラの判断の際に読ませておく。

 そうすれば読み手が岐路へ差しかかったとき、「書き手の意図」でキャラが選択をしても容易に受け入れられるようになります。

 ただそこまでひとつひとつの選択で「本当はこうしたいんだけど、状況や周りに合わせなきゃ」と書いていくのはたいへんに面倒です。

 また読み手も毎回のように「本当はこうしたいのに」を読まされます。こうなるとある種の苦行に近いのです。

 方法論のひとつではありますが、あまり実用的とはいえません。


 私が投稿している『暁の神話』において王国軍務長官ミゲルを似たような演出で書いています。

 こちらもいちいち「本当は人を殺したくないのに」ということを繰り返しているので、読み手としてはそのシーンがやってくると「またかよ」というあきらめにも似た感情を覚えたことでしょう。

 あまり賢い書き方ではなかったなと反省することしきりです。




反省と成長

 小説に登場するキャラのほとんどは人間です。稀に動物だったり魔物だったり天使だったりロボットだったりしますが、ここでは人間としてのみ書いていきます。

 人間は「選択して結果がわかるとその選択を反省して成長していく」生き物です。

 そのため人間は他の動物よりも体の中で脳が占める割合がきわめて大きく、これまでの選択と結果のすべてを大脳に刻んでいます。

 過去に「こう選択したけど結果が悪かったからこの選択ではダメだ」ということをキャラに感じさせる。つまり「反省する場面」を書きます。

 読み手がキャラに感情移入していればいるほど、この「反省」の感情を共有してもらえるのです。

 逆に「こう選択したら結果がよかったからこれからもこの選択をしよう」とキャラが感じる場面があれば、こちらも「反省する場面」を書くことになります。ただし「自信を深める」ためにですが。

「挫折と成功」の「反省」があると精神的に「成長」します。

「次は失敗しない選択をしなければ」「次も成功する選択をしよう」

 そういう思いがキャラに強くにじんでいれば、岐路で「書き手の意図」どおりキャラを動かすことができるのです。




動機

「本来はこんな人」「反省と成長」は事前に綿密な「プロット」で仕組んでおかないと効果がありません。物語の途中からいきなり取り入れるにはハードルが高いということです。

 では今書いている小説はどうしようもないのか、といわれると「今からでもできることがありますよ」とお答えします。

 それは「動機」の活用です。

 剣同士で戦っていると仮定します。相対してみると相手にスキがない。こちらから動くと切り返されるのではないか。双方がそう思うと膠着状態に陥ります。

 付け入るスキがないのなら作ればいいのです。「ここでわざとスキを見せて相手を動かしたらそこを切り返そう」という「動機」があれば均衡が崩れて双方が動き出します。


 人間が行動するのはなにがしかの「動機」があるからです。

「ここでこう選択するとこうなるんじゃないかな」というものが「動機」になります。

 先の例では「わざとスキを見せて切り返そう」というのが「動機」です。

「動機」があれば選択肢の中からひとつだけを選ばせることができます。それまでどんな選択をしてきたのかに関係なくです。

 だからこそ今書いている小説で「書き手の意図」のためにキャラを動かしたいのなら「動機」を与えてあげる必要があります。

 それもそのキャラの性格や性質に則った「動機」でなければなりません。

 性格や性質を無視した「動機」は「唐突感」が強くなります。逆に性格や性質に則っていれば「必然感」が生まれるのです。

 たとえば気になる男性へ思いを伝えようか迷っている女性主人公がいるとします。

 今のままでは告白することはまずないでしょう。迷ったままでいるのです。

 でももしその男性に言い寄ってくる女性が現れたとしたら主人公はどうしますか。

 男性が言い寄る女性をフるまで待ち続けるか、その女性が告白する前に告白してしまおうか、ですよね。

 後者なら迷っていた主人公にとって「言い寄る女性」が「動機」となっています。


 つまり告白したいけどできないキャラなら、告白せざるをえない「動機」を与えてやることです。

 そうすれば主人公が告白する大義名分が立ちます。





最後に

 今回は「勝手に動くキャラへの対処法」として「本来と成長と動機」を見てみました。

「キャラが勝手に動く」のはキャラが立っているということです。それ自体は悪いことではなく、むしろ歓迎すべき。

 でもそれによって「書き手の意図」から外れてしまうこともあります。

 勝手に動くキャラには「本来こういう人」「反省と成長」「動機」を与えてやると動く方向を決めることができます。

「全然キャラが言うことを聞いてくれない」という状態に陥ったら、この三点を思い出してください。



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