158.連載篇:舞台の深掘りと広がり
今回は「舞台」についてです。
深める方法と広める方法があります。
どちらを選ぶかで物語の規模が決まってきます。
舞台の深掘りと広がり
人物とくに主人公を深掘りし、登場人物の相関図を作りました。これで連載小説が始められる、というものでもありません。
それらだけが出来ても活躍する舞台がしっかりとしていなければ、ひじょうにこじんまりとした作品になってしまいます。
こじんまりとした小説
学園もののライトノベルは舞台がひじょうに小さくこじんまりとしています。
「エピソード」の大半が学園内で起こるため、舞台をそれほど広げなくてよいのです。
広げるよりも舞台となる学園を深く掘り下げていきます。
生徒や教師に新キャラを次々と出していけば学園の隅々まで読み手が理解していくのです。
学園という狭い舞台にさまざまな人物を出すことで多種多様な人間関係が生み出されていきます。
でも学園内だけで出来事が起きるのでは単調になりすぎるだろうな。そう思いませんか。
そんなときは放課後や休日などに学園外イベントをたくさん用意して舞台を広めていきます。
もう何度も述べていますが、渡航氏『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』略称『俺ガイル』は学園ものライトノベルにおいて最もよいテキストです。
物語の大半は主人公が通う「千葉市立総武高等学校」内で進みます。
ときどき放課後や休日に学園外のイベントが出てきて彩りを添えていくのです。
だから舞台の狭い学園ものであってもひじょうに内容の富んだ面白い作品として仕上がっています。
水野良氏『ロードス島戦記』は「ロードス島」という狭い舞台で物語が進んでいきます。
島の中にいくつか国もあるのでそこまで窮屈さは感じませんが「ロードス島」から出られない呪縛があるのです。
よって本編七巻に外伝二巻の連載にとどまりました。
まぁその後主人公を代えた『新ロードス島戦記』も販売されていますから、そういう意味では狭くても主人公が代われば戦いようはあるのです。
舞台が広い学園もの
では学園ものは押しなべて舞台が狭いのか、といえばそうとは限りません。
佐島勤氏『魔法科高校の劣等生』略称『魔法科』も「国立魔法大学付属第一高校」を舞台にした学園ものなので、基本は『俺ガイル』と同じく舞台は狭くなるはずです。
ただし第一高校と同じ「魔法科高校」は第二、第三、第四と存在します。
それだけでも舞台は『俺ガイル』より格段に広くなっているのです。ゆえに現時点で巻数が『俺ガイル』の約二倍あります。
長期連載を考えたとき、舞台が広いほどエピソードに多様性が生まれるため有利に働くのです。
『俺ガイル』は「総武高等学校」が主たる舞台であるがゆえに、そこだけが物語の中心になりどうしてもこじんまりとしてしまいます。
『魔法科』が本編二十三巻に番外編一巻も発売されているのは舞台が広いことも要因の一つでしょう。おかげで物語が多角的になってスケールがより大きくなりました。
水野良氏『魔法戦士リウイ』『魔法戦士リウイ ファーラムの剣』は同氏『ロードス島戦記』と同時代にアレクラスト大陸で起こった主人公リウイの冒険譚です。
つまり舞台は『ロードス島戦記』よりも大きくなります。舞台が広くなれば国の数も増えますし、国際紛争という問題も大きく生まれてくるのです。
さらに『ファーラムの剣』では毎回別の国へ行くことになるので出てくる人数も『ロードス島戦記』より段違いに多くなります。
結果オーファンが主たる舞台だった『魔法戦士リウイ』が本編九巻に外伝一巻で終わりましたが、『ファーラムの剣』では一国を一巻で終了させている手際のよさを見せても三巻と八巻を足して十一巻かかりました。合計すれば二十一巻で物語が終了したわけです。
舞台が広いとエピソードはかなりの数を作ることができる典例です。
単巻か連載か
『俺ガイル』と『魔法科』の二作品は何が違って舞台が広狭しているのでしょうか。『俺ガイル』は当初単巻「三百枚」だけの設定だったのに対し、『魔法科』は元々『小説家になろう』において長期連載が計画されていた点にあります。
つまり私が本コラム初級篇で書いた「『三百枚』で使う範囲だけの舞台を設定した」のが『俺ガイル』なのです。前述しましたが『俺ガイル』のように舞台が狭いと人間関係に重きを置けます。そして単巻が連載になったとき、渡航氏はむやみに舞台を広げなかったのです。
舞台を「総武高等学校」に据えたまま、多様性は放課後や休日のイベントとして起こすようにしました。
そのためライトノベルの主要層である中高生にとって身近な小説となったのです。
複数の学園へ同時に通う生徒なんていませんからね。ひじょうに受け入れやすいのです。
ですから「三百枚」で勝負したい場合は舞台はできるだけ狭いほうがいい。
舞台を広げすぎて内容がスカスカでは「小説賞・新人賞」は狙えません。
舞台を限りなく狭めて内容を濃密にしたほうが審査員のウケがいいはずです。
ですが小説投稿サイトで連載しようと思ったら、逆に舞台は可能な限り大きくすることも考えておいてください。
舞台が広ければいくらでも連載が続けられます。
逆に言えばウケが悪ければ早々に畳んでしまえるのです。
そして別の主人公を作って同じ舞台で連載を始めるという荒業も使えます。
川原礫氏『ソードアート・オンライン』はVRMMORPGを舞台として実にさまざまなゲーム世界を生み出して長期連載を可能にしたのです。
新たなゲーム世界を作ればそれだけで複数巻連載が続けられます。
この仕組みは小説投稿サイトで大きく刺激を受けたフォロワーを生み、似たような小説が乱造される源ともなったのです。
小説投稿サイトは基本的に「独創的な作品」がまず目立ち、それがランキングに載ることでフォロワーが「似たような作品」を作って市場を形成するのが定番となっています。ときにフォロワー作品のほうが創始者よりも目立つ場合もあるのです。
だから小説投稿サイトはある程度文章力をつけてから「独創的な作品」を書きましょう。フォロワーに出し抜かれないためにも必要なことです。
創始者であるあなたが確実にフォロワーより目立てなければあなたの舞台設定は「踏み台にされた」だけで終わってしまいます。
最後に
今回は「舞台の深掘りと広がり」について述べてみました。
小説賞はあくまでも「三百枚」で物語が完結しているからこそ受賞できます。
「三百枚」で物語を終える必要がある場合は「必要最小限の設定」でないと風呂敷を広げすぎて収拾がつかなくなってしまうのです。
小説には余分なことを書いているスペースなんてありません。すべての文が物語に意味をもたらすのです。
もし余分なことを書いてしまうと読み手は「ここは書かなくてもいいのでは」「かさ増しのためのシーンだな」ということをひと目で見抜きます。
小説投稿サイトで連載を始めるときは、舞台を広げるだけ広げて書いたほうがいいでしよう。
仮にその連載が不人気でも、すぐに畳んで別の主人公を立てて同じ舞台で物語を始めることもできるからです。
不人気だから連載を畳むのは当たり前のことですが、次の作品は必ず別の舞台でなければならない理由なんてありません。
そもそも舞台や世界観はそう簡単に次々と生み出せるようなものではないのです。
「三百枚」か連載か。それにより舞台を掘り下げるべきか、広げるべきかが決まります。
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