126.応用篇:期待を超える
小説を連載していると読み手が先々の展開を先読みしようとしてきます。
ならばその上を行くにはどうすればいいのか、というお話です。
期待を超える
読み手とは身勝手なもので、小説の連載を読みながら、都度その結末を予想して期待しています。
だから話の筋をきちんととろうとした作品ほど、結末が読み手に見透かされてしまうものなのです。
だからといって話の筋をまったく無視して奇想天外な結末を持ってくるようにと指摘したいわけではありませせん。
新世紀エヴァンゲリオン
現在でも新たな劇場版が作り続けられている(はずの)『新世紀エヴァンゲリオン』はそれまでの汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンに乗って使徒と戦っていた流れをとてつもなく無視して、第25話・第26話で奇想天外な結末を迎えました。
そのあまりの出来事に視聴者は開いた口が塞がらなかったことでしょう。
「今まで観てきたアニメはなんだったのか」と。
(すでに新劇場版四部作も完結しており、正式に終了しました)。
ここまで極端な例は現在ではまず見られませんが、読み手や視聴者の予想や期待を超えてやろうと躍起になってしまうのはクリエイターの性かもしれません。
成長が鍵
ではどうやって読み手の期待を超えてやればいいのでしょうか。
それは主人公や登場人物を「成長」させることから生まれてきます。
物語を通じてキャラクターが「成長」していき、そのキャラクターがとれる選択肢を都度増やしてやるのです。
そうすれば読み手が予想していた結末から展開が少しずつ逸れていきます。
たとえ最終的に読み手が初回に予想したのと同じ結末を迎えたとしても、途中で想定から逸れていくことで意外性をもたらすことができるのです。
逆に選択肢を減らしてしまうこともできます。
「この立場になったらこんな行動はとれない」という具合に。
それほど「成長」は物語の根幹を握っているのです。
誰かに認めてもらうこと
たいていの人間は一人では生きていけません。
種として存続するためにも最低男女の二名が必要です。
そして人にとって「生きていてよかった」と思える瞬間があります。
「誰かに認めてもらう」ことです。
ほとんどの方は「誰かに認めてもらう」と嬉しくなります。
スタート地点では誰もが素人です。
そして努力や修行や対戦といった出来事を通じて「成長」していきます。
そして「倒さなければならない相手」つまり「対になる存在」に打ち克つことで、人々は「勝者と認める」のです。
これまでの努力や修行や対戦の数々が実を結びました。
人として「成長」した姿を皆に見てもらえるのです。
これほど嬉しいことはありません。
ほとんどの小説は主人公が「成長」を続けることで襲いかかる出来事を次々とやっつけて、人々が「勝者と認める」存在になって祝われて終わります。
祝福されて幸せに満たされて終わる、いわゆる「ハッピー・エンド」です。
そういう観点で見ればテレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』の第25話・第26話は主人公の碇シンジが「成長」したことを皆が認めてくれて「おめでとう」と言ってもらえたのだとも言えます。
「ハッピー・エンド」のひとつのあり方なのかもしれませんね。
ハッピー・エンド
ライトノベルは基本的に「ハッピー・エンド」が好まれます。
誰からも救われない「バッド・エンド」で気に病むような作品は評価を得にくいのです。
これは主要層が中高生だということも大きく影響しています。
明るく楽しい作品なら皆で話の種にするくらい現在の中高生はライトノベルを普通に読むのです。
(2022年ではすでにライトノベルを読んでいるのが中年男性にシフトしていますが、ハッピーエンドが望まれるのに変わりはありません)。
どうしても「バッドエンド」がよいと思っていたとしても、その最終局面が来るまではあくまでも「ハッピー・エンド」に向かいそうな流れで物語を展開しなければなりません。
「鬱展開」などしようものなら次第に友達との話題にのぼらなくなり、結果読まれなくなって閲覧や売上が目減りしていきます。
だからたくさんの人に読んでもらいたいなら「ハッピー・エンド」を目指すべきです。
目指した結果「バッド・エンド」になるのはかまいません。
「バッド・エンド」にしたいなら、要所要所でフラグを立てておいてください。
読み手の心が知らぬうちに耐性を作ってくれます。
最初から「バッド・エンド」にしようとした連載は面白みがないのです。
DEATH NOTEとプラチナエンド
アニメ化されたマンガの大場つぐみ氏&小畑健氏『DEATH NOTE』は主人公・夜神月が世界的な名探偵Lに勝つまでを月の「ハッピー・エンド」路線で描いています。
つまり月が勝つことが前提となっている話の作り方だったのです。
だから読み手もワクワク・ハラハラ・ドキドキして連載を心待ちにしました。
しかしその後に訪れたニアとの戦いは最初から「バッド・エンド」路線で描かれていたのです。
Lに勝った余韻でしばらく「バッドエンド」路線に切り替わったことがわからなくなっていますが、メロ&ニアとの戦いによって形勢がニア側に大きく傾いていることがわかります。
ニアが「月がキラだ」ということを匂わせて日本捜査本部の人間を月から引き剥がしにかかっているのです。
しかしこの流れがあまりに強引すぎました。
それまで月を信じて疑わなかった日本捜査本部の面々が次々と月を疑いだしたのです。
一人ひとりの引き剥がしをもう少し丁寧に書けていたら、月の焦りが表に出てきて緊迫感が出たと思います。
月の協力者であった高田清美が死んだところで「バッド・エンド」が確定したといってよいでしょう。
『週刊少年ジャンプ』の路線で考えると「殺人鬼が勝って終わる」のをよしとしないのは理屈ではわかるのですが、なんともいえない終わり方になってしまいました。
「殺人鬼が勝って終わる」といえば『北斗の拳』のケンシロウや『CITY HUNTER』の冴羽リョウなど劇画系のマンガに多い傾向があります。
彼らは善いことをするために犯罪者を殺していくので「殺人鬼」呼ばわりは少し酷かもしれません。
ですが、実際かなりの数を殺していることは事実なので、そういう括りとして捉えてみました。
『DEATH NOTE』の夜神月も「犯罪者を裁いていた」わけだからケンシロウや冴羽リョウとたいして変わらないんですけどね。
「バッド・エンド」に持っていきたければ引き剥がし工作はもっと丁寧に描写してほしかったと思います。
同じくマンガの大場つぐみ氏&小畑健氏『プラチナエンド』は幸いなことに『週刊少年ジャンプ』ではなく青年向け『ジャンプSQ』での連載です。
こちらなら「殺人鬼が勝って終わる」ことも普通にできます。
つまり『DEATH NOTE』のときとは異なり、最後の最後まで架橋明日と生流奏(メトロポリマン)のどちらが勝つのかわからないのです。
「期待を超える」終わり方をすることもできます。
(2017年11月現在では勝敗が確定しています)。
ひょっとすると『ジャンプSQ』での連載であっても、歴史に残る「名作」として語り継がれるかもしれません。
緻密な描き込みで定評のある小畑健氏の作画なので、イラストやマンガを描く人にはぜひ読んでもらいたい作品です。
(物語はどうにも締まらない終わり方をしましたね。アニメ化もされましたが、本当によい物語だったのかは、読んだ人、観た人にしかわからないのかもしれません)。
最後に
今回は「期待を超える」ことについて述べました。
読み手は連載初回から「こういう結末になるのでは」と予想しながら小説を読みます。
その期待を超えてみせるのが書き手の力量なのです。
期待の範囲内では読み手はつまらなく感じます。
「期待を超える」には主人公を「成長」させることです。
「成長」する過程で読み手が予想する結末はどんどん変わっていきます。
変わっていくから「期待を超える」ことができるのです。
そしてどん底からの大逆転は起こるのか。
「期待を超える」ほどの「ハッピー・エンド」を生み出せるのか。
それが小説の絶対的な評価にかかわってきます。
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