38. :人間関係の書き方
異例の一日二本目のコラムです。(『ピクシブ文芸』連載当時)。
あらすじを書いたときに主人公と「対になる存在」は決めてありますよね。
そこにどう第三者が絡んでくるのでしょうか。
第三者の立ち位置による物語の変化はあるのでしょうかか。
人間関係の書き方
小説とは「主人公がどうなりたい」からスタートして「主人公がどうなった」で終わります。
でも主人公ただ一人が出てくる小説はひじょうに稀です。牧歌的とでもいうべきでしょうか。
自然がそれを起こしていることもなくはないでしょう。でも主人公が大自然と闘うだけの小説が面白いと思いますか。
無人島や雪山登山での冒険記であれば大自然を相手に一人でどこまで立ち向かっていくのかを描く物語でも成立はします。アーネスト・ヘミングウェイ氏『老人と海』のように。
でもそれがあなたの書きたい小説なのでしょうか。
冒険記での人間関係
冒険記は極めて特殊な人間関係ともいえます。
主人公ひとりだけで物語が進んでいるように見えますが、大自然が「対になる存在」となるのです。
そして大自然が主人公に干渉してきて彼の命運を左右していきます。
ほとんどの場合大自然が容赦なく主人公を苦難に陥れようとするのです。
それを主人公が克服して目標を達成するときがその冒険記の
こうやって主人公対大自然の闘いは読む人をワクワク・ハラハラ・ドキドキさせていくわけですが、これはどちらかというと小説よりノンフィクションで読みたい分野ではないでしょうか。
小説はしょせん作り話です。どんなに過酷な条件と状況を描いても、読み手がそこまで主人公に感情移入しにくい。
でもノンフィクションであれば語り手が感じたリアルな出来事とその対処を読むことで読み手は感情をこのうえなく高めることができます。
「こういうときはこうすればいいのか」という経験知は題材を同じくした場合、小説よりもノンフィクションのほうが高いのは自明です。
「事実は小説より奇なり」と言います。
小説でいくら筆致を尽くしても、ノンフィクションの説得力に比べれば
初心者で筆力のない書き手は「冒険記」の類は書かないほうがいいでしょう。
小説での人間関係
では作り事である小説ではどのような人間関係を描けるでしょうか。
最も重要なのは「主人公」と「対になる存在」との人間関係です。
これが明確でない小説は、ただの自己満足でしかありません。
「主人公がどうなりたい」に対して「対になる存在」や「立ちはだかる存在」が行く手を阻みます。
いくら結論を先送りにしていてもいつかは決着をつけなければなりません。
安っぽい言葉ですが「宿命」とでもいうものが二人の間には存在します。
主人公と「対になる存在」は基本的に何かが真逆の存在です。
恋愛ものなら「男性」と「女性」(LGBTQXや異世界を除いて)になります。勧善懲悪ものなら「正義(善)」と「悪」、ギャグものなら「ボケ」と「ツッコミ」でしょうか。
日本的な物語では「一方の正義」と「他方の正義」のように双方とも正義を主張していても、その内容が異なるがために対立するということがあります。
いずれにしても何かが真逆の存在なわけです。
そのような主人公には「対になる存在」から様々な試練を与えられます。
意中の女性が「私、年収一億円以上でないと恋愛対象とは見なせないのよね」などと発言したら、主人公はどんな手段を使ってでも年収一億円超えを目指さなければなりません。
恋愛ものだけでも「対になる存在」から越えるべきハードルが提示されるものなのです。
バトルものなら主人公に刺客が差し向けられ、それをいちいち倒すなり逆に仲間に引き入れたりしていく必要があります。
第三者との人間関係
バトルもので差し向けられた刺客は主人公でも「対になる存在」でもありません。第三の人物です。
小説は主人公側が単独行であっても、相手側は多数の刺客や障害を放ってくるパターンが多い。
宮本武蔵氏は単独で六十余りの敵と決闘をしてすべてに勝利しています。
歴史的に見て宮本武蔵氏に味方は一人もいなかったということではありません。(ちなみに宮本武蔵氏は「関ヶ原の戦い」に参戦しています)。
ただ物語としては「一人ですべてに勝利した」としたほうが面白みが増します。
だから宮本武蔵は後世『剣聖』として語り継がれる存在になったのです。
逆に味方がたくさんいる場合もありますよね。ゲームのエニックス(現スクウェア・エニックス)『DRAGON QUEST』だって竜王を倒すために仲間を集めて戦います。
仲間とのやりとりによっても様々なドラマが生まれていきますから、エピソードが枯渇する心配もありません。
第三の人物は主人公と「対になる存在」との間でどのような関係性にあるのか。
これを明確にしてどちら寄りの立場をとらせるべきかを考える必要があります。
もちろん明確に主人公の味方をしていてもよい。
主人公の味方をしていても実は「対になる存在」側の人間でいろいろと主人公を困らせようとしているとしてもよい。
「対になる存在」側の人間なんだけどある理由があって実は主人公を手助けしているとしてもよい。
とにかく立ち位置を明確に定めて、物語が複雑になりすぎないよう注意を払う必要があります。
立ち位置が不明のままで執筆していくと「矛盾」が招じる可能性が高まるので、設定の中だけでもしっかりと立ち位置を明確にしておきましょう。
そのうえで読み手に「こいつはどっちの味方だろう」と思わせられれば読み手の興味を惹けます。
『シンデレラ』ではシンデレラが主人公、王子様が「対になる存在」、シンデレラの継母や義姉妹などが「邪魔をする第三者」、シンデレラを淑女に変身させた魔女は「協力する第三者」として登場するのです。
『桃太郎』では桃太郎が主人公、鬼ヶ島の鬼たちが「対になる存在」、おじいさんとおばあさんが桃太郎の「育ての親の第三者」で、犬・猿・雉が桃太郎に「味方をする第三者」となります。
シンデレラには妨害する人たちが多く、桃太郎には協力する人たちが多いのです。
冒頭のとおり脇役も相手役もいない主人公が一人だけという作品もありえなくはないのですが、じゅうぶん書き慣れてから挑戦したほうがよいでしょう。
たいていはアイデア倒れに終わりますから。
対になる存在の先に待ち受ける者
恋愛もので「対になる存在」が意中の異性であっても、それを攻略しただけで物語が終わらないことがあります。
たとえば「彼女には偏狭な父親がいて、父親を納得させられなければ結婚は許されない」というような場合です。
ではその「偏狭な父親」が「対になる存在」なのかといえば明らかに違います。
あくまで「対になる存在」は意中の女性です。
「偏狭な父親」は「対になる存在」を攻略した後に現れる「第三者」であり、いわゆる「ラスボス」となります。
バトルもので勇者が「対になる存在」である竜王を倒したが、突如それを操っていた大魔王が現れて最終決戦に挑まなければならない。
まさに「ラスボス」ですが、大魔王は物語を通じた「対になる存在」ではありません。
これらは物語として「第二の
本来いなくてもいい存在なのですが、登場させることでもう一回話を盛り上げようとするテクニックといえます。
マンガの高橋留美子氏『めぞん一刻』では主人公の五代裕作が「対になる存在」の音無響子を最終的には射止めます。
そこに彼女の父親がやってきて一騒動起こす。
響子さんを攻略したら「はいおしまい」では話が深まらないのです。
そこに彼女の父親が出てきたことでもうひと盛り上がり作ることができました。このエピソードを最後に入れることによって大団円に向かうことができたのです。
最後に
駆け足で見てきましたが、人間関係はだいたいこのような感じで決めてよいと思います。
連載小説になればその他の細やかで複雑な人間関係にしたほうが連載を長く引っ張れるのでよいのです。
でも「小説賞・新人賞」に出すような三百枚の長編ではあまり人間関係は複雑にしないように心がけてください。
初心者の書き手では物語の整合性がとりづらくなってしまいます。
それだけでなく人間関係を書くだけで枚数を費やしてしまい、肝心の内容がスカスカという事態も招いてしまうのです。
長編以下ならできうる限り登場人物を削ること。逆に連載なら登場人物を増やして複雑な人間関係にすること。
これを心がければよい結果が生まれてくるでしょう。
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