5. 解決策
さて、どうしたものか。
俺は初杏とかなり久々に
いや、言い合っていないため喧嘩というよりもすれ違いと表現する方が妥当かもしれない。
どちらにせよ、今の状況は好ましくない。
解決のために何か策を講じなければならないのは明白だ。
それは頭の中で十分に理解しているつもりである。
――それなのに。策が全くと言って良いほど浮かばない。
心の隅に湧き出る
策が浮かばないことに対して、初杏と仲違いをしたことが少ないだとか、その際にどう乗り越えてきたか忘れただとか理由は考えられるが、それらの理由は今は言い訳にしかならない。
事情がどうであれ、解決しなければならないのは変わらない。
ここで俺が繋ぎ止めてきた糸を断ち切るのは損失が大き過ぎる。
初杏のためじゃない。あくまでも俺自身のために解決するべきだ。
「……お兄さん」
恐る恐る奏花に呼ばれて、俺は思考の世界から現実へと引き戻された。
奏花は俺の脚の間に座ったまま、顔を俺の方に向けてこちらの様子を
「私が悪かった?」
質問の内容が
責任感から回りくどい言い方をされるよりはよっぽどマシだ。
「……奏花は悪くないだろ」
決して奏花が感じている責任を軽くしようとか思って言ったのではない。
ただ、事実を述べたに過ぎない。
実際、俺の脚の間に奏花が座っていて、俺と奏花が会話をしただけなのだ。
そこには俺が奏花に対して好意を寄せているという事象は存在していない。
だから、
「悪いのは初杏だ」
物理的にも心理的にも俺と奏花の距離が近いと勝手に勘違いして、勝手にショックを受けて、勝手に怒った初杏に責任がある。
俺や奏花にも責任があるとは思う。ただ比率の問題で、ほとんどの責任の所在が初杏にあるというだけだ。
これが現実。俺は悪くない。
「……そう」
奏花は安心した様子を見せつつも、微妙に目線を逸らして戸惑っているようにも思える。
やはり奏花が何を考えているのか表情からは読み取りにくい。
奏花は正面を向いてから、
「私と同じ考えで安心」
……意外だな。
奏花は自分に責任を感じて俺に対して申し訳なく思っていたから不安そうに最初の質問をしたのではない。
奏花は責任が初杏にあると思っている自分自身に対して不安だったのだ。
俺と考えが一致した今、奏花は自分が正しかったと確信できて安心しているのだろう。
確かに責任の所在だけ見ればそうかもしれない。
しかし、問題は人間関係のトラブルにおいて責任の所在が全てではないところにある。
トラブルの原因となる人物が謝っただけで解決するのならば話は単純だが、現実はもっと複雑だ。
解決の際に重視されるのは、責任よりも誠意。
より正しく表現するなら、誠意を感じられるように自身を偽る、だろう。
誠意は嘘偽りのない心を指す言葉だが、実際に自分の本当の心を
だから解決のためには、責任があろうとなかろうと関係なく謝る必要がある。
実際は責任がないと思っていたとしても、さも自分が悪かったかのように偽って、相手に
大抵の人間はそうやって上手くやっているのだろう。
表面上、それで問題は生じないはずだ。
――しかし、ここで疑問に思うことがある。
相手を
一度きりの人生、自分の生きたいように生きることが何よりの幸せだと俺は思う。
死ぬ間際、「良い人生だった」と思えればそれに勝るものはないからだ。
このことを前提に考えれば、自分の気持ちを偽るのは生きたいように生きることに反する。
自分に素直に生きる姿勢が後悔をしない人生に繋がる。
つまり、嘘を吐いて生きるのは幸せとは程遠い人生だ。
自分で自分の偽物を作り上げてやっと維持されるような関係ならば、自身の幸福のために切り捨てた方が良いに決まっている。
相手に本当の自分を受け入れて貰えないなら、自分にとってストレスになる可能性が高く、価値があるとは思えない。
やはり価値がある関係というのは嘘偽りのない自分を受け止めた上で維持されるものであるべきだ。
人間関係が厄介であるのは十分理解している。
それでも決して譲れないものがある。
自分の人生なのだ。自分のために生きて何が悪い。
「……なら、俺は初杏に謝らなくて問題ないな」
今まで俺は初杏との関係を維持しようとしてきた。
初杏とのやり取りは気を遣って慎重に判断し、可能な範囲で適切な選択肢を選んできた。
それは初杏と繋がっていればメリットが大きいと俺が判断したからだ。
しかし俺が嘘を吐いて今後も関係を維持するとすれば、俺の心理的負担の面でメリットよりもデメリットの方が占める割合は大きくなる。
俺が謝らなくても初杏との関係が変わらないのであれば大変喜ばしいが、仮にそれで壊れたとしても構わない。
壊れた場合、維持するに足る価値がないと判断するだけの話なのだから。
俺が無理をして解決するくらいなら、無理をせずに成り行きに任せる方が良い選択だ。
今の状況は予想外の事態だが、初杏との関係を見極める格好の機会だ。
「……お兄さんは初杏に怒ってる?」
奏花は純粋な疑問を俺に投げかける。
確かに俺の言葉から考えれば、俺が感情に振り回されて謝ろうとしないと捉えるのが一般的な解釈だろう。
俺が初杏に対して怒りを感じているとすれば、今この瞬間、俺は初杏との関係を切りたいと望んでいるはずだ。
感情に身を任せ、「あんな奴どうだって良い」と投げやりになっている可能性が高い。
しかし、実際はそうではない。
感情はかなりの頻度で冷静な思考を阻害する。
自分の感情だけが全てだと盲目的になってしまい、周囲が見渡せなくなる。
結果、メリットやデメリットを考慮せずに答えが導かれる。
当然、あまり思考が巡らされていないため、得られた答えは自分に利益をもたらす選択かどうか、保証がない。
だから感情で判断してはいけない。
今回は偶然にも感情的になって導かれそうな答えと思考を巡らせて得た答えが一致したに過ぎない。
「別に怒っている訳じゃない。客観的に考えて初杏に責任があるから、俺が謝るのは筋が通らないと思っただけだ」
端的に、けれども考えを明確に述べる。
「初杏が私とお兄さんの関係を勘違いしたから、初杏が悪い?」
「そういうことだ」
奏花は俺の考えに理解を示してくれたようだ。
それをどう思うのかは俺の知るところではない。
「……なら」
奏花は立ち上がり、俺の方を向く。
瞳は真っ直ぐ俺に向けられ、表情は今まで見たことがないほど真剣だ。
奏花の
奏花は両手を胸の上に重ね、ゆっくりと言葉が紡がれた。
「いっそのこと、初杏の勘違いを現実にして見返したらどう?」
ラノベの主人公みたいに鈍感だったなら奏花の言葉を文字通り受け取ったかもしれない。
言葉に隠された意味を知らず、奏花の案に賛同するか否かだけを口にしていたのだと思う。
しかし俺は言葉の裏に隠された気持ちまで正しく理解してしまった。
今までの奏花の行動から薄々勘付いてはいたが、それがたった今確信に変わった。
何故なら、奏花の顔が赤く染まっていたから。
それは――告白。
偶然にも二日前と似たような状況だ。俺が座っていて、相手が向かい合わせになっている。
違いは告白した人物と、その人物が立っているか座っているかだけだ。
俺の頭は一瞬にして驚きに支配された。
奏花はあまりにも大人しいので、告白などという高いハードルを乗り越えるような女の子だと思えなかったから、より一層驚きは大きかった。
しかし現実では告白されているし、普通に考えれば俺は返事をする責務がある。
それは、相手が初杏だろうと奏花だろうと変わらない。
ただ、俺の中で二人を同列に扱うことはどうしても不可能だ。
同年齢の血縁関係のある女の子。だけど、片方は既に不必要だと判断している。
俺が今まで関わってきたのは、従妹で血縁関係があるからという理由だけしかない。
だから、言葉は選ばなくて良い。
「はあ~」
わざとらしく大きな溜め息をつく。
そして息を吸い、俺は言った。
「……それで俺にどんなメリットがある?」
奏花は少し
「お兄さんの気が、晴れる……」
短い返答だが、奏花の言いたいことはわかる。
けれど、そうじゃない。
気持ちだけで動いても、何も解決しない。それは俺が一番わかっている。
「奏花は、俺が好きなんだな?」
直球の確認に、奏花は戸惑いつつもコクリと頷く。
「初杏は俺と奏花が付き合っている、あるいはかなり仲が良いと勘違いした。その勘違いの仕返しという形で俺と付き合うことができれば、奏花は自分の恋を現実にできる。さらに仕返しだから、俺にも気持ちの面でメリットがあると判断した。違うか?」
「………………」
奏花は黙ったまま、その視線が徐々に下へと向かっていく。
だが、俺は言うのを止めない。
「それは、解決策じゃない。ただの自己満足だ」
丁度良い状況を利用して、自分の理想を現実のものにする。
相手に利益があるように見せて、自分の願いを叶える。
方法としては悪くない。相手に交渉して要求を呑ませる一般的な手法だ。
だが、利益の見せ方を誤れば途端に思惑が露呈してしまう。一方的な願望の押し付けと化す。
「俺は初杏に仕返しなんて望んでいない。仕返しは苛立ちの押し付け合いだ。問題の解決には何一つ寄与しないだろ」
相手に告白して振られたから、その相手から告白された際に振った人がいるらしいが、似たようなものだ。
状況を変化させたいなら、一時の感情に身を任せてはならない。
現状を分析し、自分にとって適切な行動を選択する。これが、自分のためになる生き方だ。
俺は初杏の様子を覗うことに決めた。俺からアクションを起こす気はない。
この決断は俺の信念に基づくので、決して変わらない。
だから、
「俺は奏花と付き合って仕返しする気はない」
はっきりと断言する。
一瞬、ビクリと奏花の体が震えた。
普段から感情をあまり表に出さない大人しい少女が、勇気を振り絞って告白した結果、断られる。
それがどんなに辛いことか、俺は理解するつもりはない。
目の前の少女が俯き、目元が前髪で隠れているが、頬を伝う
その意味を考える気すら起きない。
何故ならば、奏花がどれだけ傷つき、どう思っていたとしても、俺には微塵も影響がないからだ。
これで奏花が俺を嫌いになって、俺と会わなくなっても、俺にとって不利益にならない。
奏花はただの
従妹だから関わっていただけで、仲良くするつもりはない。
俺は、自分のために生きるのだから。
「…………さようなら、お兄さん」
涙を袖で
俺は無言でその様子をただ見ていた。
「あ、奏花! 待って!」
リビングの外で奏花を呼び止める声が聞こえたが、直後にガチャリと玄関の扉が閉まる。
その音を聞いてもなお、俺は何とも思わない。
突然、妹に告白されました。 雪竹葵 @Aoi_Yukitake
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