緋染めのチャペル
戴堂家の邸宅はそれは噂よりも想像よりも立派な屋敷だった。洋風なのかと思いきや、かなり本格的な和風家屋ではあったけど。
「屋敷の最奥、玄関から続くこの廊下の突き当たりを左に曲がった所が教会ですのよ。今はお父様が向かいの居間で寝てる頃でしょうから、入るなら今のうち、ですわ」
そんな所を歩いて寝室、磨璃亜の部屋、調理場などの前を順々に通り過ぎ、T字に割れた廊下の交差点も気にせず直進。磨璃亜の言った通り、本当に廊下の突き当たりまで直進した。
最後、2つに分かれた廊下の左はそこから石になっていた。右側が檜という事は、この先で磨璃亜の父親は寝ている訳か。
「……静かになさって頂戴ね。チャペルまで続くこの廊下、思いの外音が反響しますのよ」
石造りの短い廊下を慎重に渡る。音を出さない様に靴を脱いだ足に、ひんやりとした大理石の温度と感触が伝わる。
少し厚めの靴下を履いているとはいえ、これだけ冷たいのだ。薄手のニーハイを履いている磨璃亜はどれだけの冷たさをその足に感じているのだろうか。
「……何ボサっとしてるんですの槐棠くん。扉を開けるから私の靴を持つなり、何か私に貢献なさいな」
「分かったよ……」
僕は彼女の履いていたローファーを持たされた。どうやらここのチャペルは土足で入らなければならないらしい。
「普段は土足厳禁ですわよ?その位の常識も分からないだなんて、本当これだから平民は……。今チャペルの内部はマリア像の流した涙で緋色に染まってるんですのよ?」
あ、そういえばそうだった。ここに来るまでに色々あったからすっかり忘れていた。
「アンタの脳みそ本当に大丈夫何ですの?ガラケーの方がまだ知能が上ですわよ?」
煽りに煽りよる。クソゥ、僕にもっと才覚があれば、こんな事言わせないというのに。
「……兎に角、調査は磨璃亜1人じゃ出来ないんだろう?だから僕ら【現代怪奇研究部】を呼んだんじゃないのか?」
「……ええそうですわよ。だから本当なら、依頼者がこんな口を効く権限なんて無いのでしょうけれど……。
でも、私は戴堂磨璃亜!【Arwine Tydo】の次期社長になる女ですから、平民と同じ様な立場で物申す訳にはいきませんの!!」
「……?」
僕はここまで来てようやっと、事の全貌に近付いて来た感覚を手にした。もし部室の近くにまだ陸式さんがいるなら、とても危険な気がする。だが先程から連絡は途絶えたままだ。果たしてどうしたものか。
「……戴堂さん。まだチャペルを見てないけれど、僕は何となくこの事件を解決出来る気がする」
「────ハッタリじゃ無くて?」
「オカルトマニアはハッタリ何かかまさないさ。至極真面目に、怪奇現象を研究してる。
ただその手順が、科学の子と違うだけさ」
磨璃亜が何かを決したかの様に、チャペルの扉を開ける。僕の予想通り、マリア像は子供を抱いていなかった。
「……このマリア像には子供がいたはずだ。どこにやったんだ?磨璃亜」
「……お父様が、砕いて庭に」
どこか申し訳無さそうに、磨璃亜は目を逸らして言った。僕は危機感を覚えて、チャペルから飛び出して真向かいの部屋の戸を蹴破った。
実に薄暗く異臭のする部屋だった。もう使われなくなって久しいブラウン管のテレビやホコリを被ったVHS、何十年も前の日付が記された新聞で部屋は埋め尽くされていた。その部屋の中央、ブリキのオモチャに埋もれる様にして、顔だけを覗かせた男性の亡骸が、口を開けて、僕らが気付くのを待っていた。
「……1年は経ってるな。所々腐蝕して肉が落ちてる。
でも磨璃亜、何でこんな────」
僕が言いかけて振り向くと、彼女の顔は恐ろしいくらい僕の顔の近くにあって、あと少しでも前に動けば唇が触れそうであった。
甘い蜜と薔薇の香りが混ざった様な、やけにいい匂いが鼻を刺す。
「……オカルトマニアの槐棠くんなら多分理解出来るかしら?お父様はファッションブランドを経営する傍ら、晩年は呪術に没頭していたのよ。実の娘の涙と生き血を使って、今は亡き妻────私から見たらお母様を蘇らせようとしていたの」
彼女の顔が次第に僕の顔の前からズレて、耳元にやって来る。時折耳たぶを撫でる彼女の息がこそばゆい。
「……お父様は私から全てを取り上げて、お母様を蘇らせようとしたわ。結局、実の娘の純潔まで奪っておきながらその夢は叶わなかったけれど…………」
彼女は何を言いたいんだ?僕は頭が混乱したまま、彼女の話に耳を傾けるしかなかった。だがその時、磨璃亜のスマホに電話がかかって来た。まるで僕を、磨璃亜から離そうとしている様な絶妙なタイミングである。
『……もしもし戴堂さん!?どうだった?』
────陸式さん!!
僕はまたしても僕を救ってくれた女神に、思わず心を踊らせる。
「上手く事が収まりそうですわ。じきにそちらの朱色も引いていくんじゃなくて?」
『────何言ってるの戴堂さん』
磨璃亜の吐いた嘘を一蹴する陸式さん。もしや嘘だと見抜いたのだろうか。
「…………」
『仕組んだのはあなたのお父さんとあなた。だよね、【しゅーくん】?』
『あ、あぁ。ワイはあのお嬢さんに命令された事をやっただけや!!』
関西訛りの謎の人物が電話で磨璃亜を訴える。果たして僕のいないうちに部室で何があったのだろう?
時は戻って部室前。突如陸式さんら一同の前に現れた大阪人っぽい巨漢は自らを最強の存在、【朱点童子】と名乗り陸式さんを口説こうとしていた。
「どうやワイの筋肉、その辺の若造じゃこんなムキムキおらへんやろ?な?」
「確かにいないですね」
「そしてこの角!嬢ちゃんの為なら片方、いや両方折って首飾りにしたる!1点モンや、相当なお値打ちもんやで!どや?」
「素敵な角だけれど、もう一声!」
「うぅむ、中々しぶといなぁ。せやけどそこがたまらん!ますます気に入った!!そやなぁ……じゃあワイの住処、京都の大江山をまるっとくれたる!これでどや!?」
「……ごめんなさい。私が欲しいのは物じゃないの。あなたじゃ出せないものよ」
朱点の赤い顔が青くなっていく。フラれたのが
「……でも私のお願いを聞いてくれたら、考えてみようかなぁ」
「ホンマでっか!?よし、ほんならワイかて漢や、やるときゃやる所見せなアカンな!」
『────で、私は【しゅーくん】に復活した経緯と場所の雰囲気、その時の周りの状況を聞き出して、磨璃亜さんの家の誰かが黒幕だって分かった訳なのでした。
……で、その時いた2人のうち、【しゅーくん】は年老いた方の生気を吸い取ってしまった。お父様がミイラ化してたのはそのせいね』
言われた瞬間、磨璃亜は頭を抱えてけたたましく笑い始める。その笑い方は悪徳令嬢というよりまるで────悪魔だった。
「……名推理ね陸式さん。ポアロにでもなったつもりかしら?
だけどアンタも所詮人間ね。1つだけ間違ってる事があるわよ…………。
それはアンタが、私の元に彼を寄越した事よッッッ!!!!!」
物凄い剣幕で、磨璃亜は僕に飛びかかり馬乗りになった。瞳孔が開き、正気を失っている。彼女の細い腕からは想像を絶するほどの剛力で僕は首を絞められた。
ま……まずい、このままでは意識が飛ぶ。
僕の焦りは磨璃亜を悦ばせた。
「良いわ……その焦りと苦痛とで歪んだ顔!私が主人公でアナタがヒロインなら、間違いなく私はアナタを喰ってたでしょうね……。でもアナタはヒロインじゃない。ただの学生Cくらいかしらね?」
────嫌だ。こんな所で死にたくない。
どうせなら、陸式さんの膝の上で。
そんな事を考えた矢先、僕の意識はふっと遠くへ飛んだ。
だがまだ環境音が聞こえている。ペチャペチャと跳ねる水音、怒号と喧騒、忙しなく叩かれるオルガンの鍵盤、喧しいサイレン、消毒の香り────。
「────っ」
柔らかいシーツの上で目が覚める。消毒用アルコールの臭いと視界の邪魔をする前髪が嫌になりそうだ。
首筋はまだ痛みがあった。とするとあの出来事は夢ではなかったのか────。
と、陸式さんの姿が目に入った。良かった、彼女は無事だったらしい。安心しているのか、すぅすぅと静かに寝息を立てている。
「……はぁ。今一体何時なんだろう……」
部屋に時計は無く、カレンダーも無い。入院患者も自分1人だけ。
窓の外も何かある訳ではなく、ただ青空が広がっているだけだった。
────少なくとも日中であるのは分かった。
「……んぅ」
陸式さんがモゾモゾと動いた。もうそろそろ起きるのだろうか。
「……槐棠くん……?」
「おはよう、陸式さん」
「────槐棠くんっっ!!」
陸式さんが僕に抱きついてきた。僕はどうしたものかと困惑しながらも、結局彼女の背中に腕を回した。
「良かった、心配したんだよ!!?」
「ありがとう……ありがたいんだけれどちょっと苦しい……」
全力のホールドで締められた僕の貧弱な身体は
「あっ、ごめん!……大丈夫?」
「うん……大丈夫。でも僕、どうやって病院に?」
「電話で戴堂さんを問い詰めてたじゃん?その時物凄い音がして通話切れちゃったんだ。それで槐棠くんが危ないんじゃないか、って思ってすぐに警察に電話したの。偶然戴堂さんの家の近くでパトロールしてた警察官がすぐに行ってくれて、戴堂さんは逮捕された」
とても不安だった、と陸式さんは息を漏らす。
「……何か色々、僕は陸式さんに助けられてばっかりだなぁ。……本当なら、僕の方が守ってあげなきゃなのに……」
「そんな事ない!私が君を助けるのは……ただのおせっかい!槐棠くんは何も気にしなくて良いの!」
「そうはいかない!!」
僕は柄にもなく声を荒らげた。突然の
「僕が陸式さんを守りたいのは……陸式さんが女子だからとか、陸式さんが部活の中心的な存在だからとかじゃないんだ。
……この際白状するけれど、僕は────僕は、陸式さんの事が好きだ」
あぁ、言ってしまった。どうせならもっとロマンチックな告白の仕方があっただろうに、僕という奴は勢いに任せて突拍子もなく告白に踏み切ってしまった。これは玉砕しても文句は言えない。
「────ねぇ、槐棠くん?」
陸式さんが声を震わせて僕に問いかける。僕なんかが彼女に好意を持っている事への怒りなのか否か、あまりの申し訳なさで彼女の顔を見られない僕には分からなかった。
「……なんで?」
「いや……なんでって好きだから────」
「なんでもっと早く言ってくれなかったの」
……え?
僕は思わず変な声を出してしまう。
「私だって、槐棠くんの事……」
僕はまだ夢でも見てるのだろうか。
彼女の言わんとする事が、彼女の紅潮した頬から何となく察せられる。どうしよう、こんなにトントン拍子で事が進むなんて思っちゃいなかったのに。
「────本当に僕で良いの?クラスにはもっと良い人いるし、世の中なんか見たらいっぱい良い人いるよ?」
「でもそのオカルトに立ち向かったのは1人だけだよ。それが槐棠くん。キミ以上にいざと言う時の勇気と優しさのある人は、私は知らないかなぁ……」
彼女がそう言って悪戯っぽく微笑む。彼女の見た目も仕草も、果てには心も、今この瞬間は僕だけが見ている。『僕だけの陸式さん』と言うと少々キモいかも知れないけれど、今はそれ以上に言葉が頭に浮かばなかった。
「────じゃあ改めて、陸式さん。僕と付き合って下さい。僕なりに、陸式さんを満足させられる様に努力します」
「……はい、お願いします。けど1つだけ条件付けても大丈夫?」
「……何だろう?」
「陸式さん、ってちょっと距離感じちゃうなぁ。下の名前で呼んでくれても良いのに」
彼女はそう言って少し頬を膨らませた。どうやら『陸式さん』呼びが不服らしい。
……それもそうか。先の告白の返事はOKだった訳だし、もうこの時から僕達は付き合っている恋人同士────。
「……じゃあ、
「うん」
「……これから、よろしくね」
「こちらこそよろしくね、
彼女も僕の名前を呼ぶ。お互いに何か照れ臭かったけれど、それで良いのだ。
僕はこうして、彼女の為にも早く調子を戻して高校に行きたいな……と思ったのだった。
────涙を流す聖母の怪・完
Lovin soph 笹師匠 @snkudn
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