朱点と人の云ふ

「……赤い……。いや、この色は朱色なのかな……?」


あまり色に詳しい訳じゃなかったけれど、陸式さんはまだ誰も来ていない教室で独り推察してみる。ベットリと教室中にへばり付いた朱色はまだ塗りたての様にピカピカと光沢があった。


「まるでペンキみたい……。でも臭いは無いし、一体何なんだろ……」


と、そこに朱鷺棟さんがやって来た。彼女も変わり果てた部室の姿に驚きを隠せない様で手に持っていたスクールバッグを床に落としてしまった。


「────これは……!?」

「私が来た時には、既にこうなってて……」


朱鷺棟さんは腕組みをして考え始める。まるで心当たりを記憶から探るかの様な……。


「……とりあえず鳴幌先生を呼びましょう。話はそれからです」




「これは酷いもんだねぇ。一体誰がこんな事やってくれちゃったんだか……」


鳴幌先生は口で言うより何でもない風な顔で、口調もどこか楽観的であった。2人の女子部員もこのテンションには思わずため息である。


「でもま、アレだねアレ。これは誰かわな」

「「え────?」」


2人が青褪める。鳴幌先生はニヤニヤして、1冊の本を懐から取り出した。


「【不服まつろわぬ蝦夷えみしの大記たいき】……?北海道に何か関係があるんですか?」

「違うんだなぁ。蝦夷えみしってのはその昔、朝廷に従わなかった者達の呼称なんだよぉ。……あとは分かる?」

「────土蜘蛛?」


朱鷺棟さんの口からその名前が飛び出し、鳴幌先生は目を輝かせた。まるでその言葉を待っていたかの様である。


「土蜘蛛は何も妖怪だけを指す言葉じゃない。土着の民、まつろわぬ民、即ち全ての朝敵を指し示す総称だ。────土蜘蛛の一族がもし、今も生きているとしたら……それは、それは大変な事になるぞ。

朱色に染まった部屋……これはペンキじゃない。お前達は気付かないのか、この鉄の臭いに?」


鉄の臭い、赤い液体……答えを理解した陸式さんは背筋が凍る思いだった。


「……血、ですか」

「それも生き血さ。こんな事をして存在を誇示する土蜘蛛はそう多くはないなぁ。

────たとえばとかね」


開いたページの挿絵には、酒で肌を朱色に染めた六つ目の鬼が。


「────酒呑童子……いや、こういう場合は朱点童子の方が正確ですかね」

「さすが老舗茶屋の娘だねぇ朱鷺棟。鳴幌が訂正するまでもないなぁ」


しゅてんどうじ?陸式さんは妖怪には詳しくないから分からなかったらしい。


その昔、京都の大江山に他の鬼共と住み、悪行の限りを尽くした鬼の王。酒を好み、生娘きむすめさばいてその生き血をすする怪物。最期はみなもとの頼光よりみつ率いる討伐隊に首を討ち取られたという。


────という本の記述を鳴幌先生に読まされ、陸式さんは怖くなってしまった。オカルトとホラーは、彼女の中では別物だったからだ。

年齢的にも喰われる対象だし、喰われないにしろ待っているのは鬼との共生、なんていう未来しかないのだから、恐れてしまっても仕方ない。


「────でも朱点童子が部室をこんなにしたとして、何が目的なんでしょう?ただ存在を誇示するだけなら、もっとやり方があるはず……」

「しかもこんな事した記述は古典作品には無いんだよねぇ。だから朱点童子がやった、だなんて確証もない」


一体この教室が何なのか。結局分からず3人で頭を悩ませている所に磨璃亜がやって来た。

磨璃亜は目を皿のようにして、変わり果てた部室の様をただ見つめる。


「────あかい、ですわね」

「ですよね」

「……実は、私の家の教会も……」

「「「!!」」」


磨璃亜の口から発せられた言葉に一同は驚愕する。まさか戴堂家の教会も部室と同じ様に朱色に染められたのだろうか。


「いえ、違いますの。私の家は朱色ではなくて緋色でしたわ」


同じ赤系の色でも、朱と緋ではかなり差がある。とてもじゃないが、朱よりも緋の方がより生き血に近いと思われる。


と、ここで陸式さんの灰色ではない頭脳が閃いた。気分はさながらエルキュール……なんて事も無く、陸式さんはすぐさまスマートフォンを取り出した。


「槐棠くん……どうか通じて……!!」




時は少し遡り、高校の北側の階段。

普段使われる事のないその踊り場で、僕は隠れて漫画を読んでいた。ホコリっぽい場所だが、掃除もなければ巡回も無いここは格好のであった。


だがその日は落ち着いて漫画を読めなかった。妙な胸騒ぎがして、じっとしていられずに踊り場を行ったり来たりしていたのである。


と、スマホに着信。陸式さんからだった。


『MOSC、紅染め、鬼。聖母を目指せ』


あまりに簡潔。僕は頭を抱えた。というのも、この文章が暗号化されたものであるとすぐに気付いたからだ。


最後の『聖母』というフレーズに僕は走り出した。それがマリアを指した言葉で、戴堂家に向かって欲しいという陸式さんの願いであるという事を理解したからだった。


学校の正門まで出ると、そこにはやけに長い車があった。純白のリムジンである。


「お待ちしておりました槐棠様、戴堂家執事のクロにございます。お送り致します故、どうぞこちらのお席に」

「槐棠くん安心なさい、私がいるという事は本物ですわよ」


リムジンの窓を開けて、磨璃亜が顔を覗かせる。よし、彼女がいるならこのリムジンは本物なのだろう。

僕は若干の安堵を背負い込みながらリムジンに飛び乗る。次いでクロが運転席に乗り込むと、エンジンを吹かしまくりながらアクセルベタ踏みで走り出した。危険過ぎる。


僕は何も言えぬまま、恐ろしい程無音のスピード感だけを体に感じるだけであった。一方の磨璃亜と言えば、気楽にもワイングラスでペットボトルの果汁12パーセントのぶどうジュースをテイスティングしていた。どれだけ洒落をこいても未成年なのだ。


時間にして15分弱だろうか。クロが急ブレーキをかける。シートベルトが無かったら車内は大惨事になっていた事だろう。


「お嬢様、槐棠様、到着にございます。呉々もお気を付けて」

「何言ってるのクロ、アンタも行くのよ」

「────仰せのままに」


一瞬凄い嫌そうな顔してたなぁ。




時同じくして、部室前。

陸式さんは目の前に突如現れた巨躯を前に恐怖を感じていた。それこそ、全身の震えと強ばりが抑えられない程に。


「────ふぅ、肉体取り戻したら元気戻って来たわ。自分らの部屋汚したのは堪忍な。何も悪気あらへんかったんよ?ホンマに」


関西の……特に大阪だろうか。の訛りを含んだ口調で爽やかに笑う巨漢が、彼女達の前に現れたのだ。その男の額からは太く黒光りした角が二つ、天に向かって屹立している。


「────なぁそこの可愛い顔した嬢ちゃん」

「ひゃいっ!?」

「ワイ嬢ちゃんみたいな娘っ子がめっちゃ好きゃねん。どうや、付きうてくれんか……?

最強とも名高き、この朱点童子と」

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