第1章:涙を流す聖母の怪(流血もあるよ)

不自然な紅

────廊下に水音が響く。まるで水道の蛇口をきっちりと締めなかった時の様に、一定のリズムを刻みながら少しずつ移動しているらしい。

水音の主はある部屋の前で止まる。が歩いて来た道は、の後ろに延々と続く【不自然な紅】色が示していた。は何かに怯えているのか、時折辺りを見回しながらおずおずとドアノブに手をかける。胸元のタイがかすかに揺れた。唇を結んで、意を決する。




「【現代怪奇研究部】とかいう胡散臭い部活はここですの!?」

「そうですよ、イスどうぞ」


胡散臭い、というのはあまり良い気持ちがしなかったが、創立したての部活なのに名前をきっちり覚えてくれているだけでも多少は嬉しかった。

僕は彼女の顔を見て、頭に叩き込んだ生徒名簿(陸式さん特製)の記録と参照する。そしてハッとした。


戴堂たいどうさん、で合ってるよね。家は確か……」

「あらご存知?私のおうちは球団買収出来るくらいにはお金持ちですのよ」


戴堂たいどう磨璃亜まりあ。親は大手ファッションブランド【Arwine Tydo】の社長。総資産が国家予算並だとか、海外の映画スターに資金援助もしているだとか、その手の噂が絶えない人物で、彼女自身も富豪である事をひけらかす場面が見られる。


「……こんな俗な所にわざわざ足を運んだのには明確な理由がありますの。……これから私の言う事を全て信じると、先に約束して下さるかしら?これは誓約書」


一枚の紙が目の前に置かれる。こんなのドラマでしか見た事無い。


「……読んだ。サインもしたぞ?」

「実印を押してくださらないと受け取れませんわ」

「おいおいマジかよ……今印鑑は持ってないんだけど」

「えぇ……社会人として非常識ですわね。これだから一般市民は」

「社会人じゃねぇよ!!僕一応高校生なんだが!?」

「私からすれば似たような物ですわ。どちらも私のお小遣いほどの稼ぎもありませんからね。オーッホッホッホッ!!!」


……こんな笑い方の奴現実にいるんだな……僕はもうツッコむのに疲れて、彼女の話を聞こうとする。


「……でもま、私はお父様に比べて寛大ですから。今回は貴方の記憶に免じて許して差し上げますわ。たまに私の家をコーヒーメーカーと間違う輩がいますのよ……貴方は最初からうちがファッションブランドって分かってたみたいですけれど。もしコーヒーメーカーと間違っていたら、金の力を使っていたところですわ」

「そ、そうなんだ……ハハハ……」


陸式さん特製生徒名簿さまさまである。隅々まで読み込んでいなかったら、今頃僕はこうしてのんびりお茶をすすってはいないだろう。


「じゃあ本題に入りましょうか。『時は金なり』と言いますし」


本当、お金大好きなんだなぁ。




「私の家がお金持ちなのはもちろんご存知でしょうけれど、お父様は敬虔けいけんなクリスチャンでもあるんですのよ。だから私の家には小さめの教会があって、お父様は毎日そこでお祈りを致しますの。

ところが一月前からかしら。教会に造られた聖母像が何者かに汚されてしまいましたの。家にいる者は皆最初は赤い塗料だ、と思ってましたが、成分鑑定したらそれは血液でしたの。……しかも、家の者のそれとは合致しない、別の誰かの」


クリスチャンではないというマリアの語る聖母マリアの話に、僕はのめり込む。


「……つまり、誰か他人の血が戴堂さん家のマリア像に塗られていたって事だね?」

「ええ。まるで血の涙を流しているみたいに、目の下を伝っていましたわよ。あんまり気味が悪いものですから教会には父様しか入らなくなってしまいましたの」


不思議だ。不思議だからワクワクする。

妙に心臓が高鳴る感覚を覚えた。年末にゾンビもののホラー映画を見た時と同じくらいドキドキしている。


「……よし、その案件は結局どうすれば良い?」

「とりあえずマリア像を見て下さいます?顧問の先生と部員の皆様はうちのクロが送迎致しますわ」

「クロ?まさか犬ぞりとか言わないよね?」

「何言ってますの?クロは戴堂家専属の執事ですわよ?ジャクレーン・アルマン・クロムスキーって長いから」

「あぁ……なるほど」




「────で、今週末行く事に」

「へぇ戴堂の家にねぇ……家庭訪問行った生輿ちゃんから聞いたけど、相当な豪邸らしいよぉ。正門から玄関までめっちゃ歩くらしいし」


本当にそんな豪邸あるんだ……てっきりフィクションの産物だと思っていた僕は内心驚く。


「お嬢様で高慢ちきで金銭感覚狂ってて……まるで【ベルベロイお嬢様】みたいな女子ね……」


恐らく百合小説の登場人物なのだろう、洋風の名前を口にして唸る仄嶺さん。よく知らないから想像し得ないが、恐らくは戴堂さんによく似ているのだろう。


「……兎にも角にも、行って見なければ真相は分かりませんよ。一流の剪定者も、最後は目で確かめるものですから」


朱鷺棟さんの言葉に、皆が頷く。

僕も彼女の言う通りだと思った。見てみなければ、真相は解らないはずだ。

今週の末にドキドキしながら、僕らは下校するのだった。




その日の夜、晩飯を食べ終えた僕が部屋に戻ろうとすると、千波が僕を呼び止めた。


「兄貴ぃ〜、背中に血ぃ付いてるよ?」

「え?」


僕は最初、鼻血か何かだと思った。付いている量もポタポタ、と垂らした感じだったし、何より自分の血だとからだ。

その日はそれ以上考える事もせず、すぐに寝てしまった。




「おはよ〜……うわっっ!?」


翌日、陸式さんが部室に訪れる。何があったのか、壁も床も天井も真っ赤に染まった部室が彼女を出迎えたのだった……。

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