A-1

 俺の質問に、彼女は、

「――ふうん」

 そう、鼻を鳴らして、手元のぬるくなった炭酸を少し呷った。



「……、」

 俺の語りが落ち着くと、辺りには途端に、夏の静寂が訪れる。

 じりじりと音を鳴らすような強い日差し。

どこか遠くで、唄う蝉。

緩慢な風の滑る音と、それが、新緑をかすめたさざめき。

 音はあるが、それでも静寂と感じる。

 俺は、うなじの汗がすっと引いていくような心地よさを、それに覚えた。

「まず」

 そう、彼女は言う。

「君は多分、その、推定ヤンデレ? ってのに惑わされてるね」

「?」

 推定ヤンデレ。

 ヤンデレではあるまいかと訝しむこと。またはその対象(※出典俺)

 確かに俺はこの立花佳苗なる人物を、「保険証を人質にして俺を無理やり告白の場に引っ張り出すような危険人物」だと半ばあたりをつけている。ゆえにこそそんなヤンデレ娘が、「他人の保険証」をラブレターに同封した意図が掴めないのである。

 ……いやそもそも、相手がヤンデレでなくともラブレターに第三者の保険証が入っているのはわけわかんないけど。

「君はさ?」

 思考に没入しかけた俺を、彼女が、言葉にて止める。

「その推定ヤンデレってのがどうとかはともかく、この立花氏、ひいてはこのラブレターを、ある程度『キナ臭いモノ』だと思い込んでない?」

「……それは、まあ。その節はあるかもな」

 不承不承で、俺が頷く。

 すると彼女が、軽やかな様子でさらりと言った。

「保険証は、やっぱり順当に考えて入れ間違えだろうね」

「……、……」

 当然、それは俺だって最初に思った。

 しかし、である。

「でも、どうやって他人の保険証を、よりにもよってラブレターなんてもんに入れ間違えるんだよ」

 考えても見れば保険証とは、普段生きててそう取り出すものでもない。

身分証ならば我々学生には学生証の方が主流だし、或いは例えば「学生であることがバレるとまずい用事」などには、なにせ保険証には顔写真の添付もないわけで、身分保障の道具としては格落ちだ。多くの場合、保険証では取り合ってもらえないはずである。

 ……と、そんな疑義を上げようとした俺を、彼女は挙動で以って遮る。

 何のことは無い、彼女がただ見惚れるほど妖艶な所作で、「手折りの便箋」を取り上げて見せたのだ。

「この便箋」

「?」

「綺麗に折られてる」

「あ、ああ……?」

 意図が掴めず、俺はそのように返す。

 すると彼女が、いつもの、にやりとした表情の笑みを作った。

「手折りじゃ、こうはならない。なら当然、道具を使うだろ?」

「道具って、例えば定規とかか?」

 と、俺はひとまず応えてから、

「……待った。話が見えてきた」

 ――そう、言葉を改めた。

 俺の様子を見た彼女が、その「厄介な笑顔」をさらに強める。

「でしょ? 考えても見れば、この推理は難しいモノでもない。『手折りの封筒』と、この『保険証』――、つまり『カード状のアイテム』だね。この二つの要素を比べるだけで、当たり前の帰結には辿り着けるはずだ」

「……、……」

「一つ分かり切ったことを言うと、現代社会に、真面目腐って定規を常備してる高校生はいない(※個人の主張です)よね? じゃあどうだ、この封筒を作るためには、定規の代わりに何を使えばいいかな? 下敷き? 割り箸? 教科書の角でも使う? ……だけどほら、便箋のこのサイズ感じゃあ、もっとちょうどいいモノがあるんじゃない?」

 つまり――、


「それが……」

「そう、保険証だ」


 ここまで来て彼女は、得意げに胸でも逸らすように、椅子の背もたれに上体を預けた。

「――推理を言おう」

「ああ、聞かせてくれ」

「よしきた。まず、たぶんこの立花さんは、友人に保険証を借りたんだろうね。……実を言うと君が顔を洗いに行ってる間に、1-Aの名簿を情報筋から確認した。そしたら立花さんの他に、その保険証名義に一致する名前の生徒も確認できたよ。これが、この推理の根拠、証拠と、仮にさせてもらおうか」

「な、なるほど……(情報筋ってなに?)」

「つまり立花さんは、その級友何某に、綺麗に便箋を作るための定規代わりとして保険証を借りた。自前にちょうどいい『モノ』がなかったか、或いは『便箋を綺麗に折る相談』を友達にしたら、その友達が保険証を貸してくれたか。それのどっちかだろうね。……そしてそのまま、間違ってラブレターにそれを入れっぱなしにした。それで、立花ちゃんもその名義の子も、保険証を同封したことには気付かずに、ラブレターを君の下駄箱に入れたわけだ。これが、私の推理だ」

「な、なるほど……っ!」

 俺は思わず柏手を打つ。

 途中情報筋とかいう謎の協力者が登場したがそれは良い。それよりも俺は、彼女の、打てば響くようなその推理に酩酊を起こす。また彼女はそんな俺の賛辞を受けて、「もっと褒めろ」と更にのけぞった。

「さて」

「? どうした?」

 そう、彼女が言うので、それで俺も、ひとまずはこの胸の高揚に区切りをつける。

 しかし、「さて」とは。……まだ何かあったっけ?

「それでだ、君の質問は何だっけ?」

 問われ、俺は自身の記憶を索引する。確か……、

「えーっと、さっき俺がそっちに聞いたのは、『これ、どういうことだと思う? どうしたらいいかな?』って感じだっけ?」

「そう、それね。じゃあこれから、私が君のその質問に、答えよう」

「?」

 彼女が、すっとこちらの目をのぞき込む。

 それを見た俺も、遅れて、姿勢を正し彼女の瞳をまっすぐに見返した。

「答え、だけど」

「(ごくり)」

「……考えるまでもない。保険証、返してあげたら?」

「あっ、そりゃそうだわな」


 そこでちょうど、

 ――チャイムの音が、昼休みの終わりと夏休みの始まりを告げた。



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案外、答えに辿り着いてみれば SaJho. @MobiusTone

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