第2話 平成最後の日

 それから数日、僕たちは平穏に日々を過ごした。

 付き合うなどと言っても、特に何かが変わるわけでもない。

 桜の満開を待ちながら、時が過ぎるのを待つ。


「高校、どういう場所なんだろうね」


 窓際に座っていた成子さんが、期待と不安の混じった言葉を漏らした。


「どうなんだろう。僕はまだ行ったことがないから……」

「友達とか、出来るかな?」

「君なら大丈夫だろうね」

「彼氏とかも出来るかな?」

「多分、いい相手が見つかるんじゃない?」


 適当に流していたら怒られた。


「ちょっと、返事が適当過ぎない?」

「ごめんね。でも、あんまり大きな声で驚かせないでくれよ。僕は心臓がそんなに強くないんだから」


 気まずい沈黙が流れたのも束の間のことだった。


「あっ、うん、それは私が悪かった。ごめん。……って、そんなに声大きかった?」

「あー、いつもよりちょっと大きかった程度だったよ。話題を逸らすために、つい。……ほら、僕って彼女いない歴=年齢みたいな人間だから、この手の話が苦手でね。他の人に相談してみたら?」

「他にこういうことを話せる相手がいないから来ているの! ……はぁ。今日は帰る」

 むくれながら帰っていく姿を見送る。



 やがて、僕たちの合う時間も減っていった。成子さんの方が随分忙しくなったらしい。まあ、こうなることぐらい分かっていた。そうでなければわざわざエイプリルフールの日にあんなことを言わない。

 僕のやることは変わらない。


 桜が散り始めるのを待つ。

 彼女が来るのを待つ。

 桜が緑になっていくのを待つ。

 誰かが来るのを待つ。

 平成が終わるのを待つ。

 何かが僕の元を訪れるのを待つ。


 待ち続ける日々。それが僕の常だった。

 平成最後の4月も終わりかけたところで、再び僕たちは出会った。


「やあ、久しぶりだね」

「ええ、久しぶり」


 それきり少し黙った。言葉にしなくても、ある程度のことは分かっている。

 他の人たちから聞いた噂によると、明日、成子さんの命運を左右するほどの重要な出来事があるらしい。

 目を合わせることなく、絞り出すように彼女が呟いた。


「あの言葉、まだ覚えてる?」

「そっちこそ、僕が言った方の言葉を覚えているんだろうね?」


 また沈黙が流れた。

 沈んでいく夕陽に照らされて、僕たちの影が深くなる。


「ね、1回だけ、手を繋いでもいい? ……付き合っているんだし」

「いいよ。……僕の手はそんなに温かくないと思うけど」


 差し出した手に、指先が遠慮がちに触れる。

 震えていた彼女の手を自然と包み込んだ。

 苦笑が聞こえる。


「確かに、あんまりあったかくないね」

「だろう? でも、君も他人のことを言えないだろうけど」


 震えが止まったことを確認して手を放す。


「平成もあと5日だから、くれぐれも忘れないでくれよ」

「あなたもね」


 彼女と別れても僕のやることは変わらない。


 ゴールデンウイークを待つ。

 令和が始まるのを待つ。

 常に何かを待ちながら生活している。


 翌日、その翌日も彼女と会うことはなかった。

 でも、別に彼女が遠くに行ってしまったわけではないということは分かっていたから、黙って待つだけだ。

 少し逸る心拍を意識しながら、彼女の言ったことはエイプリルフールの嘘になんかならないと信じる。ほぼ同時刻に発表された新元号が嘘ではないのと同じように。



 2019年4月30日――平成最後の日も、彼女はやっぱり来なかった。

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