終戦日と俺

「壮士、暗くなる前に帰りなさいよ」

「うん」

父の名前を呼んで声をかけてきたばあちゃんに、俺はいつものように適当な相槌を打つ。蝉の声が五月蝿くて仕方がない。

「あ、俺、回覧板届けに行くだけだから」

「うん、暗くなる前に帰りなさいよ、壮士」

最近ばあちゃんは、俺の事を頑なに壮士と呼ぶ。それに五分に2回は同じことを言う。やっぱりばあちゃん、認知症進んだな。

そんなことを考えながら生返事をして、俺は家を出た。


「ただいま」

「おかえんなさい」

滲み出る汗を腕で拭いながら靴を片付けて居間に入ると、ちょうどサイレンが鳴った。ああ、今日15日か。

カレンダーから視線を動かすと、テレビの前に居たはずのばあちゃんが消えていた。

「ばあちゃん?」

奥に進むと、ばあちゃんは仏壇の前で黙祷をしていた。慌てて俺も横に並んで黙祷をする。サイレンが鳴り終わってしばらくして目を開くと、ばあちゃんは久々に背筋を伸ばして、まだ若い男の人の遺影を見据えていた。確か、戦争で亡くなったという俺のじいちゃんの遺影だ。


「あんたはじいちゃんみたいにならないのよ」

突然ばあちゃんが凛とした声で言った。思わずびくりとしてばあちゃんの方を見ると、ばあちゃんはさっきと同じ真っ直ぐな目で俺を見据えた。

「いいかい、戦争なんてするもんじゃないからね、翔」

刹那、ひゅう、と自分が息を吸い込む音が聞こえた。

「うん、わかった」

ゆっくりそう答えると、途端に蝉時雨が俺の耳をつんざくように降り出した。

「今日のお昼は素麺にしようね、壮士」

背中の曲がったばあちゃんは、いつもの柔らかい声で父さんの名を呼んで、微笑んだ。


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ちっぽけな僕らの心の中 月下るい @rui_gekka

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