第三章 色を変える(2)
「遥ちゃん? 何やってんの?」
声をかけられて振り向くと史郎だった。
「美咲に頼まれて、売り子手伝ってるの」
山茶花女子大学の大学祭、当日。美咲は実行委員で、遥と里絵奈が頼まれたのは実行委員主催の模擬店だった。「他校の人間なのにいいの?」と聞くと、「皆、自分のクラスやサークルの方に行っちゃうし、実行委員は大学祭自体の運営があるからさ。毎年、そうなんだって」と美咲は答えた。
なんでわざわざ六月にやるの、と美咲が文句を言っていた通り、梅雨入り間近の空は曇天だった。そのせいか、山茶花女子大学の大学祭は例年、室内の模擬店や展示が多いらしい。
しかし、遥たちが店番している模擬店は、実行委員主催とあって正門前の広場の一番いい場所に設置されたテントで、焼き菓子や雑貨を売っていた。この模擬店の売り上げは全額寄付されるんだそうだ。
「お一ついかがですか?」
高校時代にハンバーガー屋でアルバイトした経験を活かし、わざとらしいくらいの愛想笑いで、布をかけた長机に並んだ焼き菓子を勧める。綺麗にラッピングされたクッキーやパウンドケーキがかごに盛られている。
「これ自分たちで作ったの?」
「まさか。ちゃんとしたところで作ったのを仕入れてるよ」
遥は首を振って、商品を裏返して見せる。原材料や製造者が書いてあるシールが貼ってあった。
史郎に気づいた里絵奈が遥の隣に立つ。美咲は実行委員のテントに行っていて、ここにはいない。
「和田君、一人で来たの?」
「そういえば先輩たちは?」
美咲がサークルで食券を売って回ったこともあって、サークル皆で遊びに来ることになっていた。
史郎は首を振って、
「いや、俺は、今日はサークルの方じゃなくて、クラスの友だちに誘われて……」
そこまで言って周りを見回して、史郎は背後の噴水の脇に立っている男子学生に声をかけた。
「細川!」
「お、おう。俺こっち見てるから」
彼はちらっとこちらを見て言ってから、少し離れたテントの模擬店に行ってしまう。史郎は首を傾げた。
「女子を紹介しろって言ってたくせに、何だよ」
「都歩研に連れてくれば?」
里絵奈が言うと、史郎は「ああ、そうか」とうなずいた。結局、次の活動は再来週――六月の第三日曜になった。雨が降ったら延期だ。
史郎の後ろに知った顔が現れ、遥は軽く会釈した。
「隼人先輩」
「こんにちは」
遥と里絵奈が挨拶するのに、隼人は「やあ」と片手を上げる。史郎と隼人は初対面だったと思い出して、
「都歩研に新しく入った和田君です」
「和田君?」
隼人は遥に目配せした。ゴールデンウィーク前に、泊めて欲しいと遥が史郎に電話したとき、隼人はその場にいたのだ。言いたいのはそのことだろう。そのあと、里絵奈にも姉のこと含めて全て話したから、ここで話題にしても特に問題はなかった。
「そうです、あのとき泊めてもらった和田君です。――史郎君、お姉ちゃんの編み図をくれた隼人先輩」
遥が言うと史郎は納得した様子で、隼人に自己紹介する。
「理工学部一年の和田史郎です」
「牟礼隼人です。同じ理工学部ですね。僕が六年だってのは聞きました?」
「ああ、はい」
「テストの過去問必要だったら融通しますよ」
「そのときはよろしくお願いします」
微笑む隼人に、史郎はメガネを押さえて、軽く頭を下げた。それから、こちらに向き直る。
「じゃあ、俺行くから」
「え? もう?」
「何か買って行ってよ」
里絵奈に言われて、史郎は手近にあったクッキーを一つ選んで買って、さっさと行ってしまった。細川と呼んでいた彼と合流して、何か話しながら去っていく。
里絵奈が小声で「よくわかんないけど緊張した」と言う。「何で?」と遥が同じく小声で聞くと、「だって……」と何か言いかけた里絵奈は急に口をつぐむ。彼女の視線を追いかけると、隼人がにこにこ笑ってこちらを見ていた。
「逸見さん」
「は、はい」
「柘植さんをちょっと借りてもいいですか」
「そんなにお客さんいないんで大丈夫だと思います」
「じゃあ、柘植さん」
隼人は遥に手招きする。そういえば、隼人はゴールデンウィークの都歩研の活動に来なかった。その後もずっと顔を合わせていない。だから、南の部屋が五年前のままだったことや、ホワイト・ピコの活動など、何も話していないのだ。
隼人とすれ違いでやってきた客に「いらっしゃいませ」と挨拶すると、里絵奈が、
「私代わるから行ってきなよ」
「ありがとう」
遥は里絵奈に「何かあったら呼んで」と言ってから、テントの裏を回って隼人についていった。
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