第二章 同じモチーフ、違うモチーフ(3)

 母と遭遇したときは玄関までだったから、南の部屋に入るのは初めてだった。

 ルミエール南の五〇二号室は、八畳くらいのワンルームだった。締めきっていた部屋は少し湿っぽい匂いがした。

 窓側にベッドとチェスト、手前にテレビとローテーブル。カーテンなどのインテリアが、実家の南の部屋と同じテイストでまとめられている。確かにここに南が暮らしていたのだなとしみじみ思った。

「俺は外で待ってた方が良くない?」

「ここにいてよ。編み物関係のものがあったら、史郎君に見てもらった方が早いし」

 居心地悪そうにする史郎に、遥は「ごめんね」と謝る。

「私があんまり一人で来たくなかったってのもあるんだ。でも、お母さんと一緒だと、余計にしんどそうだし……」

 話はできたけれど、急にうまくやれるわけもなく、いまだに母とは少しぎこちないままだ。南のことに気を使わなくていい分だけ、肩の力は抜けたけれど。

「ちょっとだけつきあって」

「まあ、いいけど」

 編み物道具は、探すまでもなくチェストの上に見つかった。布製のかごいっぱいに毛糸が入っていて、その横にハサミやかぎ針などの道具の箱がある。本棚には編み物の本が何冊も並び、その一番下の段に編んだものが入ったかごがあった。

「わぁ、さすがお姉ちゃん。綺麗」

 モチーフを二つか四つ繋げた編地は、どれもパステルカラーの淡い色の組み合わせた。母が言っていた通り、遥とは比べものにならない出来映えだった。

「練習? 試作か」

 史郎が言って、「触ってもいい?」と断ってから一つ一つ広げた。

「へぇ、こういう色合いなんだな。……子どもっぽくならないバランスってどの辺なんだろう」

 一人でぶつぶつ言っている史郎を放っておいて、遥は本棚からバインダーを取り出す。思った通り、それは編み図だった。

「史郎君、あったよ」

 史郎の横に座って、床にバインダーを広げる。

「ああ……やっぱりオリジナルかな。これは色が指定されているし」

 サンプルの写真と、使った毛糸の品名もメモしてある。隼人からもらった編み図とは違って、モチーフとモチーフの繋ぎ方も書いてあった。最終的にいくつ編んで、どういう形になるのかも書いてある。

「ストール……これは鞄……小物もあるのか」

 ページをめくっていた史郎が手を止めて、遥に示す。

「原価と売値が書いてある。南さんも販売してたんじゃない?」

「ホントだ……」

 毛糸や他の材料の値段と、「モチーフ一個三十分」というのは編むのにかかる時間だろうか。最後に「売価」とはっきり書いてある――書かれている金額はいくらからいくらとあいまいだったけれど。売価というからには売っていたのだろう。

「お母さんに聞いてみたら?」

「うん、そうする。もしかして、小鳥山の手づくり市に出てたりしたかな?」

「ああ、そうかもね。近いし」

「五年前は、史郎君はまだ作ってないよね」

「五年前は……そうだな……。手づくり市にも母さんは出展してたけど、俺は手伝いには行ってなかったから。後でネットで調べてみようか? 当時の出展者リストが残ってるかもしれない」

「ホント? お願いしていい?」

 史郎はうなずく。

「本名で出てたってことはないと思うんだけど、作家名がわからないかな」

「作家名?」

「そう。うちは、そのままワダ手芸店って名前で参加してる」

 遥はバインダーをぱらぱらめくったけれど、それらしい書き込みは発見できなかった。引き出しをいくつか開けてみたけれど、名刺やパッケージに使うシールの類は見つからなかった。

 南の携帯は事故のときに大破している。パソコンはパスワードがかかっていて中を見れなかったと母から聞いた。

「見つからないね。……これもお母さんに聞いてみるよ」

「じゃあ、このサンプルを写真撮らせて」

「うん。あ、編み図はあとでコピーしに行こう。私も持って帰りたいし」

 試作の編地と、編み図に貼ってある写真を史郎はスマホのカメラで撮影する。

 遥は手持ぶさたに、作り付けのクローゼットを開けてみた。今の遥のクローゼットと似た色合いの服が並ぶ。母のこともあって、服の趣味や髪型を変えようかとも思ったのだけれど、そのままになっている。主な理由は資金のなさだったけれど、ずっと姉の真似だったから、今さらどうしたらいいのかもわからなかった。結局、このスタイルが自分が好むスタイルなのかもしれない。それならこれでいいんじゃないかと、行ったり来たり悩んでいた。

 手前にかかっていたコートを引き出して見ていると、奥の方でがさがさっと音がした。

「え、何?」

 大嫌いなあの虫だったらどうしようと思っていると、紙袋が足元に落ちてきた。

「きゃっ!」

 驚いて一歩下がる。史郎が、顔を上げてこちらを見た。

「どうしたの?」

「紙袋が落ちてきた」

「ああ、そう」

「私、触ってないんだけど! ねえ、ネズミか何かいるのかも!」

「はあ? ネズミ? そんなの見たことないよ」

 言いながらも、史郎は立ち上がってクローゼットの中を確認してくれる。何のためらいもなく、床に置いてあった靴の箱を動かすから、遥は慌てて後ずさった。

「何もいないけど」

 史郎の横からそっと覗いて、遥はほっと息をついてから、「待って、待って。こっちの紙袋は?」と足元を指差した。この中に何かいる可能性もある。ベッドの上まで避難してから、「お願いします」と史郎に頼む。呆れ顔で、史郎は紙袋をひっくり返した。

「ちょっ! ひっくり返して、ネズミ出てきたらどうするの?」

「そんなのいないって」

 確かに何もいなかったけれど。

 紙袋から出てきたのは、黒っぽい編地と毛糸玉だった。かつんと高い音がして、見るとかぎ針だ。

「作りかけか?」

 史郎がかぎ針を拾って、編地に刺し直す。彼が両手で広げたのを見ると、マフラーを三分の一くらい編んだところ、といった感じだった。黒と濃いグレーの、ピッチの大きなボーダーだった。

「男物かな」

「そんな感じだな」

 色合いもそうだけれど、目がみっしりと詰まっているのが無骨な印象だ。史郎が見せてくれた写真のストールは、レースのように空間が取られて複雑な模様を作っていた。

「他の作品と別の場所にしまってあるってことはさ、あの付き合ってたっていうサークルの先輩に渡すためだったんじゃないの?」

「そうかも」

 隼人は、南の気持ちはよくわからなかったと言っていたけれど、時期的に――姉の事故は十二月十八日だ――クリスマスかバレンタインのプレゼントだったのかもしれない。

 史郎はふと気づいたように、紙袋を見ると、

「適当に開けちゃって、悪い。ちゃんと戻しておくから」

「ううん。私がやる。史郎君は写真撮っちゃってよ」

「もう終わった」

 紙袋に編みかけのマフラーを入れて、クローゼットに戻す。コピーするため、編み図のバインダーを持つと、史郎はぶるっと身震いした。

「この部屋寒くない?」

「え? そうかな? 史郎君、風邪ひいた?」

 遥が聞いたそばから、史郎は一つくしゃみをした。

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