第一章 編み始めは輪の作り目(13)

 ちゃっかり朝食まで出してもらって遥は翌日、和田家をあとにした。

 連休初日の金曜日。爽やかに晴れ渡り、午前の太陽が眩しいほどだ。乗り換えのため、新山駅から榎並駅まで歩く道には、街路樹のハナミズキが生き生きと花を咲かせていた。

 午前に自宅方面に向かう電車に乗るのは初めてだ。遥の地元、佐木橋は、歴史ある建物が集まる通りがあるちょっとした観光地だった。付近にはお洒落なカフェや雑貨屋もたくさんでき、ツアーバスも訪れる。最近は外国からの観光客も多い。いつもの通勤通学客ばかりの電車とは違う車内に目をやりながら、遥はすごした。

 意識を外に向けていないと、緊張してしまいそうだったのだ。家に帰ったら、母と話をしようと決めていたから。

 観光地なのは駅に近い一角だけで、休日然としたのどかな住宅地を自転車で走り、自宅に帰りつく。恐る恐る中に入ると、居間に母がいた。

「ただいま」

 はっとしたようにこちらを見た美穂に、遥はできるだけ平静を装った。

「おかえりなさい」

「お父さんは?」

「ゴルフの打ちっぱなしに行ったわ」

「そう……」

 遥が近づくと、美穂は逃げるようにソファから立ち上がってしまった。

「ご飯は食べたの?」

「うん」

 遥はため息をつき、鞄をソファに投げた。その勢いで、編み物の道具を入れた袋が飛び出す。それを見て遥は、自分の部屋に走り、南の編み図と史郎が編んでくれたモチーフを持って戻った。自分で編んだモチーフも袋から出して、居間のテーブルに乗せる。

 美穂は、遥がばたばたと行ったり来たりするのを驚いたように見ていた。その腕を掴んで、遥は強引にソファに引き戻す。自分も隣に座った。

「お母さんは、お姉ちゃんの話をするの嫌かもしれないけど、聞いて」

 遥は、南の編み図を出す。

「これ、お姉ちゃんが描いたの。大学のサークルの先輩が持っていて、私が妹だって気づいて、渡してくれたの」

「南の?」

 美穂は編み図を手に取って、一枚一枚めくる。その上に、遥は史郎のモチーフを乗せた。パステルピンクの整った編み目。

「それを友だちが編んでくれたのが、これ」

「まあ、上手ね」

「うん。すごくうまいの。でね、その人が教えてくれて、私が編んだのがこれ」

 昨夜作ったばかりのモチーフを、遥はさらにその上に乗せた。これもまだスチームアイロンをかけていなくて、黄色の丸は少し波打っている。史郎のと比べると編み目のゆがみ加減がよくわかる。

「お姉ちゃんはもういないんだよ。だから、お母さんと私で、――お姉ちゃんがいないって前提で、新しい関係を築くしかないんじゃないかって言われたんだ」

「……ええ、そうね」

「お姉ちゃんの話をして泣きそうになったら、二人で泣けばいいと思う。避け続ける方が辛いよ」

 美穂は遥が編んだモチーフを手に取る。両手で包むように撫でた。

「ごめんなさい。……お母さん、南のことを考えたら何も手に付かなくなりそうで……それが遥に後ろめたかったの。贔屓しているつもりはないんだけれど、どうしても……。だから、南の話はしたくなかったのよ」

「うん。大丈夫だよ、私もお姉ちゃん大好きだから」

 美穂は遥を見た。少し不安そうな表情だった。

「あなたが南と同じ進路を選んで、南みたいな格好をしてるのは、お母さんのせいなのかしら?」

「違うよ。私がお姉ちゃんみたいになりたかったの」

 母の視線を意識していなかったといったら嘘になるけれど、遥自身が南に憧れていたのは本当だった。

「そうなの?」

「うん。お姉ちゃんに憧れてたの。お姉ちゃんが亡くならなくても、私は同じ大学を選んだと思う」

「そう……。あなたも、南みたいに、ふっといなくなってしまうんじゃないかって不安だったわ……」

 美穂が絞り出すように言って、両手で顔を覆った。遥は息を飲む。

「ごめんなさい。……昨日のことも、ごめん」

「いいえ、お母さんこそ、ごめんなさい」

 遥は美穂の腕を掴む。ぎゅっと握りしめた。

「お母さん。私はお姉ちゃんじゃないよ。お姉ちゃんみたいにもなれない」

 美穂は遥に引かれるままに、顔から手を離し、こちらを見た。

「だから、私はお姉ちゃんみたいにいなくならないよ」

「遥……」

「大丈夫」

 母に抱きつくようにして、肩に頬を寄せる。美穂は、遥の頭に自分の頭をこつんとぶつけた。

「そうね。遥は南とは違うわね」

「そうだよ」

 美穂は少し笑って続ける。

「南はもっと編み物うまかったわよ」

「えー。それは、私も同じくらい上達する予定なんですけどー」

「どうかしらねぇ」

 遥も笑うと、二人の振動が共鳴した。

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