浪漫なんてナァ欠片もないけど_書き下ろし

書き下ろし 春の日、うららか。

洗濯戦争



 チャコさんが探偵社の仲間入りを果たしてから初めての、春の日のことだった。

 チャコさんは猫然として日向でまるくなり、その日向にこれまた猫然として鎮座する先生の膝の上を占領している。冬の間着通しで綿の薄くなったどてらはこの気候に丁度いいのだと主張し脱がない先生との洗濯を賭けた闘争が、いつもよりも早くに始まった。


 例年であれば、洗濯闘争はもっと後、寒の戻りの無くなった頃に先生の抵抗が弱まることを狙って行うものだったが、今回はなにせ、チャコさんがいる。ほとんど四六時中猫の毛にまみれていては獣くさくなってしまうのも道理だし、実際私のコートだって先生のことを言えた状態ではない。けれど私のコートのポケットには何も入っていないし、先生のどてらよりも私のコートの方がうんと薄く、風通しがいいので、私の方は然程の臭気もない。せいぜいが二日風呂に入らなかったくらいの臭いだ。

 が、先生は違う。

 「三好くん、麩菓子が切れてしまった」

 「分かりました、買ってきましょう。買ってきましょうとも」

 つまり、そういうことだ。


 先生のどてらの袂には、色々なものが入っている。

 算盤が出てきたこともあったし、チャコさんの首に巻かれかけた飾り紐もそこから出てきた。結局チャコさんの必死の抵抗によりそれが結ばれることはなかったし、先生がそれをつけさせることを諦めてからは私も、チャコさんがうっかり先生に傷をつけてしまったのならどうしてやろうかなどと物騒なことを考えなくとも良くなった。朱と赤とで編まれた紐の元来の出所は分からないが、何せ拾ったものから物置の中身まで、外出の際必要だと思った物だかなんだかの理由で先生は、その袂の中を分厚くする。

 もちろんその”必要なもの”の中には、先生の好物も含まれている。

 甘いものだ。


 きっちりと包まれた羊羹などはまだよいもので、口紐の緩んだ巾着の中にざらめ煎餅が入っていたり、麩菓子が入っていることもある。火鉢の前で寝ていた日などは飴玉が融けだして悲惨な有様にもなったし、もちろんそんな一面さえお茶目と考えれば愛しいものだがなにぶん貧乏探偵社。先生が満足するような綿の厚いどてらは、中々買えない。

 先生から頂く小遣いという名の給金の中からいくらかずつ”どてら貯金”を貯めてもいるが追いつかず、一枚しかない先生のお気に入りを洗濯するとなるともちろん先生は嫌がり、私はそのどてらの綿が縮んだり、虫に食われたりすることを避けるために泣く泣く先生から奪い取る。

 洗濯戦争に、慈悲と容赦はないのだ。


 開戦の合図は、私が「そろそろ洗っておきたいのです」という目で先生を見つめること、先生がそれに、「言わなくとも分かるよ。嫌だ」と呑気に応えるその声となる。それをもって毎年毎年先生からいかにしてどてらを引っぺがすかということに腐心することになるのだが、先生が毎年毎年同じやりとりをしていて気づかないはずがない、そのことに気づいたのは最近だが、面白がっているんだとしたって先生がどてらを脱ぐことを快く思っているはずはない。

 不思議なもので、第一戦たるどてら争奪戦においては私の方に圧倒的有利があるのだ。――狙い目は、先生が縁側で昼寝をしているその時に来る。

 布団に入った先生はどてらを抱きこむように丸くなるものだから、猫よりも猫らしいその状態からどてらを奪い取るのは困難を極める。ただし、先生の腹の上で伸びて眠るチャコさんにつられるように、先生も昼寝の際には縁側で伸びて眠る。つまりどてらの大部分は先生の背にしかれている。ご気分の良いところ非常に申し訳ないし、私としても先生には悠々と昼寝を謳歌していただきたいところではあるが、どてらの洗濯は急務であり戦争だ。寝顔がかわいいなどと言っていられる状況ではない。

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