浪漫なんてナァ欠片もないけど_化猫02

 そして、私の調査は、猫たちへの聞き込みから始まった。


 先生に汁粉を用意し、私は乾物をぼりぼりとやって米をかきこみ、先生の横でチャコさんは私のとっておきの削り節をふんふんとやったり、大口をあけてくっちゃくっちゃと堪能したりして、朝が終わった。先生はそのままチャコさんに聞き込みをするのだといい、私に歩きやすい靴を要求してそれを包帯でわざわざ自分の足に合わせた割にはのんびりと三和土に足をぶらつかせ、チャコさんを膝に乗せて笑っていた。

 「三橋くん、私は他にやることがあるからね、君にも仕事を頼みたい。」

 どうしたものかとは思ったけれど、助手たる私に先生が依頼をしたのだ。その役割は大小に関わらず、私がやるべきことであるはずだと思い事務所を出た。先生は、私の背中を見送ってくれているかのように相変わらず、のんびりと笑っていた。


猫たちのうちのいくらかは話せるはずだというのが、昨晩のうちにチャコさんから得られた情報であった。先生はその話せるはずの猫の名前をいくらかチャコさんから聞き出して、そのうえで私に、「スルメ」と「タチウオ」、それから「イヅツ」を探せと言った。その3匹になんの因果があるのかは分からないけれど、私に先生の意図など分かろうはずもない。先生がやれと仰るのならば私はやるのだ。そうして、冷えた風に吹かれながら。私はスルメとタチウオのために、魚屋へと向かった。


 スルメとタチウオのその名前の所以は、魚屋でねだることに成功したいちばんの大物の名前であるという。午前中の収穫はそれきりだった。


 スルメとタチウオの名付け親たる魚屋の姉さん方は彼らのことをたんとかわいがっているようで、探しているのだと言えば「石でも投げつけるんじゃなかろうね」だの「あんたみたいなお華族様が、お猫様になんの用事よ」だのと散々な言われようであったものだから、収穫と言っていいのだかは分からない程度の情報であれ手に入れられたことを褒められたい。なんなら、瓦斯燈の喫茶店などに入ってあたたかい珈琲の一杯や二杯くらいは許されるのではなかろうか。そんなことを思いながら私は商店街を延々と歩き、路地裏に猫のいるのを見かけるたびに寄り道をして声をかけた。はじめは彼らも私を怖がって逃げていたようだったが、そのうちに私から仲間の匂いがすることに気がついたのだろう、じっとしゃがんで待ってさえいれば彼らの方から寄ってくるようになった。

 「やあ、」だの「こんにちは」だの「寒くなってきましたね」だのと、帰ってこない言葉を投げた。私に興味を示すものが増えてきたものだから、路地裏に座り込んで、彼らを探しに行くのではなくてただ待つことにした。そうすると、ゆっくりゆっくり、けれどそうして当然のことであるかのようにしれっとした顔をして彼らは近づいてくるようになった。そのさま見るのはなんだか楽しい気持ちになりさえするものであった。


 チャコさんの時がそうであったように、言葉を話せる猫が私に近づいてきた中にいたとしても、その事実を私に悟られないようになごなごと唸っている可能性があるということに、ここに至ってようやく気がついたことを除けば非常に、順調な調査であったのかもしれない。


 気づいたときにはもう随分と手遅れの予感もあったがこれが意外と厄介な問題で、「お前は私の言葉が分かるか」と問いかけたところで応えるかどうかは彼らの気分次第。彼らには私の言葉が分かっていたとしても、私に彼らの言葉が分からない。そのため私は何らかの方法で彼らに自主的に話させなければならないのであるが、その方法を考えるところからはじめなければならないうえに、それがまたとんと思いつかない難題であるのだ。


 人通りのない路地裏で、時間だけが過ぎてゆく。

 猫だけが私のそばを通り過ぎ、ズボンのすそを毛まみれにしてゆく。


 私のグレーのスラックスが色とりどりになる頃、さび柄の一匹の猫がどすんと私の背中にのしかかってきた。米俵ほどはあるんではなかろうかと思う重量であったがさび柄はまったく己の重さなど気にした風のない顔をして、「お前さんよう、そんだけ悩むんなら相談すりゃあいいじゃねえか」だなんて言って、生臭い息を吐きながら、私の顔を覗き込んだ。


 その猫は己をイヅツと名乗った。そして、チャコさんよりはずっと若いがそれでも年を食った、ちょうど羽杷木くらいの歳の男が発するような声で、訥々と語る。

 悩んでばかりで何も行動しないのは、何も考えていないのと同じであるということ。猫に声をかけるだなんて恥ずかしいだの思っているのかもしれないが、自分たちだって人間に話しかけるのは仲間の目を考えると非常に恥ずかしいものだ。私が話しかけていたつもりであった言葉はみんな、イヅツにしてみればそこいらの飲んだくれや気の違ったものが発する独り言のようなものであって、そのようなものを日ごろ延々と眺めていたり投げかけられている猫にとってみれば返事をするだけ無駄なもの、であるのだということ。

 「猫っていうのは小さいもんだ。お前さん方のようにでけえのは猫じゃねえ。つまりな、猫でもないもんに話しかけたって返ってくるわけがねえと思うわけさ。お前さんだってそうだろうよ、自分たちより小さいもんは自分たちではないもんだから、話しかけたって、と思うだろうよ。」


 わかるよ、わかるとも。そんなふうに鼻を鳴らすイヅツは、驚くほど饒舌な猫だった。

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