浪漫なんてナァ欠片もないけど_化猫
それは、おおよそ十一月のことだった。
肌寒くなりはじめた気温に抗うように、先生は私に朝いちばん、布団の中からぬくぬくと「どてらを持ってきてくれない、」と声を上げた。私はあくまで先生の助手兼恋人希望であって、小間使いではないのだけれど、などと思いはすれども、先生がころりと布団にくるまっているのを想像するだけでその愛らしさにすべてを許してしまうのだから、恋は盲目とはよく言ったものだ。私の返事をしないのを、聞こえていないとか、無視するつもりだとか思ったのかしれない先生が、「どてらぁ」と二度めの鳴き声を上げたあたりで、その愛おしさは私に、せっかくだから、どてらを渡したその足で汁粉でも作ろうか、なんて思わせる。
そうして私がどてらを抱えて寝室へと向かったところ、先生は笹蒲鉾のようにぬっくりと布団に包まれ、天井を眺めていた。非常にコミカルな景色だ。私がそれを見ても声を出して笑うことなどなかったのはひとえに、なんと愛おしい光景だろうかとその先生のころがっているのを眺めることのできた、私の寛大な愛ゆえだ。
「先生、これからもっと寒くなりますからね、今のうちから着込んでいては、冬がもちませんよ。」
「いいんだよ、だめになったら僕は冬眠する。」
「……先生、貴方が冬眠なんてしてしまったら、」
私はいったい何のために生きていればいいんです、なんて言いかけたことばは、すんでのところで堪えた。我ながらこの自制心は称賛に値する。そしてその代わりにつなげた「その間の怪異はどうするんですか」なんていう言葉は私の見込み通り、先生の身体を布団から起こすことに成功した。いつだって私は先生の理解者であるのだ、というような漠然とした万能感すらおぼえながら私は、もぞもぞと笹蒲鉾から綿入りの凧に姿を変える先生を見ていた。先生は、どことなく不満げに口を開く。
「そりゃいけない。面白いことはいつだって、僕の目の前で起こってくれなくっちゃあ勿体ない。」
「そうでしょう、ほら、ではこれを着て、すこしお外を散歩でもなさってください。身体が温まりますよ。」
冬眠にならないための準備運動だな、と張り切って肩を回す先生は、歳でいうと私よりも実に十ほど上であるはずなのだけれど、その所作があまりに無邪気にすぎるがために幼く見える。そこがまた愛おしい。先生の身体や仕草に関していえば、どこをとっても愛おしくないところなどないのだが、それは私だけが知っていればいい。そんなふうにぼんやりと感慨に浸りながら、さて先生に喜んでもらうにはどうすればよかろう、と、私は頭をめぐらせた。
お帰りまでに用意しておきますが、味噌汁と汁粉と、どちらがいいですか。背中を勇ましく揺らして歩く割にはうすっぺらく、頼りないその背中に声をかけると、一拍もおかずに「汁粉だ汁粉」と返ってきた。日干しの甲斐あってふっかりと大きなどてら姿は振り返ることがないけれど、ひょこひょこと楽しげに歩く先生の髪が、その一歩一歩に合わせて揺れるのが目に楽しい。
「頭を動かすには甘いもの、ですね。」
「分かっているじゃないか、ようやく私の助手が様になってきたかな。」
けれど、分かっているんなら聞いちゃあいけない、なんて、自分勝手な先生は話している間もずんずんと進んでいった。私がその言葉を最後まで聞けたのはひとえに、先生を見送るため玄関先までついて出たからだ。
「では先生、汁粉が冷めるまでにお戻りくださいね。」
「ああもちろん、私が怪異絡みではなく外に出て、そのまま長居したことがあったかね。」
自信満々に笑う先生の顔で、朝日を受けて光る眼鏡はゆがんでいる。ずいぶん以前からゆがみっぱなしで直っていないそれは、私が何度言っても眼鏡屋に修理に出されることがなく、買い替えを検討されることすらない代物だった。私の言葉などよりもきっと、先生のその眼鏡に対する思い入れは深いのだ。そう思うとなんとなく私はその眼鏡に嫉妬しそうになる。毎度毎度のその感情にもいい加減飽きてきて、けれどそれでも慣れるには至れないことがもどかしく、視線をそこから引きはがすように、頭を下げて、私は先生を送り出した。
ざく、ざく、という足音が徐々に遠ざかり、ふいにざざざっと勢いよく、走り出した。より正確には先生の走るのは足が上がっていないがためにほとんどすり足のような状態になるから、滑り出したといった方がいいのかもしれない。顔を上げて見ると、先生は走る毛玉を追いかけているようだった。赤茶けた色のその毛玉は先日、とある女性が「うちの猫が喋った」と連れてきた、尾っぽの短いものに似ている。
怪異に目がない先生はそいつに熱心に話しかけ、抱え上げて、手を引っかかれそうになっていた。先生に傷がつくのはすんでのところで阻止できたものの、もしそいつがほんとうに人間の言葉を理解していて話せるのだとしたら、先生にあれだけ熱心にきらきらとした目で覗き込まれて、話しかけられて、それでも何も答えないというのはあまりにも失礼だと思ったものだった。それだけでも十二分に失礼だというのに、抱え上げられたのに驚いたのだか知らないが先生の手をひっかこうとするだなんて。私は昨日のその瞬間から、あの猫のことが嫌いだった。
結局その時点では、赤毛の猫は一言も話さなかったために怪異であるとは断定できなかった。猫も百年生きれば猫又となり、怪異として襖を開けるだの喋るだのという言い伝えはたしかに昔からあるものの、その猫は依頼人の女性曰くは数年前にもらってきたばかりだという。あんまりにも情報が少なく何とも言い難い状態ではあったのだけれど、女性の元に来る以前から生きていたのかもしれないから、だなんて、その猫が半野良の生活をしているのをいいことに、女性宅にいない間の猫を見かけたら調査を続行します、と、先生は判断を下したのだった。そもそも実際にやつがどれだけの時間を生きてきているのだかは分からないのだから先生の判断はまるきり正しいのだけれど、私にとってはなんだか、やはり己が怪異の二の次なのだということを実感しているような気持ちになって、八つ当たりのようなものだとは思いつつも先生に、なんで、という不満を抱かずにはいられなかった。自分と直接比較されたでもないというのに、先生が怪異のことばかり考えているというのは今に始まったことでもないのに。
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