【改元SS】終わるし、はじまる。

リン・シンウー(林 星悟)

しっくりこない彼女と、しっくりこさせたい私。

「平成が終わるって言われても、なんかしっくりこないんだよね」


 彼女は言う。

 いかにも「個人的な意見」といった趣の発言だ。問題を提起するでも、同意を求めるわけでもなく……ともすれば、「ああ、そう」の一言を返せばおしまいの、他愛もない一言。

 そもそも、その「終わり」とやらを見届けるために、23時50分、大学の同期たちが缶チューハイ片手に集まったこの公園の片隅で、それを今さらぶっこんでみたところで、それはそれとしてもうものの数分で平成は終わるんだけど、としか言えない。


「へえ。どうして?」


 だからこそ、私は彼女の発言をあえて掘り下げてみることにした。

 発言の内容そのものより、彼女自身が何を考えているかへの興味がそうさせたのかもしれない。


「なんてゆーか……ずっと『平成』だったじゃん。生年月日を書く時も、今日の日付を書く時も、バイトの履歴書に学歴書く時もそうだったし。それにほら、見てよ、わたしの免許証」

「なんだか間抜けな顔だね」

「そこじゃねーし! 平成32年まで有効って書いてあるでしょ? 普通に来年も、そのまた先も、続いていくのが当たり前と思ってて……だから、いざ今日で終わりますとか言われても、全然ピンとこない」


 時代の終わりに、実感が持てない。

 確かに、そういう人は一定数いるだろう。

 私も彼女も平成生まれだから、なおさらだ。元号の移り変わりを体験するのは初めてだし、昭和という単語も、せいぜい親の生年月日を書く時くらいしか持ち出さない程度には遠く離れた所にある。


「ご両親に聞いてみたら? 昭和が終わる時、どんな気分だったのか」

「あー……いや、それもなんか違うじゃん、終わりの種類が」

「種類?」

「うん。わかってる終わりと、いきなり来る終わりの違い。昭和の終わりは多分いきなり来たんだろうけど、平成が終わるのはずいぶん前に予告されてたから」

「なるほど。確かに、当時は昭和最後の何某、なんて話題は少なかっただろうね。結果的にそうなるものがあったとしても、今回のようなお祭り騒ぎじゃなく、もっと喪に服した趣旨だったかもしれない」


 昭和天皇の崩御によって、昭和の時代は終わりを迎えた。当時のことは生まれる前だからよく知らないけれど、六十数年も国民に愛された方が突然に亡くなったのだから、きっとみんな本当に驚いただろう。

 対して今回の改元は、予告された終わりだ。天皇陛下が生前退位を発表した時からずっとわかっていたことだし、次の元号「令和」も、1ヶ月も前に明かされている。念入りに準備して迎える「終わり」だからこそ、こうして平成最後のお祭り騒ぎを演じることもできている。


「つまりそこが、しっくりこない? わかってる終わりが、『終わり』として実感できないということなのかな」

「あー、それもあるかもね。だってほら、見てよこの雰囲気」


 少し離れたところで、平成の思い出話に花を咲かせながらお酒を呷る同級生たちを指差す。


「大晦日じゃん。年末に集まるのと大して違いないんだよね」

「ふっ、そうかも。わかってる終わりという意味では同じだ。毎年経験していることじゃ、新鮮味も薄いか」


 集まる場所が、神社か、公園かの違いだけかもしれない。


「けど、年末は毎年訪れるのに対して、平成の終わりは後にも先にも今日だけだ。生きているうちに次の元号が来るかどうかもわからない。一生に一度の終わりかもしれないよ?」

「その一生に一度ってのもなー」

「しっくりこないか」

「しっくりこない。例えば高校の卒業って、一生に一度のわかってる終わりだったわけだけど。高校最後の夏も、卒業式も、自分のことだから大事にできたんであって、平成の終わりはわたしだけのものじゃないから、主語が大きすぎてしっくりこない」


 しっくりこないって、何回言っているのかな、彼女は。


「だいたいさー、せっかくお祭り騒ぎで迎えられる時代の移り変わりなのに、みんな最後とか終わりとか言い過ぎなんだよね!」

「おっと、また論点が変わったね」

「しっくりこないって意味では同じだよ」


 話題の取り留めのなさが、彼女の酔いの回りを感じさせた。それほど強くもないのに、ストロング缶なんて飲むから。あとで記憶を失くされても嫌だから、あまり強気に飲まないでほしいのだけど……。


「わかってる終わりってさ、ようは始まりもわかってるってことじゃん? 年末が終われば年始が来るし、高校生活が終われば新生活スタートだし、平成が終われば令和がはじまる。終わりと同じところにはじまりがあるはずなのに、なんだか今は平成最後ばっかり目につくんだよね」

「それは、まだ令和がはじまってないからじゃないのかな。明日からは、令和最初の何某が世間を埋め尽くすと思うよ」

「そういうものかなぁ」


 まだしっくりこないらしい。早くしっくりこないと、しっくりこないまま平成を終えてしまう。


「有終の美という言葉があるだろう?」

「ん。……んー、何だっけ」

「終わり良ければすべて良し、でもいいかな」


 彼女がスマホを操作して言葉の意味を調べようとしたので、取り上げてわかりやすく言い換えてあげた。


「平成の終わりが良いものなら、平成という時代は良い時代だったと言えるってこと。だからみんな終わりをいいものにしたくて、こうして思い思いの平成最後を演出してるんじゃないのかな」

「その考え方はわかるけど……」

「まだ不満? そろそろ平成も終わってしまうよ」

「不満とかじゃないけど。……その終わっちゃうっていうのが、そう……寂しいのかなあ」


 寂しい?

 それが、彼女の「しっくりこない」の正体だろうか。


 いきなり来る終わりは、寂しいなんて考える暇もなくある日突然迎えることになる。例えば死や、恋の終わり。感傷に耽るのは、終わってしまった後の話だ。

 予告された終わりは、心の準備をする期間がある。あるからこそ、余計に寂しいものになる。3ヶ月続いたドラマの最終回も、3年続いた高校生活からの卒業も、30年続いた平成時代の終わりも。


「生まれてからずっと平成だったから。今日で終わり、お別れっていうのが、しっくりこない。実感持てないし……なんか、寂しいし、物悲しい」


 寂しいから、「平成最後」って言葉をあまり聞きたくなかったわけか。

 なんだか、子供みたいで可愛いと思えてしまう。


「まあ、無理に別れを告げることもないんじゃないのかな」

「どういうこと? 事実、平成は終わっちゃうじゃん」

「それはそうかもしれないけど。ほら、生年月日の欄には、平成って書くだろ? それこそ死ぬまでずっと。時代がひとつ終わっても、平成生まれの私たちは、まだまだ『平成』のお世話になるじゃない。いつまでも変わらないものもあるよ」

「あー……」


 彼女はいったん納得しかけて、やっぱりまた首を傾げてしまう。


「……ズルくない? 昭和生まれの人はどうすんの」

「同じように『昭和』を大切にしていくだけだと思うけど」

「そういうものかなぁ」

「そういうものだよ。ほら、もう1分切ってるよ。みんなカウントダウンとか始めるんじゃないのかな」


 しっくりくる、こないに関わらず、事実として今日で時代が区切られる。

 その記念すべき時に、彼女が、私の隣で「寂しい」なんて思ったままだというのは……少々、不満だ。


「……あのさ」

「ん? なーに」

「終わりがそのままはじまりになれば、寂しくないということ?」


 抽象的な言い回しに、彼女は疑問符を浮かべる。


「加えて、自分自身のことなら、しっくりくるってことだよね?」

「え、なになに。よくわかんな……」


 平成最後の彼女の言葉は、そこで終わり。


 私の口が、塞いだから。



『……0! ありがとう平成! ようこそ令和! カンパーイ!!』



 若者たちの愉快な歓声と、新たな時代の到来を祝う喧噪が公園を埋め尽くしてから、私は一歩、彼女から離れる。


「………………へぇえ???」

「笑っちゃうくらい顔真っ赤。飲み過ぎだよ? お酒くさかったし」

「いや、ちょっ、これは」

「ともあれ、平成最後は頂いたから」

「さ、最初だし……」


 おや。それは悪いことをしたかも。

 私も酔ってたということで、ご勘弁願いたいな。


「……わたしの……」

「うん?」

「わたしの平静は、終わりを告げました……」

「ふふっ。そのセンスは昭和だよ。今はもう令和時代」

「……ぷっ。そーだね」


 そこで、ようやく彼女は笑った。

 寂しいとか、物悲しいとか、そういう気分、平成に置いてきてあげられただろうか。

 しっくりこなかった昨日が終わって、新しい日々がはじまると嬉しい。

 そんな想いを込めて、私は彼女の手に持った缶に、自分の缶をこつんと当てた。文明開化の音はしないけど、これはこれで、趣のある音色だ。


「令和でも、またよろしくね」

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