第3話

「近所の女子高生?」


 マックにて。

 ハンバーガーのLセットを二人で分け合いながら僕達は取り敢えず落ち着いていた。

 こく、と頷いて、僕は薄いコーラから口唇を離す。炭酸が苦手な僕には調度良いけれど、ぼったくりだと思う。自販機より高いし。しかしLサイズでかいぞ、ポテトも大量だ。

 視線で続きを促してくる奴に従って、僕はポテトを摘まみながら話し出す。


「僕の前で電車に飛び込んだんだよ。踏み切りで。いわゆる自殺」

「……あーと、いつ?」

「さあ。僕は三歳かそこらだったんじゃないのかな――断片的なことは色々記憶に残ってる。彼女いじめられてたらしい」

「ふーん?」

 昨今いじめで自殺なんてニュースにもなりゃしない。ピークが過ぎてからは有り触れた記事として情報に埋没している。別にセンセーショナルでも何でもないことだった、ただそれが身近で起こったからインパクトが強く残っていただけで。

 それだけでしかない、それだけのことだ。


「関西から引っ越して来てたらしくてね、彼女。イントネーションが原因でいじめに遭ってたんだって。ハブられるのが耐えられなくなって結局――」

「……痛ましい話やな」

「そうか、もっとしてやりたいな」

「結構や」

「そうか。まあ、本当に忘れてたんだけどね、こんなの――」


 血塗れの服で家に戻ると母親が悲鳴を上げた気がする。すぐに着替えさせられ、シャワーを浴びて、何も見てないと言い聞かせられ続けた。血で黒くなってしまった服は全部捨てられ、砂遊びの道具も同様に廃棄された。

 そう、ずっと忘れていた。思い出したりなんかしなかった、はずだった。

 多分そんなものが今になって思い出されたのは。


「お前の所為だな」

「へ?」

「お前の所為で思い出したんだろーと思う」


 あむ、とハンバーガーを一口齧る。ピクルスは一枚しか入ってないから、貰ってしまおう。これが中々好きなんだ。昔はむしろ苦手だったんだけど。


「お前の関西弁ってのがキーポイントの一だな。と言うか鍵だ。そんでもって僕が持っていたのは、それに連動する鍵穴。二つが噛み合って開錠されて、滲み出した記憶から自動症の出来上がりってわけだ」

「……鍵穴、ってのは」

「孤独」


 事も無げに呟いて、僕はまた薄いコーラを一口飲み込んだ。


 一度全てに筋が通ってしまえば後は自明だ。明らかなものを否定するほどに僕は愚かじゃない。正しい理解をするのに自分の都合の悪さを無視する程度の事には、吝かではない。適当なプライドめいたものだ。

 僕が他人はおろか家族すらも息苦しいと遠ざけた理由と言うのも、こうなると簡単で。多分母親が幼い僕に何も見ていない何も知らないと言い聞かせたことが威圧か圧迫として心に残っていたんだろう。もっとも身近な母親ですらそうだったのだからと、僕は全ての人間を厭う思考になってしまったんだ。


 そしてその結果として僕は一人暮らしを早々に選んだ。自分としては快適だったつもりなのだけれど、どこかではそうでもなかったのかもしれない。誰かに触れたくて誰かと話したくて、鬱陶しいけれどやっぱり他人を求めていた。これもまた本能の成せる業だろう、種の存続とか群れの維持とかそんなものだ。これでベースは完成、と言うわけ。


 鍵になったのは奴の出現だ。関西からの転校生、関西弁。独特のイントネーションは記憶を揺さ振る。音の記憶と言うのは中々に強烈なんだ。文字よりも音、音よりも音楽の方が記憶には残りやすいらしい。同じ文句でも歌で覚えるのと文字で憶えるのとではまったく違うらしいと聞いた覚えがある、ような。


 おまけにこいつ、僕に激しく付き纏った。記憶の刺激が四六時中行われたことで僕の無意識に何か影響を及ぼした他のかもしれない。自然に、『一歩踏み出して死ぬ』という幼い頃の強烈な情景をなぞるようになってしまった。そして、とうとう僕は彼女と同じところに辿り着くことで――全てが、判った。


 ちなみに人と手を繋いでいることで発作が起きないというのは、多分認識する他人がいる所為で自分の思考や過去への没頭が妨げられる所為なんだろう。現実を認識し続けていれば意識は沈まない。室内なら大丈夫、と言うのも、その所為だったんだろう。学校や一人暮らしの家は、幼い僕の思考に存在しない。矛盾になってしまう。屋外の風景はそんなに変わり映えしないから、容易く意識を手放させてしまう。


 ま、僕は基本的に頭が良いからね。


 一気に全てをまくし立てるように説明すると奴の顔が少しだけ蒼褪めた気がした。ばくばくとポテトを口に放り込みながら僕は奴の口唇が開くのを待つ。なんだかいつもと少し逆だな、なんて思いながら、時計を見た。午後八時。そろそろこいつ、帰らなきゃならないんじゃないのか。


「そ、れは、つまり――」

「ん?」

「キミを殺しそうになってたのは、」


 自分か?

 言い掛けた奴の言葉を遮って僕は告げる。


「お前だ」


 ペンは剣より強い。音はペンより強い。

 余計に蒼褪めて俯いた奴に、僕は溜息を吐く。


「馬鹿かお前は」

「ぅ」

「ただの偶然だよ、こんなの。どっかで関西弁が身近になったら結局僕は発症して、餓死か自殺かしてたんだと思うし。あとは自動殺? ある意味安楽死だけどね、それも。むしろお前が引き金で良かったのが現状だと思うかな」

「ぇ?」


 僕は半眼で奴を見る。


「責任とって僕の世話をしろ」

「……へ?」

「登下校の送り迎えだ。お前が居なきゃろくに外出できない。僕だってこんなの言いふらすのは御免なんだ、お前が責任を取るのが普通だろ?」


 僕の言葉に。

 奴はコクコクと何度も顎を下ろした。

 僕はそれとなく息を吐く。

 脅迫染みた言葉だけれど。

 ……良かった。


 結局この病は独りだから発症するのだと僕は思う。

 誰も居ないし誰もいらないから、僕はきっと死にたがる。

 誰かが居れば死なない。

 それは、少しだけ、ほんの少しだけ、

 当たり前の病のようにも思えた。

 人を求める本能に則した病でしかなかったのかもしれないと、思えた。

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本能オートマチズム ぜろ @illness24

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