第22話 廻合

「ようこそ。この世のことわりから外れた世界へ」


 エレベータを下りた時、目の前でワンピースを着た少女というには少々小さすぎる女の子が、スカート部分の端を掴み行儀良く頭を下げている。都心から離れた場所にあるこんな特殊な研究所の、さらに地下深くで見るにはあまりに非現実的かつ幻想的な光景であった。


「おい、じじい。ちょっと調子に乗りすぎだ」


 少女の背後から、面倒くさそうな声が聞こえてくる。人に会うと聞いて身構えていた垣淵だが、この異様な状況に飲まれ防御壁は容易に崩れ去った。かしこまった反応が出来ず、垣淵の後ろにいるはずの堂垂に顔を向けることなく尋ねる。


「おい、なんだこいつらは!?」

「心外じゃのぅ。こんな可愛い幼子を見て、指さしながら『こいつ』呼ばわりか」


 この施設、御道に会った地下1階から下りてきた先は、地下4階。地下1階でも十分厳重であったが、更に厳重に密閉された区画。バイオハザード対策により、何があろうと決して外部には漏らさない仕組み。逆に言えば、ここで働く者達は全て何かあった時には閉じこめられるという決意の表れにもなっている狂気の施設。


「だからこの状況を説明してくれ! 堂垂二尉」

「特に説明するまでもありません。この方が、澄田翁。澄田幽斎様です」


 堂垂が明らかな敬意を表しつつ、目の前にいる小さな少女を紹介する。その後ろには、この季節だというのに全身に黒いコートを着て、中には赤いシャツ。深く帽子をかぶり地下階だというのにサングラス。そて両手には真っ白な手袋をした男が控えている。全くもって胡散臭く、場違いな存在が控えている。どう見ても研究者ではないだろう。


 身なりの異様さもあるが、それ以上に垣淵に少女の後方に立つ男に対して、理由もなく無性に反発したくなる感情が浮かび上がってくる。ゴキブリに会った時以上の生理的な嫌悪感。決して近づきたくないという忌避感。かつて会ったことがある、とことんまで下劣なやくざにだってこんな感情を抱かなかったのに。


「おいおい、『特異種』の次は生まれ変わりか? もう、何でも有りだな。確か、澄田の先代は少し前に亡くなったと聞いているぞ。確か盛大な社葬もされていたと記憶しているが。で、その澄田の先代がなんでこんな小さな子供姿なんだ?」

「全く。どいつもこいつも、人への接し方を弁えておらん。わしを一体何だと思っておるのか。堂垂君、日本の教育体制はどうなっておる? 嘆かわしい」

「彼の態度については、ご無礼のほど申し訳ございません」


 酷薄で暴力的な雰囲気のまま、堂垂は頭を下げ陳謝すると説明を続けた。


「この男は、ジャーナリストの垣淵健次です。『特異種』B、ロイスと接触していた者でもあります。御道閣下の判断で、今回のメンバーに加えることになりました」

「ふむ、御道の奴の差し金か。頭は切れるが、秘密主義のフリした思いつきが多い。あやつは政治を遊びと勘違いしておるでな。困った奴じゃ」


 だが、当の垣淵はぐるぐると回る自分自身の思考ループから容易に抜け出せずにいた。感情が理性に追いついていない。この奇妙で不可解な現状を理解しようと懸命に頭を回転させる。


「生まれ変わりにしては年齢が合わない。すると、憑依か!」


「ほう。なかなかに察しがよいようじゃ」

「しかし、そんなことが実際に出来るのか?」

「できておるからわしがこの姿であろうに。見た通りじゃ。じゃが、お主。ここに来たということは、一般社会の常識から離れる覚悟は付いておろう。なら、世界がどのように変わろうとしているかの一端をとくと見るがよい」


 そう言うと幼子は華麗にくるっと踵を返し、小さな歩幅で部屋を出て進み始める。その直ぐ後ろには、姿からして近づきたくない男が幼子を守が如く付き従っている。姿も異様だが、奇をてらっている訳ではない。ただ、徹底的に自分のスタイルを貫き通せばそうなるだろうという場違いさ。

 だが、そうした奇妙さとは一線を画すように深層心理が近づくなと警告を発してくる。同種とは言えないが、その本能が感じる警戒感は垣淵になんとなく『特異種』を想起させた。


 恐怖感というのが正しいのか。やはり嫌悪感と言うべきなのだろうか。ただ、近づきたくないという無意識の警告が頭の中で鳴り響く。


 その場で立ちすくんでいた垣淵は、堂垂に促されて少し距離を取った状態でゆっくりと後に付いて行った。


                   ◆


「おいおい、生きたままの『ビースト』が捕まえてあるのかよ!? アメリカですら死体しか確保していないと聞いているのに」

「見たとおりじゃ。その上で、彼女は元自衛官。名前は杉村唯。今はあんな姿に成り果ててしまったがな」

「杉村? えっと、確か以前会ったことがある。えっ、彼女が!?」

「ほう、彼女を知っておるのか?」


 垣淵の動揺を直ぐに少女姿の老人が見付けて問いかけた。


「ああ、ロイスのところで一度会ったことがある。なんか、信者みたいになっていたが。だが、ロイスは元気にしていると言っていたのに…」

「まあ、元気と言えば元気じゃな。あのように、人間ではなくなってしまったが」


 巨大な部屋に閉じこめられ、何とかして脱出しようとジャンプし、壁を叩き、逃亡を試み続けている獣人を上部の部屋からガラス越しに見ている4人。『ビースト』が閉じこめられている部屋の大きさはおおよそ一辺が10mの立方体。内部には突起などがない様にされ、床はコンクリートに塗装、壁は金属板であろうか。かなり強固なものの様にも見える。

 その中にいる彼女は服も着ておらず、むき出しの体にはびっしりと黒い体毛が生えており、とてもではないが元の人間の姿を想像することは出来ない。その姿を見ていると、かつての顔を思い出せなくなる様な気すらしてくる。


「で、彼女。元には戻せないのか?」

「DNAからして変質しておる。難しいじゃろうな。少なくとも現時点ではまったく方法がない。つまり、不可能じゃ」

「ひどいことを。だが、あれがロイスの言う人類の進化なのか?」


 垣淵の言葉を受け、少女は少し考え込む姿を見せる。その背後に立つ異様な男は、特に興味なさげに立っていた。


「進化の定義は難しい。じゃが、わしからすれば進化とは言えぬのぅ」


「あんな姿になることを、少なくとも彼女が望んだはずもない。ロイスの奴!」

「今は、心は閉ざしておく方がよい。怒りも恨みも。今始まろうとしているのは、おそらく種の存続を賭けた戦いじゃ。奴らの論理や価値観はわしらとは異なる。いちいち腹を立てていても何も始まらぬわ」


 少女が話す内容とは思えない説得力ある言葉。思わず垣淵は頷いてしまった。だが、そこに畳み掛ける様に幼い老人が言葉を続ける。


「一週間ほど前、京都の園部。知っておるか?」

「京都? わからないな? だが、園部という地名なら、行ったことはないが場所くらいなら知ってる」

「そこにある古い里が『特異種』に襲われた。まあ、襲われたというのは性格ではないのぅ。正しくは、里の一部の者の手引きにより『特異種』B、すなわちロイスと名乗る男に侵入され、そして複数名の里の民を奪って逃げられた」


 少女姿の落ち着き払った言葉を聞き、垣淵は意を決した様に話し始める。


「おそらくだが、その件に俺は関与している」

「ほう」


「その里の人間かどうかをその時は知らなかったが、『特異種』と接触したいと言う人に会った。いかにも田舎って風の服装に、古風な物言いだったから、良く覚えている」

「なぜ会いたいと言っていた?」

「『自分をもっと高めるために、絶対に会わなくてはいけない』。。。って言っていたな」


「で、紹介した訳じゃな」

「ああ、その時は『特異種』ってのが一体何なのかも十分理解出来ていなかったし、人類の進化というものを俺も知りたかったって事もあった。まあ、今でも分からないことだらけだが。それに、つい先ほど俺はロイスに会って、勧誘したという話を聞いたばかりだ」


「心配するでない。お主の責を問うつもりはない。どのみち、お主が紹介せずとも時間の差こそあれどたどり着いていたじゃろうからな」


 閉鎖された空間では、未だに元女性自衛官であった存在が何とか外に出ようと悪戦苦闘している。人がこんな空間に隔離されていれば、冷めた視線の垣淵でさえ可哀想という感情を抱くだろうに、この野獣の姿を見るとそう言った感情がわき上がってこない。

 垣淵たちが見下ろしている部屋から、その隔離された密室空間は約5mほど床が低い。しかし、こんな部屋が用意されていると言うことは、相当前からこの問題は認識され、対策が検討されていたと言うことにもなる。


「あ、ま、何にしても、とりあえずはここで俺を責めないでくれることには、”ありがとう”と返しておく。ところで、この施設。いったい何のために造られたモノなんだ?」

「ああ、これか。本来は最悪の感染症対策のためのものじゃな。わしが造らせた」


「澄田グループの援助って事か?」

「グループの会社とは別じゃがな。わかっておると思うが、政府も噛んでおる」

「そりゃ、国立の研究所だからな…。だが、ただ、あんたがわざわざそれを言うって事を考えると、表向きの政府の話ではないのか?」


「政府に表も裏もないが、細目に出てこない予算執行はあってのぅ」

「裏金か」

「それも必要悪じゃな。お主も知らぬ話ではあるまい」

「あああ。こんなことでもなけりゃ、大スクープかも知れないんだが。それでもこんな方法でも使わなきゃ、本格的な対策がいつ打てるか分からないってことか。民主主義のつらいところだな」

「それを食い物にしておるジャーナリストが言うか?」

「お互い様だろう」

「まあ、そうかもしれんな」


 幼女とジャーナリスト、二人が目を見合わせてにやりと笑う。


「で、俺に見せたかったのはこれなのか?」

「いや、他にもある。ここから先が、本当の意味での秘密でかつ問題じゃ」

「それも当然見せてくれるんだよな」

「もちろんじゃ。それでなくては始まらんわ」


 そう会話して場所を変えるために振り返ろうとした瞬間、監視用の強化ガラスに大きな音がした。野獣が5m以上も飛び上がってガラスに体当たりしてきたのである。もちろんガラスはびくともしなかったが、垣淵は野獣の身体能力の上昇には驚かされた。


「凄いな。『ビースト』の身体能力って」

「まだ正確ではないが、人の約5~10倍の筋力を誇っておる。素早さも2~3倍じゃろうな。陸上競技大会に出れば、どんな競技も総なめじゃろうて」

「で、こいつらの知性は?」

「無い訳ではない。言葉は理解している様に見える。じゃが、言葉を話したりはしない。すなわち会話をしておらぬ」


 幼女は、少し寂しそうに俯く。儚い感じの姿は、いつの間にか夢の世界に消え入りそうな感じを垣淵に抱かせるほど。この、ファンタジーというか非現実的というか、非日常的な空間にはよく似合っている。


「やっぱり、俺もこれを進化と言いたくはないって感じだな」

「わしからすれば、『ビースト』は『特異種』になれなかった人間の成れの果てじゃな。それでも、毒や細菌に対する抵抗力も、人間よりは相当に高い。じゃが、それでも進化の代償として取り残される存在じゃろう。『特異種』には成れぬ」


「俺もその考え方には同意するよ。これを人類の進化系とは言いたくない。世界が汚染でどうしようもなくなれば、そうなる可能性はあると思うけど」


「さて、では部屋を変えるぞ」


 続いて案内された部屋は、直ぐに近くのいかにも研究室と言った場所。特に細菌等を扱う様な感じではない様に垣淵には思えた。ただ、部屋の真ん中に大きなガラス製の装置とモニタ。いかにもSF映画に出てきそうな雰囲気のものである。


「この装置はまだ開発中じゃが、人の魂を検知し、それを拘束出来る優れものじゃ」

「魂?」

「うむ。『特異種』は人間と何が違うとお主は思う?」


「存在感。それは間違いないが、『ビースト』の変化を見ると身体能力も相当高いし、抵抗力もそうなんだろうな」

「うむ。結果としては確かにそうじゃ。じゃが、それは根本的な理由ではない。原因と結果が逆転しておる。魂の質が、両者では格段に異なっておることが最大の理由じゃ」

「魂の質? そもそも魂の存在を俺は信じていないんだが」


「この不信心ものめ! じゃが、今後は信じてもらう他ないな。これからの話はそれが前提となるからのぅ」

「魂ね。この科学万能主義の現代でかつ、この最新鋭の研究施設において、全くそぐわない怪しげな話だな」


「で、この装置は魂の存在を不鮮明ではあるが確認できる」

「そう言えば昔、オーラとかいうのが社会現象として流行ったことがあるな」

「似た様なものじゃろうな。じゃが、普通は魂など見えはせぬ。そもそも、魂は我々の住む世界と位相の異なるに存在しておるからな」

「位相の違う? 異世界みたいなものか?」

「まあ、お前の理解しやすい様に考えればよい。同じ時間、同じ場所にはあるが、決して触れることが出来ない存在と思うがよいわ」


「なんかよく分からんが、魂ってものがあることを前提にするって話は理解した」

「うむ。で、その装置により人間と『ビースト』の魂を計測してみたところ、その密度が明らかに異なることが分かった」

「魂の密度? 悪いが、俺にはそれを感覚的に理解することはできなさそうだ」


「そして、『ビースト』の運動能力の高さや抵抗力の強さは、その魂の密度の高さ、言い換えれば魂の強さにより影響を受ける、と考えておる」

「魂が強くなれば、人間は強くなれるということか。じゃあ、『特異種』ってのがその存在であると言うことなんだな」

「うむ。間違いないじゃろうて。その上で、明確な説明が難しいのじゃが、『ビースト』の魂には何かが寄生しており強度が上がっておる」


「寄生? 細菌か、病原体? ってことは、さすがにないな。体じゃないんだから」

「じゃが、概念的には似た様なものじゃろう。魂に寄生するウイルスの様な存在があり、それに罹患すると『ビースト』になってしまう」

「だから、感染症研究所ということか」

「そうじゃ。もちろん、これまでの概念や常識などは全く使えない状況じゃがな」


「じゃあ、『特異種』ってのは?」

「寄生には留まらず、ウイルスと魂が融合した状態」

「おいおい、そんなのに対して、どうすればいいってんだ?」


「それを考えるのも、お主の仕事の内じゃ」

「考えるって…。で、感染条件は?」

「おそらくは、『特異種』との長期間における接触、あるいは『特異種』による何らかの施術じゃと、想定しておる」


「化け物同士の戦いが繰り広げられようかという状況で、しかもその化け物と接触すれば自分も化け物の仲間入りするかもしれない。こりゃ、情報が広がればパニックだな」

「もはや、情報が徐々に漏洩し始めておる。お主も感じておろうに。その、パニックの発生を止めるのがお主達に課せられた最大のタスクじゃ。日本を、止めようのない混乱に陥れる訳にはいかぬ。わかっておろう」

「もちろん、理解しているさ。頭の中でだけはな。だが、まだ感情がそれを受け止められない、って感じか」

「まあよい。じゃが念のため、お主もこの装置で検査するぞ」

「えっ?」

「当たり前じゃろうに。『特異種』と接触したのはお主であろう」

「ホントに検査するの? 俺が?」

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転生師 桂慈朗 @kei_jirou

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