第21話 因縁

「で、じゃあそろそろ俺をこの場所、感染症研究所に連れてきた理由は何なのか、教えてもらっていいか?」

「ええ、それも今日の大きなテーマの一つです。その上で、垣淵さんにはもう二人ほどお会いしていただきたい方がいます」

「会う? 一体誰と?」


 堂垂はもったいぶった様に書き斑に向かって話してくる。だが、どうも鼻につく言い方だ。この男は、その言い回しなどで随分損をしているのではないか。ふと、垣淵はそう思った。

 軍服の方がおそらくスーツ姿よりもずいぶんと似合うだろうし、その姿なら気にならない口調なのだろうが。


「一人は良くご存知の方ですよ」

「いい意味で知っているのならいいが、何か嫌な予感がする」

「いいかどうかは私には判断しかねますが、この国において重要な方に違いありません」


 含み笑いにも取れるが、何かを隠している表情にも見える。短い時間の会話ではあるが、垣淵には作為的に固められた堂垂の表情の変化が徐々に読み取れるようになってきたようだ。このあたりの観察眼も、垣淵を一目置かせるジャーナリストとならしめている理由である。


「では、もう一人は?」

「そちらは、お会いいただいてから判断して下さい。こちらは、私が説明してご理解いただけるかどうか」

「おいおい、変な奴じゃないだろうな」

「変といえば変ですが、大変可愛らしい方でして」

「なんだそれは? まあいい。会えばいいんだな」

「ええ、では場所を変えます。早速ですが、私に付いてきて下さい」


 どうせ直ぐに会えるのだから、今それを問いつめても大した意味はない。そう考えながら、堂垂のあとに付いて別館の庁舎の廊下を少し歩く。先ほどいた1階から厳重に封印でもする様な厚い扉を超えて、階段を下りるとそこは地下階。その先には、研究室のような実験室の様な部屋のある区画に近づいてきた。

 感染症研究所で、厳重に管理された区画。外観の見た目の古さとは全く反した、最新鋭の部屋と装置群。まるで未来の研究所を見る様な感じ。相当の金がつぎ込まれているのが分かる。


「この先です。ここはバイオセーフティーレベルBSL4、日本で最高レベルの防疫体制を備えたところです」

「やばい病気、感染症か、が関係しているということなのか?」

「そうとも言えますが、そうでないとも言えます。ただ、間違いなく一般人が入り込むのは難しい場所ではありますな」


 緊張感に身を包みながら、いくつかの認証付きの自動扉をくぐり抜ける。途中でエアカーテンによる洗浄を受け、さらに奥に進んだ。服装も清浄なものに着替えさせられた。いずれも認証は堂垂のカードに反応して、問題なく扉が開いていく。


「さすがに、厳重だな」

「当然でしょう。そのための施設ですですから」

「そりゃそうだな。聞いた俺が悪いか」


 周囲には、多くの実験装置が配置され、最先端の研究が行われているのが分かる。数名の研究員達が急がしそうに動き回っている。安全キャビネット等が用いられ、よく分からないが安全対策のためと思われる機器も目に入る。


「到着しました」


 案内されて最後に入った部屋は、実験室内に併設されたミーティングルームの様な狭い場所。そこに座っている白衣に身を包んだ人物は明らかに研究者ではない。

 垣淵もよく知っている顔。政府の顔であり、広報を一手に引き受けている重鎮であり、そして陰の総理とまで呼ばれている政治家、御道武英みどうたけふさ》。テレビでもおなじみの、小柄だがふてぶてしい表情。そして、垣淵からすれば決して許せない男。


「なんだこいつは! なぜこいつが!?」


 予想外の相手に、感情が高ぶる垣淵。だが、そんな垣淵を虫けらでも見る様な視線で眺めている老人。年齢はおそらく70代後半。だが、とてもそうとは思えないほどの体の張りと、矍鑠とした語り。そして、何より鋭い眼光。


「いきなりだな。私に向かってそういう口を利く奴はほとんどいなくなったはずだが。まあ、いい。こいつがその垣淵というライターか? 堂垂」

「はい、『特異種』Bとのつながりを持ちながら、魅了されていないジャーナリストです」


 堂垂の返答を聞き、思わず表情を渋井ものに変える御道。その存在に、あまりよい印象を持っていないのは明らかであった。


「ジャーナリストなあ。そういった言葉を使うのは自由だが、中身が伴っているのかどうか。日々、そういった輩と無駄な時間を過ごしているだけに、気持ちの良いものではないな」

「これまでの調査結果からいえば、間違いなく優秀だと判断出来ます」

「幕僚本部に尻尾を捕まれるレベルでか?」

「そのあたりは、私たちの能力を信じていただくしかありませんが」

「まあいい。そのような掛け合いに興じることが許されるような場合でもないしな。で、そこの垣淵とか言ったか、お前、日本のために命をかけることはできるか?」


 その露骨な態度に、垣淵の心証は最大限の悪さから更に冷え込む。相手が大物政治家であるかどうかなどによる緊張感など、もはや全くない。何にしろ、この男は垣淵にとって昔から叩き落としたい、政治家として活動できないようにしてやりたい最大の相手なのだ。


「あんた、俺のことに気付かないのか?」

「ん? どこかで会っていたかな。記憶には自信があったんだが、悪いな」

「なるほど、そう言うことか。あんたにとってはその程度のことだったんだな」


 その老人は、顎に手を当てて少し考え込む。少なくともポーズではなく、真面目に思案している要素である。だが、その個人的な探索も無駄だった様だ。諦めた様な顔で再び話した。


「垣淵、かきぶち、うむ。やはり記憶にないな」


 その言葉に、垣淵の感情を押さえつけていた理性が一気に崩れ落ちる。本当は、こんな形で自己紹介するつもりはなかった。御道のスキャンダルを裏で集めて、逃げられない様にして最後まで追いつめてやるつもりだったのだ。ガードが堅いため、そこにまでは至らなかったが、誰とも深く関わらなかったのは、それを実行すると心に誓っていたためでもあった。


「ならば、加門重三。その名前には聞き覚えがあるだろう!」


 だが、感情の迸りを抑えることは出来なかった様だ。その名前を聞いて御道は一瞬目を細める。


「ほう、随分懐かしい名だ。そうか、なるほど、加門には一人息子がいたはず。だとすれば、お前は加門の息子か。なるほど、母方の性が垣淵だったか。それは気付かずすまなかった」


「おい、それだけか?」

「それ以上でもそれ以下でもない。加門君のことは不幸な事件だったが」

「あれが事件だって?」


 垣淵の父親も政治家だった。しかも御道と同じ与党の中堅。真面目で融通の利かないところはあるものの、下手な政治家などと比べるとずっと日本という国と家族を愛していた。


「堂垂、このことも調査済みか?」

「いえ、そこまでは出来ておりませんでした。申し訳ございません、官房長官閣下」

「情報収集に漏れがあると。組織拡充が必要だな」

「嬉しいお言葉ですが、国会対策を考えると表向きには難しいかと」

「今はそんなことを言っている場合ではない!」

「はっ」


 そして、垣淵の父が自殺したのは高校生の時。その当時は、自殺の理由も何も分からなかったが、メディアから遺族であった垣淵たちに総バッシングを受けた経験は、今でもはっきりと覚えている。そのせいで母親も体調を崩し、今でも実家で籠もったまま。精神に刻み込まれた不安定さは10数年たった今でも残っている。

 姉も婚約相手から破棄を突きつけられ、そのご結婚はしたものの今でも会うたびに垣淵に恨み節。垣淵の名字が異なるのは母の実家に引き取られたから。


 そして、父の自殺の裏で暗躍していたのがこの御道であることをようやく掴んだのは、垣淵が新聞社に勤めてからのことであった。しかも、メディアは完全に尻尾を振っている状態。


「それで、加門の息子。お前がどんな自分勝手な恨みを抱いているかは知らないが、恨みについては私は甘んじて受け取る。私は既に数え切れないほどの恨みを買っているからな。だが、今はそれとこれを切り離せ。その程度の分別が付く齢にはなっているだろう!」


 『どこのどいつがそれをほざく!』、そう声を上げて、殴りかかりそうになった瞬間、堂垂から発せられる圧力が一気にふくれあがった。そう、こいつは垣淵に対するお目付役でもある。

 一瞬の沈黙の後、冷静になり考え直す。ここで殴ることは出来るかも知れない。だが、それで垣淵の気持ちが晴れるのか? 否。心の平穏が戻るのか?否。そんな程度で許せるものではない。だが、今ここでつながりが出来た。とすれば、こいつを叩き落とすための情報や材料を入手出来る最大のチャンスなのだ。


「ああ、確かに今の日本がどういう状況におかれているかは、俺にも何となく分かっている。あんたへの恨みは決して忘れるつもりはないが、少なくとも今だけは話は聞いてやる」

「ふん、一丁前に言いよる。だが残念ながら、そんな不甲斐ないお前にでも頼らなければならぬ状況だ」

「へっぽこな俺が呼び出されるんだから、ご立派な政府もとんだ人材不足だな!」

「それは認めよう。ここに至っても事態を正しく認識できんクズばかりで話にもならんわ。状況の深刻さを理解しているだけでも、お前の方が随分マシだ」


 垣淵にも縋るというのだから、それが御道の一つの弱みであるだろう。まずはそれを調べる。

 確かに日本という国の危機であることは理解した。だが、個人的恨みをさっぱり忘れられる訳じゃない。並行して事を進め、腹の中から食い破る。そう決意して、垣淵は頭を切り換えた。ならば、今は情報を集めるだけなのだ。


「で、俺を呼び出した理由は何だ?」

「情報公開の方策を担当してもらう」

「情報公開? 俺が?」


 記者としての情報収集能力や、匂いをかぎつける勘については自信がない訳じゃない。だが、それをコントロールすることなどこれまでしたことはないし、出来る様な立場を経験したこともない。この人選はいくらなんでも奇妙だ。垣淵はそう考えたが、その疑念の思考を一時保留した。


「既に、メディアにも噂話としてこの件の情報が漏れているのは知っているだろう」

「ああ、まだ真実とはほど遠いレベルの戯言ならな」

「ふん。メディアというものは、たとえ真実を知っておってもその通り報じる訳じゃない。それは、お前も十分知っているのだろう?」


 確かに、メディアには『報道しない自由』がある。それを駆使すれば世論の誘導を図ることももちろん可能だ。さすがにネットの広がりによって全くのデマを世論にすることは容易ではなくなったが、それでも国民の感情に火を付ける方法は今でも有効な煽動手法として存在する。


「そんなことは常識だが、だからと言ってこんな機密事項が真っ直ぐ広がっているというのはさすがに考えすぎじゃないのか」

「まだ、常識にとらわれすぎているようだな。この情報を広げようとしているのは、むしろ『特異種』の方だ」


 確かに、既存メディアの流す情報は基本的に反政府的なものの方が多くなっている。権力の監視と言えば聞こえはよいが、そのための反日的な国家からの情報を垂れ流している新聞社があることは、垣淵も自身の経験で理解している。


 今回も、その相手が『特異種』という化け物に変わっただけ。自分たちは大丈夫だという根拠のない自信が背景にある愚かな行為だと垣淵は思う。どうして自分だけが『無事』でいられるというのだろうか。そう考えたが、『特異種』側の目的が垣淵には分からない。自分たちの勢力がそれだけ大きくなっているという自信だろうか。


「おいおい、自分たちの存在を明らかにすれば、不利なのは数に劣るあいつらじゃないのか? いくら人間の方が個体では圧倒的に弱いとしても、数は力のは歴史が証明してるはずだよな。それに極論だが、核などの巨大兵器を使われれば、いくら何でも生き残れないだろうに」


「そのとおり。要するに、理由までは分からん。だが、その兆候は既に出ている。その上で、私たちが守らなければならないものはこうしたリスクに対して非常に脆弱だ。コントロール出来なければ、パニックが起きてもおかしくない」


 社会的な混乱が生じることは、為政者としては考えるべきものであろう。それは自らの権力基盤そのものなのだから。安定という蜜を国民に与え、そこから最大の利益を享受しているのが、彼『御道武英』なのだから。だが、混乱を生じさせるのは垣淵としても本意ではない。


「パニックの可能性はあるかも、いやおそらくそうなるだろう。報道されてきた震災直後の冷静な動きとは異なる。いくら日本人でも、自己の生命の危機がいつまでも続くとなればパニックは避けられない。化け物達の戦争が日本を舞台に始まるなんて聞かされたら、俺でも逃げ出したいからな」

「おい、堂垂。本当にこいつで大丈夫なのか?」

「私が知る限りにおいて、彼以上の人材は居ません」


 堂垂は簡潔にのみ話す。それが御道と堂垂の関係を見事に表している。だが、まだ垣淵には、それが立場としての振る舞いなのか、それとも人格を認めてのそれなのかはわからないでいた。


「お褒めの言葉、ありがとさん。だが、俺はあくまでライターだ。情報操作の専門家じゃないぞ」

「お前一人でやれとは言わん。お前以外にも専門家を用意する。だが、真実に近づいたものでなければ、この件を任せる訳にはいかん」

「まあ、生半可な奴じゃ対応出来ないか」

「ほう、安い自信がある様だな」

「別に、あんたに認めてもらう必要はないさ」


 精一杯の皮肉ではあるが、大きな作戦の中に垣淵は埋め込まれていく様だ、独り狼を気取っていた身分からすると、正直やっていける自信はないのだが、それを決めたのは相手側なのだから、せいぜい情報収集に勤しませてもらおうと考える。


「ここに来たからには、もう引き返せないぞ」

「このヤマを見付けた時から、引き返すつもりは更々無いね」

「いいだろう。なら、今日本政府が知る状況の全てをここで知るがいい。もちろん、知ったからには逃亡は絶対に許容しない」

「最初から逃がすつもりなんて無いくせに」


 御道という特別要素は確かにあり、それをスルー出来るほど小さな因縁ではないが、同時にこの事件は自分から首を突っ込み見付けたものでもある。今更、後に引く気は全くない。垣淵のジャーナリストとしての性分と矜持がそれを許さない。


「堂垂。こいつをおきなのところに案内しろ」

「了解しました」


「しかし、官房長官ってのも暇なんだな。俺とこんな話をするためだけに、わざわざ辺鄙な場所まで出向くとは」

「なに、私の身代わりはいるからな。その辺は自由も利くさ」

「おい、じゃあ、あのマスコミ対応しているのは?」

「私のこともあるが、そうじゃないこともある。3:7くらいかな? 差がわからんだろ?」

「とんだ狸じじいだな!」

「私以上の狸が別にいるが。まあ、良いだろう。とっとと行け」


 そう促され、堂垂れ垣淵はその狭い部屋を出る。後に残された御道は、独りで渋い表情を浮かべていた。

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