第20話 交渉

「あなたとは、出来る限り友好的な関係を築きたいと思っているんですよ」


 連れてこられた場所は、立川の外れにある感染症予防研究所村山支所。確か、ワクチンの開発をしているところと聞いているが、獣人は新宿の戸山庁舎に収容されているので、この施設は関係ないと垣淵は考えていた。

 だが、その睨みは違っていたようだ。更には、ここに防衛省関係の人員が配置されている。何からの秘密研究がなされていると考えるべきだろう。厳重なボディチェックを経て本体の庁舎から少し離れた場所に建つ、古びた別館の一室に通され今を迎えている。


「友好的、か…」

「既に知っていると思いますが、我々は現在『特異種』という存在の幅広い情報を集めています。そこに丁度、あなたという適材が見つかったという訳です」

「適材ねぇ…」


 垣淵の前には、標準的な身長およそ175cm程度のスーツ姿の軍人が座っている。自己紹介によると階級は二尉ということだが、正規の隊員と言うよりは諜報畑の人間のように見える。それでもスーツ下に隠しきれない肉体は、相応の訓練をしてきた結果を示している。


「あたなには選択肢があります。一つは私達の提案を拒否し、法令違反により警察に拘束される道。そしてもう一つは、言わなくてもわかっていると思いますが」

「あんたたちの犬になれってか?」


 スーツ姿の軍人。堂垂二尉は、非常に丁寧で優しそうな語り口だが、その背後にちらちらと見える獰猛な野獣のような実体を十分には隠しきれていない。更に言えば、心のこもった話方をしているように見えても、その内実、本当にそう考えているのかと疑わせるような冷酷さも匂ってくる。

 少なくとも、普通の軍人と言う訳ではなさそうだ。特殊部隊かも知れないと垣淵は考える。


「犬とは心外な呼び方ですね。あくまで協力者ですよ、少々親密な。情報提供に対して、相応の報酬を出す。基本的にあなたの活動を制限するつもりはありません。が、さすがに国家機密に触れる内容もある為、情報公表時には相談願うことになります。私はギブアンドテイクを心掛けたいと思っているんですよ。この世界では常識でしょう?」

「あんたが、どこの世界の話をしているかは知らないが、これは脅迫と考えていいんですかね」


 いつの間にか、相手のペースにはめ込まれているような気がしたため流れを変えるために、少し探りを入れてみた。それに、自分の情報をどれだけ知っているかを確認する意味もある。


「奇異な事を仰る。あくまで協力依頼なんですよ。あなたが、感染症研究所の戸山庁舎に侵入を試みて逃亡したことや、澄田バイオの機密情報を盗み出したことを除けば、ですがね」

「全く見事なウィンウィンの選択肢だな。まあ、俺に関する情報はとっくに押さえているってことでしょうが」

「そうですね。田中君でしたっけ? あなたの大学時代の同級生で情報源の一人でもある。そして、その奥さんは…」


 既に、徹底的に調べ上げられていると考えた方がよさそうであった。垣淵の両親のことや考えていることまで知っているかは不明だが、少なくとも大学時代程度からの経歴は調べ上げられているらしい。ここは、素直に従っておいた方が良さそうだと理解する。


「わかった、わかった! わかりました! で、俺は何を協力すればいいんだ? 多少はこの件に首を突っ込みはしたけど、正直あんたらの方が俺なんかよりずっと情報持ってるだろうに」


「お互いに持つ情報を提供して、不足する情報を補う。これもウィンウィンの関係だと思うのですが」

「まったく、あんたの言うことはその通り、正論だ。俺の負けだ。強引さがかなりトッピングされてるが。堂垂二尉…」

「よく言われるですよ。お前はせっかちで欲張りだと。ですがね、私は自分なりに精一杯誠意は尽くしているつもりなんですがね。それをどうも理解していただけない方が多い。困ったもんです。垣淵さん。あなたの場合は、これまでの活動も国家保安上の理由で逮捕されていてもおかしくないんですからね」


 いくら優しく言ったとしても、恫喝は恫喝である。だが、ヤクザの持ち出す誠意と何も変わらないそれは、表面的な部分での俺を少しは拘束してくる。ただ、こういうこともあるかと深い人間関係を最小に絞ってきた垣淵である。

 田中の件も、それほど大きな問題にはならない。無理矢理、でっち上げられでもしなければという前提付きではあるが。


「まったく、お優しいことで。涙が尻から溢れそうですわ」


「喜んでもらえた様で何よりです。さて、これであなたと私たちはチームになりました。チームですから、なるべき隠し事は無しにお願いしますね。さて、ここからが本題ですが、あの『特異種』を京都の里に送り込んだのはあなたですか?」


「チームねぇ。でも、送り込む? 里の、村人? が俺に近づいてきて、紹介しただけだが」

「1週間前に里が『特異種』に襲撃されました」

「まじか…。で、その里って場所の被害は?」

「死傷者はほとんどいませんが、9名が拉致されました」


 一月ほど前に垣淵に接触してきた女性は、『特異種』にどうしても会いたいというものだった。だが、当時はロイスとも接触できていなかった時期。垣淵がこの件に迫っているのをどこからともなく聞きつけて来たらしい。

 その後すぐにロイスとの接触が叶い、一度一緒に連れて行ったのだが、その後は良く知らない。ただ、ロイスの取り巻きとしてその時対応をしてきたのが、元自衛官である女性二人。そういえば、他も取り巻きも男性よりは女性が多かった気がする。新人類のフェロモンでもあるのかもしれない。


「拉致? 俺が知っている情報とは少し違うな」

「へー。どこが違うんでしょう?」

「ロイス。そう、あんたらの言う『特異種』が言うには、新人類に生まれ変わるための希望者を募りに行ったのだと」

「ほう、そういう話になっているんですね」

「じゃあ、強引に拉致したと…」


「いや、拉致とは必ずしも言えないかもしれません。何せ内通者が複数いた様なので。つまり、里で『特異種』に魅入られた人たちが連れて行ったのだとすればですが」


 ロイスが人を集めているのは知っている。そのために、堂垂が言う里という場所が狙われたということか。良く見ると、堂垂二尉の表情に若干の怒りの様なものが浮かび上がっている。普通では気付けないような僅かな変化ではあるが、作り笑顔から漏れた故に垣淵には分かりやすかった。


「なるほど。あのカリスマ性なら考えられなくもないか」

「カリスマ性、なるほど。あなたの言わんとしていることは何となくですが、想像がつきますね」

「そうだ。あれは人の所作、存在感とは思えない」

「確かに、『特異種』が人間でないとすれば、それも考えられるでしょうね。垣淵さん」


 考えてみれば、宗教のシンボルとなったような偉人に関する肖像画には、多くの場合において後光が描かれている。キリストも、ブッダも、他にも探せばあるだろう。それはオーラとも呼ばれたりするが、垣淵からすれば存在感そのものが人間と違う。その空気感の様なものを描こうとすると、あのようにならざるをえなかったのではないかと思うのだ。


「ああ。自分のことながら、ロイスに近づいてよく信者にならなかったと思ってる。周りに集まっている人間は、男も女も皆、魔法にでもかかったような眼をしていたからな」

「魅了というべきなんでしょうか?」

「ああ、心を奪われている感じだった。良くも悪くも、彼らはそういうオーラを出している。今思い出しても、気持ちのいいもんじゃない」


 だが、それが人類の進化と関わっているとすれば、もう何千年も前から人類は進化のためのチャレンジをしてきたということであり、そして成功しなかったということでもある。その残滓が、世界的な宗教として今も残ってはいるが。

 だとすれば、今回も同じようになるかもしれない。もちろん、歴史を紐解けば多くは当時の権力者たちが弾圧している訳だが。


「私達が『特異種』の情報を集めていることについては、既に理解してくれていただいていると思うのですが、あなたの持っている情報をできれば詳細にいただきたい」

「ふん。ギブアンドテイクと言うくらいなんだから、あんたたち自衛隊の保持している情報も当然貰えると考えていていいんだよな」

「ええ。国家的な危機管理事案故に、発表時期について調整させていただく前提は付くことを理解していただければですが。あと、私達との関係も他言無用に願います」


「誰彼と話せるような話じゃないのはわかってるつもりだが、あえて聞く理由は?」

「私達、自衛隊の中でも、『特異種』と通じている可能性があるのです」


 再び、堂垂の表情に若干の調和の崩れが出た。つまり、あの女性隊員は自衛隊から抜けてロイスに付いたということ。そこからの情報漏えいや、勧誘をなるべく防ぎたいだろう。さらに、垣淵の存在がそのルートにより発覚すれば、良くない状況に陥るのは考えるまでもない。


「敵さんのスパイか。まあ、俺も似たようなもんにされる訳だが」

「『特異種』が使う魅了の力は強い。まだ、事例が少ないので確定的なことは言えませんが。少なくともわかっている事例では、所属していた集団や組織を易々と裏切るほどに。あなたに声をかけたのは、その傾向が無いことが最大の理由なんですよ」


 確かに、崇拝と言うか心酔と言うか、単純な信者を超えた在り様を奇異には感じた。あれは、神に仕えている神官か巫女の様な雰囲気だったようにも思う。狂信的なという言葉が適当かどうかはわからないが、生きていく上での第一優先が自分ではなくロイスに捧げられている感じなのだ。


「俺もいつ、その『特異種』という奴らの魅力にやられてしまうかわからないと思うがな」

「そう。そこで質問です。なぜ彼、ロイス、『特異種』はあなたを選んだのだと思いますか?」


 それは垣淵自身も疑問に思っていたこと。あまりに自然に、垣淵はロイスに接触できた。まるで惹き入れられるように、あるいは意図で操作されたように。自分が既に魅了により操作されているとは考えたくはないが、その疑念も完全には断ち切れない。


「皆目見当がつかねぇ、ってのが正直なところだけど。強いて考えるなら、何かを発信したいと考えている。しかも、魅了されていない状況で」


 あえて『魅了されていない』と言ったのは、それを堂垂の目で見てもらうため。俺の行動がおかしくないかを確かめるため。その意図を汲んだのか、堂垂が返す。


「あなたは魅了されていませんよ。少なくとも今までの調査からはその傾向はみて取れない」

「ああ、ありがとう」

「でも、彼らの一部は既に日本社会の中に浸透を始めていると我々は認識しています。つまり、何らかの宣伝や扇動をするだけなら魅了した人間、あるいは人ではなくなった存在を使うことが可能。なのに、少なくとも垣淵さん、あなたに近づいてきた『特異種』はそうしていない」


「俺以外にも手を伸ばして、両面で動いているかもしれないぞ」

「それもあるかもしれないですね。が、少なくとも君に何らかの使い道があると私達は見ている」


「あ~ぁ。スパイだけじゃなく、モルモット決定かよ」


 大きく腕を上げながら、伸びをするように垣淵はやれやれと言葉を吐き出す。だが、これはリラックスするための行動。決して、逃げようとしてのものではない。だが、そう捉えたのか、堂垂はフォローするように話しかけてくる。


「まあ、そう嘆かないでください。考え方を変えれば、国に保証された独占スクープのチャンスを得たとも考えられませんか。その上で、私達との協力によりあなたが得るメリットも少なくない」

「国の雇われなど御免だ! と、ずっと思ってたんだがあ。だが、このヤマは確かに面白い。なんなら命をかけてもいいと思うくらいにはな」


 一瞬、二人の視線が合った。だが、垣淵に男と見つめ合う趣味が無いのは間違いない。


「あなたなら、最後には必ずそう言ってくれると信じていましたよ」

「おいおい、気安いじゃないか。今は組んだとしても、俺がいつ裏切るかはわからないんだぜ」

「そうならないように、私達としても誠意を尽くすつもりです。ウィンウィンの関係が維持できるように」


「なら、今度は俺が教えてもらいたいんだが。『特異種』ってのは一体何人? こういう数え方でいいのか? まあいいや。どのくらいいるんだ?」

「世界各国からの情報を総合すると、少なくとも10人以上がいるのは間違いなさそうですね。20人という情報もあります」

「おいおい、あんなのが20人もいるってか? 下手すりゃ、ゴジラや怪獣、考え方によっては救世主みたいな存在にもなるかもしれない様な奴らだぞ。で、そいつらは皆、つるんでいるのか?」


「まだ、未確認情報に過ぎませんが、連携はしてない様です。むしろ、お互いに敵対関係にあるかもしれません」

「おいおい、それじゃあ、化け物同士の世紀末戦争みたいなものになるのか!?」

「今は、既に世紀末を過ぎているので、言葉としては適当ではありませんが」

「言葉なんてどうでもいい! 奴ら同士の戦争が始まるのか、って意味だ!」


 垣淵は机をどんと叩く。だが、この反応は予測済みだったのだろう。堂垂は意に介さずに話を続けた。


「それはまだわかっていません。ただ、彼らはその戦いの勝者、その証の様なものを求めていると考えています」

「証?」


「『宝玉』と呼ばれるもの」

「何だそれは?」

「すみません。それが何なのかは機密なのでお話できませんが、それが日本にあるのは間違いありません」


 『宝玉』というものが何なのかは想像できなかったが、それを自衛隊、あるいは国が押さえているのだろう。それを巡ってキリストとブッダが戦う。そんなイメージを想像しようとしたが、ギャグのようになって良い映像を思い浮かべることもできない。そこで、古い映画の『大魔神』というものを思い出した。実際には、『特異種』はそんなに大きくないが。


「つまり、化け物同士の戦いがあるとすれば、それが日本で起こると…」

「ええ、既にかなりの数の『特異種』が日本に来ているという情報があります」


 ロイスが人を集めているのもそのためなのだろう。勢力を拡大して、人間を部下にして戦う。魅了された人たちは、ひょっとすると戦いの中で逃げ惑う多くの国民を人とも思わず蹂躙する。


「非常事態。だから、俺まで動員されるということか」

「別にそうでなくとも、あなたにはお声掛けをしていたでしょう」

「世事なんていらん。で、この事態に対応できるのか? 国は」

「今回の有意義な対談も、その一環ですよ」


「俺が聞きたいのは、あんな化け物どもに対応できる手段はあるのか、ってことだ」

「勝てるとは言えませんが、全力は尽くします」

「なんだそりゃ。あ~ぁ、逃げ出したくなってきた」

「それがあなたの本心でないことは、もう分かっていますから」


 堂垂が垣淵に対してニコリと笑いかける。これだけの問題を前にして、その笑みは作り物にしては完璧すぎるように感じられた。

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