キャンディ

夏永遊楽

 ここ数ヶ月、日課にしていることがある。

 登校して必ず、山内の姿を探すことだ。

 とは言っても、別段探し回ったりしなくてもすぐに見つかるのが大抵だ。バスケットボール部の山内と同様、私も唯一の女子マネージャーとして部に在籍していて、部活に顔を出せば、まじめな山内とは必然的に会える。ほら、今日も。

 必然は運命じゃない。

 何も特別じゃなくても、私のモチベーションを上げるには十分なのだ。

 私の中で山内は、他のどの男より秀でている。ただ、それだけ。

 それだけだけど、彼のフォームがいちばん美しい。

 それだけだけど、彼の走りがいちばん鮮やか。

 それだけだけど、彼がいちばん輝いてる。


 かっこいいな。好きなのかもしれない。

 頭にほわんと浮かんだ言葉が、すごく恥ずかしいもので、思いを込めてはいけないもののような気がして、必死で頭を振ってかき消した。



 いつのまにか練習は終わっていて、突っ立っている私が目に付いたのかもしれない。

「おつかれ。……どうした?」

 間近に”いちばん”の声がふるえて、顔を向ける。

 きょとんとした山内のかわいい間抜け面が、私を見下ろしていた。再びぶんぶんと首を横に振る私に、山内は可笑しそうに笑う。

「まあいいや。何かあるなら言えよ」

 やっぱりいいな。

 何かあるのは山内の方なのに。私のことより、自分のことをもっと気にしてもいいのに。

 山内はいつだって人を気遣う。細かいことにも気を配る。実行力だって兼ね備えている。

 だから、いいんだ。とても言葉にはできないけれど。

 せめてもの思いで、セロハンに包んだキャンディを手渡した。

「え、くれんの?サンキュー」

 私、いま、どんな表情してるかな。

「甘いものって、リラックス効果あるらしいから……」

 それだけ絞り出すと、彼は一瞬面食らったような顔をして、それからふわりと微笑んだ。

 見たことない笑い方。



 翌日は、朝から公式戦のスケジュールが詰まっていた。

 試合前の練習で、部員達は落ち着かない様子だけど、どう見てもひときわ浮き足立ってるのがいた。

 山内。彼はかなりのあがり症だ。毎日見ていたから自然と分かってきた。山内は、大きな試合が近づくと気が高ぶってきて、緊張が表情や動きに出てしまう。普段の練習では先輩達を抜くくらい上手いのに、本番になると身体が、特に足の動きが鈍くなるのだ。

 思うようにできなくて、悔しそうに顔を歪める山内を、ずっと見ていて私まで苦しかった。

 だから、上手く伝えられなかったけど、意味があるのかも分からないけど、せめて「大丈夫だよ、がんばって」って伝わってほしくて。

 祈るような気持ちで彼を見つめていると、何かを鞄から取り出した。

 あれは……私があげたキャンディだ。山内がそれを口に放り込むと、こちらに気づいて笑った。

 いつもよりずっと、余裕がある。もしかして、大分リラックスできているのかもしれない。

 山内が、包み紙のセロハンをひらひらしてみせる。

 私も、顔が綻んでいくのを感じていた。



 でも、膨らんだ気持ちはその日のうちに萎んでしまった。

 試合後、山内が他校の女子に告白されているのを見てしまったのだ。会場の一角で、少しはにかむような山内を見ていられなくて、私は引き返した。

 今までにないくらい絶好調で試合を勝ち進めた山内に、賞賛を贈りたかった。私が役に立てたか、訊きたかったのに。


 その後も解散まで時間はあったのに、不安ばかり膨らんで声をかけられないどころか、避けるような態度をとってしまった。そのことにまた落ち込んで、翌朝起きても鏡に映る私の顔は暗かった。



 深いため息を吐いて、体育館の裏口に腰を下ろす。

 ……長い茶髪を揺らす、可愛い女の子だった。山内も、まんざらでもなさそうに見えた。あの子とどうなったのか確かめたいけど、もし、告白を受けていたら……そう考えるだけで、自分の気持ちが否定されているようで苦しい。

 ただ、”いちばん”なだけのはずなのに。


 ふいに、こつん、と何かが頭を弾いた。

 膝の上に転がってきたそれをつまみ上げると、見覚えのあるキャンディ。まじまじと半透明の球体を見つめていると、吹き出すような笑い声が聞こえた。

 ”いちばん”の声だ。

「そんな睨んだって、そいつは喋んないよ」

 体育館の外側に立つ山内が近づいてきて、影をつくる。

「つかお前、来るの早すぎだって。まだ練習まで30分以上ありますけど」

「別に。あたし、マネだし。そっちこそなんでこんな早いの?」

 急に視界が眩しくなって目を閉じる。

 山内が移動して隣に座っていた。

「お前にお礼言いたかったから。いつも早いし……まさかこんなに早く来てるとは思わなかったけど」

「お礼?」

 私は目を瞬かせた。

 山内が私の手の中を指さす。太陽の光を反射させて、手の中でセロハンが光っている。

「お前がくれた飴、マジで効果あった。おかげでちゃんと全力出せたし。ありがとな」

 キャンディに触れている指先から、心地良いしびれが広がって、ふわふわしてきた。

「俺ずっとあがり症のことで悩んでたけど……気にかけてくれて嬉しかった。人のこと、よく見てるのな」

 その言葉に、かぁっと熱が上っていく。訊きたいことも不安もあったはずなのに、山内がくれた言葉がただただ嬉しくて、満たされていた。

「それに……」

 急に山内が真剣な顔つきになって、思い出したように不安がよぎる。

「何かあったんじゃないかと思って」

「……」

「昨日、変だったし。今も明らかに元気ないし。気になってしょうがなくて」

 そこまで言って、山内は言葉を切った。

「ごめん、言いたくなかったらそれで」

「違うの」

 勝手に声が出たのは初めてだった。

「自分でもよくわかんないの。ただ……昨日告られてたよね?あれはどうなったの?」

 勢い任せに言いたいことを言って、心持ちすっきりした私の前で、山内は目を丸くしていた。

「え?あ______あれ」

 どこかで望んでいた答えが、

「断った」

 返ってきた。

 もう十分だよ。

「だって、俺のことずっと見ててくれたのはあの子じゃないし」

 隣の空気が動いて、山内が立ち上がった。見上げる顔が、少し紅潮している。

 それがなぜなのかは、もうよかった。

 山内が大きく膨らませた拳を突き出して、私に手を出させる。

 その瞬間、大きな手からばらばらっと、色とりどりの大粒の雨が降ってきた。両手でも足りず零してしまったキャンディが、また足の上に転がってくる。

「甘いもんって、リラックス効果あるらしいから」

 空になった手が、ピースサインを作った。

「何か悩んでんならいいかなって思って」

「……ありがとう」

 めいっぱいの笑顔がこみ上げてきた。一粒だったキャンディが、たくさんになって、混ざり合って、そのぶん太陽の光を受けて、さっきよりもきらきらしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キャンディ 夏永遊楽 @yura_hassenka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ