九 メルショルの死

 本能寺の変から少し遡る天正八年(一五八〇)。二十六歳になったメルショル瑞星は、豊後府内でイルマン(修道助祭)に叙階された。ひたむきに勉学と修道に励み、南蛮人にも日本人にも聞こえがよい、立派な好青年に成長していた。

 しかし、当時のキリシタン情勢は決して平穏ではなかった。

 十年前の元亀元年(一五七〇)六月、コスメ・デ・トーレス司祭の後任の日本宣教長として、フランシスコ・カブラル司祭(一五二九~一六〇九)が天草へ到来した。入れ替わるようにその年の九月、トーレスは六十歳で帰天(逝去)した。

 日本人に受け入れられやすいように最大限の現地適応主義を採ったトーレスとは打って変わって、カブラルは、日本文化に理解を示さず原理原則主義を貫き、また日本人を未開な野蛮人と見なして軽蔑した。宣教地では領主の一存による強制改宗が行われ、神社仏閣が破壊され、伝統的習俗は否定され、日本人が司祭になることも認められなくなった。

 そんな中で若くしてイルマンに叙階されたメルショル、その逆境を超える秀逸な実力が伺われる。

 だからこそ、トーレスの薫陶を受けたメルショルは、日に日に強まる新宣教長ガブラルの施策には大いに疑問を持った。

「このままでは日本のキリシタンの先がない。いつか必ずや大いなる迫害を受けるであろう……たとえ今の施策で信徒が増えても、これでは果たして『主の御心』に適うだろうか……」

 メルショルは意を決して、ガブラルに直談判しようと天草志岐へと赴いた。

「メルショル瑞星と申す者にござります。この度は御謁見の場を賜りありがたく存じます」

「日本人の若造がイルマンか……豊後府内の群れは生ぬるいものだな」

 ガブラルは退屈そうな表情をはばかることなくあらわにして、メルショルの陳情の数々を聞き流した。

「もうよい。そなた、何か勘違いしておるのではないかね? とどのつまり、そなたは日本人なのだ」

 こうぶっきらぼうに言い放つのが、ガブラルの口癖であった。

 悔しさに唇を噛みつつ、メルショルは豊後府内へ戻った。

 メルショルは陳情書をしたため、前年の天正七年(一五七九)に来日して全国を巡っていた巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ司祭(一五三九~一六〇六)に送った。ヴァリニャーノは先代宣教長トーレスの適応主義を高く評価しており、真逆を行くガブラルのやり方を徹底的に批判した。

 メルショルの陳情も一役甲斐があってか、翌天正九年(一五八一)、ガブラルは日本宣教長を解任された。しかし、後任には日本人に人気のあったニェッキ・ソルディ・オルガンティーノ司祭(一五三三~一六〇九)ではなく、ガブラルの忠実な部下であったガスパル・コエリョ司祭(一五三〇~一五九〇)が就任した。


 そして、やがてさらに大きな問題が浮上してきた。日本人を海外移住にかこつけて奴隷として拉致しているという疑惑である。

 天正十三年(一五八五)、三十一歳になったメルショルは、女子修道院の奉仕をしていた十七歳の妹・鞠を連れて、再び天草志岐へ赴いた。薩摩の島津勢によって豊後が攻められるのではという危惧が強まってきたためでもあった。

「そのような噂はキリシタンに敵する者の讒言ざんげんだ。相手にしてはなりませぬ」

 ガブラルが日本を去ってのちも、その教育を受けた修道士が天草には多く残っており、メルショルの陳情は再び一蹴された。すでに危険分子と見なされていてか、今回はコエリョ宣教長に直接対面すら許されなかった。ヴァリニャーノ巡察使が去ってのち、天草のキリシタン上層部は再び乱れつつあった。


(奴隷貿易の真否だけは、しかと調べねば……真ならば、キリシタンのみならず日本国を揺るがす一大事だ……)

 そう考えつつ夕暮れの港を歩いていた時――メルショルは不意に肩を強く摑まれた。

「おっと、イルマン殿。この先はなりませぬぞ」

 柄の悪い男達がメルショルの前に立ちはだかった。

「何者だ! 何かやましいことがあるのか!」

「イルマン殿こそ。こんな港の隅で何をしておいでで?」

「いよいよ疑わしい。通したまえ!」

「お引き取りくださらねば……分かりますな?」

 男は不敵な笑みを浮かべて、拳を握った。


「兄上! どうなされたの!?」

「ああ、遅くなってすまぬな鞠」

「それよりも、お怪我……!」

 晩に教会の宿坊へ帰ってきたメルショルは、顔や腕に傷を負って、ひどく疲弊した表情をしていた。

「教会は腐り始めている。コエリョ様は宛にならぬ。なんとかせねば……」

 傷を手当てされながら、メルショルは呟いた。


 その数日後。港での乱闘沙汰の際に、メルショルが修道士でありながら人を殴ったことについての咎めがなされた。懺悔せねばイルマンの地位を剥奪するとの厳しいものであった。

「くそっ、私は被害者だ! 百歩譲っても喧嘩両成敗ではないのか……」

 メルショルは憤りに震えた。

 結局、期日までに懺悔も返答もしなかったメルショルは、イルマンを剥奪された。立つ瀬のなくなったメルショルは、イエズス会士自体を自ら退会した。


(噂の真なるは間違いない。あとは動かぬ証拠と告発の手段だが……)

 ある日、木刀を携えて深夜の港を探索していたその時。

 不意に闇から刃が閃き、血しぶきが舞った。

「ふっ、ここまでか……主よ、御国に来給う時には、我を思い出し給え……」

 天正十三年(一五八五)。メルショル瑞星、三十一歳・修道二十年の生涯は、かくして人知れず幕を下ろされた。


・メルショルがイルマンに叙階されたこと、そしてイエズス会を退会してのち、天草で夜陰悲惨にも殺されたという記録がキリシタン文献にあり。それ以外は架空。

・「主よ、御国に来給う時…」――ルカによる福音書23章42。

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