八 本能寺の変と奈良下向

 豪放磊落な天下人、織田信長。しかし、盛者必衰、その天下は唐突に終わりを迎えた。あえて多言は無用、世に名高き本能寺の変。安土城に招かれてからわずか三年後、天正十年(一五八二)六月のことである。京の街は、にわかに殺気立った空気に包まれた。

「なんということか……信長殿、かつての御恩は生涯忘れませぬ……」

 知らせを聞いて、在昌は愕然としつつ、賜り物の地球儀をくゆらせた。

「広、在信、すぐに旅支度だ」

「殿、どちらへ参りますの?」

「南都だ。万一のことがあってはならぬゆえ」

 累が及ぶことを警戒した在昌は、大事を取って、賀茂氏の傍流にあたる奈良の幸徳井家のもとへ家族を連れて下向した。時の当主、幸徳井友忠(一五四一~一六〇一)五十二歳は、一行を手厚くもてなした。


 折しもその時、十八歳になった在信と同い年の乙女が、奈良町の幸徳井邸を訪れていた。奈良の東、柳生の里に住む剣豪・柳生石舟斎宗厳やぎゅうせきしゅうさいむねよし(一五二七~一六〇六)の娘、勝子である。その母は幸徳井家の先代当主・友栄ともなが(一四八七~一五五八)の娘であり、勝子は幸徳井友忠にとって妹めいに当たる。

 剣豪の娘らしく、凛として芯の通った大和撫子であった。

 奈良滞在の間に、在信はこの娘と秘めやかな恋仲になり、子を宿してしまった。

 在信は勝子との結婚を切望したが、勝子は柳生の家臣・安井永順ながよしという者と婚約をしており、二人の仲は束の間の悲恋、若気の至りに終わってしまった。

「分かりませぬ。なぜに愛し合う者が別れなければならないのでござりましょうか、父上……!」

「お前の心持ちは分かる。罪を犯したことはお前自らが重々承知であろうから、あえてことさらに咎めはせぬ。しかし、分かっておろうな……致し方あるまい」

「くっ……面目のうござります……」

 在信は、打ち震えて口を噛みしめつつ、涙を呑んだ。

 崩れかけた築地塀ついじべいに蝉時雨が響く、暑い夏の日のことであった。


 在昌一家が京に戻ってのち、勝子は男児を産んだ。吉備丸きびまると名付けられたその子は、幸徳井友忠が引き取って育てられることとなった。この男児こそが、のちに勘解由小路家が絶家した跡を受けて陰陽頭となった、幸徳井友景(一五八三~一六四五)である。


・在昌一家が奈良へ逃れた点は架空。

・幸徳井友景が在信の子という点も架空。友景の生没年は、『幸徳井世系考訂本』に依った。

・勝子という名は、『幸徳井世系考訂本』によると、幸徳井友忠の娘で柳生宗厳の妻として記載されている。

・幸徳井友景が柳生の血を汲むという点は伝承にあり。

・吉備丸という名は架空。名の由来は生まれ年の干支から。癸未きび→吉備。

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