七 信長との出会い

 在昌の帰洛の一年前、天正四年(一五七六)に、ニェッキ・ソルディ・オルガンティーノ司祭(一五三三~一六〇九)率いるキリシタン一行が再び上洛し、以前ヴィレラ司祭らが仮南蛮寺として逗留した四条坊門室町姥柳町うばやなぎちょうの地に、今度は常設の南蛮寺を再建した。

 帰洛した在昌一家は、この南蛮寺に程近い所に新邸宅を構え、足繁く南蛮寺に通った。オルガンティーノ司祭は日本文化に理解があり、日本人を尊重したため、「宇留岸うるがん伴天連」と呼ばれて広く慕われた。在昌一家とも気が合い、深い親交を結んだ。

 上洛からほどなく、次男戎丸は元服して、在信あきのぶと名乗った。

 在昌は父・在富から伝授された家学の賀茂暦道と、豊後府内で身に付けた西洋天文学を活かして、その手腕を遺憾なく発揮し、一躍朝廷で名を轟かせた。

 その噂はじきに、天下人・織田信長にも伝わった。在昌の手腕を聞き、その数奇な来歴を知って、信長は大いに関心を覚えた。ちょうど在昌が京に戻った天正五年(一五七七)の十一月、信長は従二位右大臣に叙任され、最盛期を迎えたところであった。

 在昌の上洛に先立つ天正四年(一五七六)に着工した信長の居城・安土城は、天正七年(一五七九)に竣工した。在昌は落慶式の祓役として安土城に召され、十六歳になった息子在信を連れて赴いた。

「わぁ……見事でござりますね、父上!」

「ああ。実に壮観だなあ」

 琵琶湖を見渡す丘の上に築かれた安土城には、いわゆる天守閣の先駆けである「天主」と名付けられた摩天楼がそびえ立ち、天下人にふさわしい威容を誇っていた。三層の大屋根の上に、六角の仏堂風の櫓、そして最上階には金に輝く望楼。前代未聞の大高層建築であった。

 落慶式ののち、在昌は信長に近しく謁見した。

「陰陽頭・勘解由小路在昌にござります」

「大儀じゃ。そちの噂はかねがね聞いておる」

「恐縮にござります」

 信長の私室は豪奢に彩られ、南蛮寺のように舶来の珍品が並んでいた。彼の異国趣味が伺われる。

「豊後でのキリシタン暮らしについて聞かせてくれ」

 在昌の見聞録を、信長は実に興味深そうに聞き入った。

「なるほど。南蛮学を取り入れつつもみん国とは異なる、本朝ならではの大和暦やまとごよみに改暦がそちの目論見か。実に愉快じゃ」

 在昌の宿願である新たな暦法の構想にも、信長は賛意を示した。

「地も日も月・星も、みな虚空に浮かぶたまである、とフロイスも申しておったのう」

 舶来の地球儀を回しつつ、信長は呟いた。

「これはそちが持ち帰った方が役に立つであろう」

「はっ。まことにありがたき所存にござります」

「また上洛の折には、ゆるりと話を聞かせてくれ。改暦の試みも楽しみにしておるぞ」

 地球儀と、時計や方位磁針などいくつかの舶来の品々をその場で包ませつつ、信長は満足げに笑って、在昌を見送った。

「家宝にござりますね、父上!」

「ああ、またとない家宝だ!」

 在信も、興味津々で賜り物を手に取りつつ、京へと戻っていった。


・在信という名は史書に記録あり。元服の時期は不詳。

・在昌と在信が安土城の落慶式に召されたという点は架空。

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